震災が発生して、ボランティア活動を考えている人もいるかもしれない。
しかし、画像の「私にも言わせてよ」という、阪神・淡路大震災のとき、震源地の北淡町長だった小久保氏の本によれば、ボランティアも良し悪しである。
この本のp.82に、
『「被災地へ行くのだから地元に迷惑をかけてはいけない」と寝袋や簡単な炊事道具まで持参の人たちもおれば、避難所用の仮設の台所で食事の準備で忙しい最中に「我々にも飯を食わせろ」と言う人たちも居たりしてなかなかその扱いが難しかった。』
と記載されている。
また、p.88には、
『「飯を食わせろ」と私たちに注文をつけたり、何かと面倒のかかる一部のボランティアの人たちの振る舞いにほとほと困っていた』
とも記載されている。
ボランティアだから、無条件で賞賛されるわけではない。自分勝手なボランティアは、被災地の人々を苦しめ、困らせるのだ。そういう、身勝手なボランティアは、ボランティアの名を借りた「自己満足」でしかない。排斥されるべき、愚行である。
被災地に行ってまで、被災地の方々に迷惑をかけるまでもなく、地元にいながらにしてできるボランティアもある。募金も、献血もボランティアなのだ。ボランティアは自己実現のためにやるものではない。ましてや、自慢するためのものでもない。被災地の人を思いやること。そして、自分のできることをやる。それが、真のボランティアではないだろうか。
しかし、画像の「私にも言わせてよ」という、阪神・淡路大震災のとき、震源地の北淡町長だった小久保氏の本によれば、ボランティアも良し悪しである。
この本のp.82に、
『「被災地へ行くのだから地元に迷惑をかけてはいけない」と寝袋や簡単な炊事道具まで持参の人たちもおれば、避難所用の仮設の台所で食事の準備で忙しい最中に「我々にも飯を食わせろ」と言う人たちも居たりしてなかなかその扱いが難しかった。』
と記載されている。
また、p.88には、
『「飯を食わせろ」と私たちに注文をつけたり、何かと面倒のかかる一部のボランティアの人たちの振る舞いにほとほと困っていた』
とも記載されている。
ボランティアだから、無条件で賞賛されるわけではない。自分勝手なボランティアは、被災地の人々を苦しめ、困らせるのだ。そういう、身勝手なボランティアは、ボランティアの名を借りた「自己満足」でしかない。排斥されるべき、愚行である。
被災地に行ってまで、被災地の方々に迷惑をかけるまでもなく、地元にいながらにしてできるボランティアもある。募金も、献血もボランティアなのだ。ボランティアは自己実現のためにやるものではない。ましてや、自慢するためのものでもない。被災地の人を思いやること。そして、自分のできることをやる。それが、真のボランティアではないだろうか。