生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

熱血・・・

2013年10月05日 20時48分23秒 | ちょっと立ち止まって・・・
体育会TV2時間SPで、熱血テニス合宿なるものが放映されている。

私は、絶対、この手の番組は見ないのだが、家族が見ているので仕方がない。でも、本当に、教育学的見地からいって、このテニス合宿は許容されるのか・・・と疑惑を持たざるを得ない。

恫喝する熱血元テニスプレイヤーのM。泣きじゃくる子ども達。最期は笑ってハッピーエンドっぽく編集されているが、本当に、この教え方は問題ないのだろうか?どう見ても、児童虐待やないかい。

このTVを、問題なく海外で放映するだけの自信が私にはない。まだ、自分で満足に意思決定ができないであろう年齢の子どもに、根性的なテニスを科し、倒れこみ、涙を流している、その背後から大声で恫喝する。本当に、それが許されることなのだろうか?

私は、基本的に「不幸が予測される番組」「根性を強いる番組」「裏切りが前提の番組」を見るのがいやでいやで仕方がない。見たくないのだが、そばで放送されているとどうしても目についてしまう・・・

まあ、その結果、絶対みる対象とはならなかったはずの「半沢直樹」を途中から見始めたのだから、怪我の功名といったところだろうか?
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一億総疲労社会・・・

2013年10月05日 19時00分42秒 | ちょっと立ち止まって・・・
本日の日経新聞夕刊5面にあった記事。

明治大学文学部の諸富祥彦教授に聞くという記事だったのだが、「半分あきらめて生きよう」という見出しがあった。「頑張ることの重要性は叫ばれるのに、あきらめの効用は説かれない」「心が未成熟な中高年が少なくない」「半分あきらめても、心の底を満たして生きる」といったキーワードも並ぶ。

テレビドラマの「半沢直樹」がブームになった理由も分析しており、「上司に迎合し、折り合いをつけることだけうまくなると、むなしさが募ります。本気で生きるとは、魂の深い部分が満たされる生き方です。半沢直樹の生き方を見て、自分はこのままでいいかと自省し、本気で仕事をする意味を思い起こした人が多かったのではないでしょうか」と書かれている。

私としては、迎合しない生き方をしてきたので、わずか2回目の転勤で「出向」ということとなってしまった。片道切符から這い戻ったが、当時、一緒に働いていた人のことを思うと、何が幸せかわからない。得たものも多かったが、失ったものもそれなりに多いから。きっと、心の持ちようで、そのままの生活でも、新たな生活でも、それなりに充実したものにしていただろう。

まあ、その昔から、倍にはしないものの半沢直樹のような生き方をしていたから、メンタル的には救われていたのかもしれない。上司に迎合しない。お客さまの利益にならないような、おかしな取引はおかしいと言う。上司相手に睨みつけ、恫喝もしていたし(笑)。我ながら、使いづらい部下だったと思います。

でも、そのおかしなものをおかしいと言えなくなってしまったら、組織はおかしくなってしまうし、そんなおかしな組織で自己を殺して生きながらえるより、クビにしてもらったほうがすっきりする。当然、闘うときは、それぐらいの覚悟がないと言うべき事は言えやしない。

そうやって言えるのも、早めにあきらめることができたからかもしれない。社畜にならないためにも、社内で一番仕事に精通していると言えるくらいの努力はしてきたつもりである。加えて、数多くの資格を取得してきたし、学位も積み上げてきた。いつクビになってもいいように準備しているわけである。

とはいえ、最近は歳相応におとなしくなってきたし、コンプライアンスという言葉も浸透してきたので、武闘派モードにスイッチが入る機会がめっきり少なくなってきている。それはそれで、自分にとっては恵まれた職場環境におかれているわけで、感謝している。
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科目修得試験受験票到着!

