生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

【放送大学】 不合格の歴史

2011年08月16日 07時01分39秒 | 放送大学
比較的簡単だといわれる放送大学の試験。

でも、本当はそんなにたやすくない。今回の試験においても、続々と、院生経験者からの「不合格の一報」が届いている。私も今回、「社会の中の科学」を落としてしまった。

「システムWAKABA」で検索してみると、落とした科目の一覧は以下の通りである。

2005年1学期 感情と認知
2008年2学期 中国の歴史的展開
2009年1学期 アジアと漢字文化
2009年2学期 生活知と科学知

そして、今回の「社会の中の科学」である。185単位で10単位分の不合格。つまり、約5%の確率で不合格が出現することとなる。無論、ちゃんと勉強すれば、不合格率0%にすることは可能なのかもしれない。

とはいえ、上記試験はすべてマークシート方式。マークシートの方が、白黒はっきりするので、ちょっとのミスで、すぐ、不可になってしまう。今回も、もともと合っていたのを、わざわざ消して、間違いをマークしてしまったし・・・

ちょうど、修士論文(相当)の発表会だけど、再受験できるかしら?
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為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり

2011年08月16日 00時35分07秒 | 生涯学習
ふと気がついたことがある。

そう、いつの間にか「般若心経」をそらんじることができるようになっていた。昔、仏教系の高校を卒業した友人が「般若心経を暗誦できる」と聞いてうらやましく思ったものである。

意外と、困難だと思っていることも、やってみると、簡単にできるものなのかもしれない。

あるいは、資格を取得することだったり、大学や大学院を卒業すること、私の場合だと、機構で学位を取得することなんかも、取っ掛かりは「難しい」「きつい」「困難」といった、マイナスのキーワードが並んでしまうかもしれないが、実際、やってみると、どうにかなるものである。

産能大学の通教学部生をやっていたとき、大学院の先輩なんかがいるわけだ。記憶にあるのが「名古屋商科大学大学院」と「国際医療福祉大学大学院」の先輩。どちらも、「君も早いうちに大学院に行けばいいよ!」と、軽~く、そして調子よく語りかけてきた。「そんなに簡単に大学院なんていけるものかい!」と、ムッとしたものだが、今、振り返ると、その先輩たちの言っていることの意味が良く分かるし、そして、「アドバイスをくれてありがとう」と感謝したい気持ちでいっぱいである。

残念ながら、飲み会の席と、昼食の席だったので、名前も、顔も忘れてしまったのだが。

その後、色々な先輩の影響を受け、進学することとなるのだが、大学3年次において、見知らぬ私に、能天気に「大学院」なんて語り始めたのには辟易としたものだ。「自分が大学院に行ったから、自慢してるんだろう!」とやっかんだものだが、きっと、語り続けた先輩は、他意はなく、素直な気持ちであったと思う。

今の私も、そんな気持ちなのだが、人によっては、「またこの話かよ!」って、辟易としている方もいるかもしれない。


私は思っている。この「生涯学習」を標榜するブログに辿りついた方々は、「大きな翼」を持っているのだと。美しい白色の翼かもしれないし、鮮やかな漆黒の翼かもしれない。そんな立派な翼を持っているにもかかわらず、まだ、その翼をしまいこんで、使わない人もいる。

ただ、刹那、羽ばたけばいいだけなのに・・・

きっと、その人は、自分の翼を感じることが永遠にこないのかもしれない。そして、昔の私のように、不機嫌そうに「ムッ」としているかもしれない。目には見えないが、人生の翼を、少なくとも、このブログに辿りついた人は、必ず持っているはずなのだ。ただ、それに気付かないだけ。

「資格」や「学位」あるいは「キャリア」や「能力開発」といったキーワードが、あなたをこのブログにいざなったのかもしれない。あるいは、たまたま、何かのきっかけで辿り着いたのかもしれない。しかし、それは偶然ではなく、必然の出会いであり、まさに、翼を羽ばたかせようとした人にとっては、人生のターニングポイントになるかもしれない。

それが、「為せば成る」ということであろう。そして、私が嫌いなのが「為さねば成らぬ」という後ろ向きの姿勢である。この「為さねば成らぬ」という消極的マインドを徹底的に排除している「結界」が、このブログであり、この領域において、すべからくすべての訪問者に可能性とうい翼が与えられているのである。

ただ、その可能性を引き出すか、そのままにしておくのかは、残念ながら自己責任であり、私にはどうしようもない。ただ、標題にもあるように、「成らぬは人の為さぬなりけり」ということであり、自分自身が為さない限り、「思い」や「願い」は絶対に成就しないのである。

最初から大きなことをする必要はない。でも、何か始めないと、気がついたときには、翼を羽ばたかせるだけの力が欠落しているだろう。
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