2013年10月05日 16時19分51秒 | 自由が丘産能短大
自由が丘産能短大から10月20日の科目修得試験の受験票が届いた。

今回の受験は2科目。というか、その2科目で履修した38単位分が終わることとなる。自由が丘産能短大卒業に必要な単位は62単位。しかし、2年次編入したため30単位が一括認定され、32単位で卒業することができるのだが、配本は38単位分と少し多めとなっているのである。ということで、4単位分未修得の単位があるのだが、取得済の単位数は34単位と、卒業要件を充足しているのである。

で、今回受験するのが「コミュニケーション」と「アサーション」。過去問を見ると、結構、書かせる問題なので気分が重い。正直、1時間書き続けるのって結構辛い上に、それを何科目もやるのだから、体力も精神力も消耗してしまう。でも、前回は4科目、前々回は5科目だったので、今回の2科目は精神面にやさしいほうなのかもしれない。

試験を受けなくても卒業できるのだが、やはり、生涯学習のスペシャリストを標榜している以上、受けないわけにはいかないだろう。そこに試験があるのなら・・・

まあ、これで自由が丘産能短大の学びもすべて修了!やってみれば、なんとかなるものだということを実感するのである。
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武蔵野大学大学院通信教育部人間学研究科仏教学専攻の・・・

2013年10月05日 04時18分41秒 | 武蔵野大学大学院
武蔵野大学大学院通信教育部人間学研究科仏教学専攻に関する情報収集を行っていたところ、驚愕の調査結果を発見した!

平成24年度は15人受験して13人合格、平成25年度は5人受験して5人合格。人数が減っていることは仕方がないかもしれない。で、驚愕の事実とは、わずか1年で平成24年度合格の学生が4人も退学していることである!ちょっと待て、わずか1年だぞ!何でやめてしまうんだ?30%もの学生が退学するなんて、異常じゃないのか。

退学の理由は「就学意欲の低下 2名」「その他 2名」となっている。故に、25年度在籍の学生は13名-4名+5名=14名が武蔵野大学大学院通信教育部人間学研究科仏教学専攻の総数なのである。

そもそも、仏教学専攻に出願したのは、弥陀のお導きの下、学ぼうという発願においてのことではなかったのか・・・それが、わずか1年で30%減。。。見た瞬間、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」と念仏を唱えてしまった。それほど、私にとっては衝撃的な情報だった。

もし、「去年入学した、あそこの大学の○○学専攻の学生さん、もう3割が辞めちゃったそうよ」って話を聞いたら、どう思います?本当、残念極まりない。

でも、学生の気持ちもわからないでもない。きっと、私が本学大学院において学んでいた時の「もやもやした不満」が、やめた学生の方にも生じたのかもしれない。入学式もない。機関紙もない。SCに出席しなくてもよい。SCに出ても発言しなくてよい。そういう中で、自分を見失い、学ぶ意欲も低下していったのだろう。

そう、通信制の大学(大学院・短大も含む)での学びは、絶対的に孤独であり、その中で光を見つけないと学んでいく意義を見失う結果となる。暗闇の中でもがけばもがくほど、「何のために学んでいるのだろう」という猜疑心に取り付かれ、あげく、「今でなくてもいいや」といって教材や課題から遠ざかり、フェードアウトしていく結果となってしまう・・・

「退学理由 その他」の方については不明であるが、少なくとも、本学の通信教育課程においては、浄土真宗本願寺派の大学にもかかわらず「絶対他力(他力本願)」ということで、待ちの姿勢でいては修了することは絶対に不可能である。

いや、言葉が悪い。絶対他力=待ちの姿勢といのがそもそも違う。自力本願というと、荒行とか修行をする「難行」のイメージから、大学院で苦学を強いられるように思え、他力本願だと、「易行」のイメージから、大学院で与えられるままに学べばいいんだろうという風に思えてしまう。

しかし、それは違う。仏教に疎いため、稚拙な解釈となるが、絶対他力における学びは、弥陀の憐憫の情を信じて、ただ、ひたすらに学ぶことこそが、他力本願における学びの姿勢だと解釈している。ただひたすらに念仏を行うがごとく、学びを追求するだけである。その信じる力こそが、他力なのである。

それが証拠に、本学では「何々を発見しました!」とか「調査の結果、こういう傾向がわかりました!」とか、そういうものを修士論文として求めていない。ひたすらに「文献研究」することで、修士論文相当の「特定課題研究演習」の合格が与えられる。

難しそうに見えるが、本学で学べることを感謝し、素直な気持ちになれば、必ず完成するものである。信じて学ぶことで、「光」が見えてくる。別に浄土真宗という宗教にこだわることはない。ただ、その全てにおける「光」というものが、浄土真宗においては、阿弥陀如来の光なのである。故に、阿弥陀如来の別名は「不可思議光如来」という光の名を持たれるわけである。

そして阿弥陀仏は一二種の光明で信じるものを照らしてくださる。無量光・無辺光・無碍光・無対光・焔王光・清浄光・歓喜光・智慧光・不断光・難思光・無称光・超日月光である。これらの光を信じて学び続けるなら、かならず、本学は学生に応えてくれるのである。

本当、本学で学ぶまでは、こんな話は全く無縁だったのに。でも、信じて学ぶことで、救われたという気持ちは嘘偽りがございません。とはいえ、その学びの最初の部分までたどり着くのが一苦労なのですが。

だからこそ、だまされたと思って学び続けてほしい。愚直に信じて学ぶ者を、邪険にする神や仏はありえませんから。
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大学入試の新共通テスト!

2013年10月05日 03時46分45秒 | その他
10月4日の日経新聞朝刊42面。

センター試験が改革される話が進展しているそうです。教育再生実行会議が大学入試センター試験に代わる新共通テスト導入を盛り込んだ提言原案をまとめました。

・1点刻み改め段階別
・複数の受験機会確保

といった見出しが並んでいます。「わずかな点差が合否を決める一発勝負型入試のあり方を見直し、各大学が受験生の多面的な能力を評価する仕組みをつくったうえで多様な人材を社会に輩出するのが狙い」だそうです。

「在学中は学校行事も多く、大規模な試験を何度も受けさせる時間的余裕はない」「1点刻みで合否の線引きを明確にしてきた従来の制度に比べ、評価の公平性を欠く可能性がある」といった課題も挙がっているそうですが、私としては、好意的にみております。

社会人入試を何度も経験していると、試験問題によってブレが生じる現状における「わずかな点数の差」より、やる気やモチベーション、学びに対する考え方といった精神面のチェックの方が、最終成果に大きな影響を与える結果となっているように思えてなりません。

特に、マークシートという採点方法である以上、まぐれで塗ったマークが当たってしまうこともあり、わずかな点差は実力を反映したものではないケースがほとんどです(無論、満点の場合は実力どおりなのですが)。なら、段階別にすることをルール化しさえすれば、公平性を欠くものではないと思っています。

とはいえ、導入は5~6年後を目指すとされており、うちの長男・次男は対象外となりそう。いや、いっそのこと、ためしに自分自身で新共通試験を受けてみて、東大でも目指してみようか?でも、今の私なら、学部より大学院を目指すほうが合格の可能性は高いんだろうな・・・
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産能大 スポーツマネジメント研究所

2013年10月05日 02時40分52秒 | 産業能率大学
ご無沙汰しております。

季節の変わり目ということで、例のごとく、体調がよくありません。ということで、やっと休日を迎え、ここ1週間を振り返ることができました。

で、10月3日の日経新聞朝刊25面の記事。母校産能大のスポーツマネジメント研究所が載っていました。「競技運営、ビジネスを学ぶ」そうです。所長、設立に奔走されたそうで・・・ご苦労がしのばれます。

それにしても、産能大って、遠いよな・・・新聞に地図が掲載されているのですが、川崎の西に横浜があって、その西に鎌倉があって、その更に更に西に伊勢原があって・・・そこが産能大の最寄り駅。その西に小田原があるのですが、伊勢原って、横浜と小田原の中間ぐらいに位置しています。

本当、東京より小田原の方がずっーーーと近い。その伊勢原の駅から、更に何キロも山の方に向かっていくと、産能大があります。バスで12分だそうです。ちなみに、新宿から伊勢原まで小田急の急行で約1時間。1時間+12分なら・・・何となく近いようで、実は遠~いキャンパス。一度、自分の足で行ってみると、私の言っている意味もわかっていただけると思います。私は行きましたから(笑)

でも、本当に自然に恵まれた、広大なキャンパスで私は好きです。でも、バスの便がよければもっといいのですが・・・。
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