「卒業まで保存!」と書かれた産能から送付されてくる機関紙Next。
既に、我が家には保存されている機関紙はない。なんせ、表紙にも書かれている通り、「学生のポータルサイトでもご覧になれます」ということで、保管しておく必要がないわけである。
でも、せっかく郵便で届いたのだから、現物を手にとって見てみた。最も、興味を惹かれたのが「本学大学院の学内入学試験制度と説明会について(ご案内)」というページである。
私の時には、全く、通教の学生を優遇する制度はなかったのだが、今では、定員は10名程度、GPA2.4以上等の条件はあるものの、学部長推薦が受けられる。また、「本学卒業生は大学院の入学金265,000円を全額減免」とp.37に記載されている。(読み間違いがあったら申し訳ないので、受験される方は確認してください)
入学金が免除されたとしても、私の通学していた時は、授業料は年間600,000円。現在は750,000円だから、優遇がなかったものの、優遇していただいたようなものである。でも、産能MBA1回で、放送大学大学院が約5回修了できてしまうと考えると、身につまされるものがある。とはいえ、金額面だけの机上の空論なので、何を学ぶべきかということは、真剣に、じっくり考えてアクションを起こすべきであろう。
この記事によると、産能大学院の第1回出願は募集を終了してしまったそうだ。まだ、第2回、第3回とあるのだが、もし、進学を考えているのであれば、来年度に先送りせず、今年度のうちに将来を固めて欲しいと願っている。
来年も、学習できる環境が続いているとは限らない。今、この段階で、学ぶチャンスがあるのなら、今、この瞬間を大切にしていただきたい。1年先送りするということは、人生を1年短くした上で最低2年の時間を投下することとなる。残りの人生40年だった人が1年先送りすると残りの人生39年となる。2年/40年と2年/39年とでは、その人生に対するウエイトが徐々にタイトになってくる。しかも、MBA修得後について、残りの人生40年-2年=38年間MBAホルダーといえるのと、39年-2年=37年間とでは、1年間、MBAと言える期間が短くなる。
たかだか、1年ということなかれ。死は常にあなたの隣にあるのだから。何らかの事情で人生残り2年ちょっとしかないとすれば、今スタートすれば修了できるのに、来年なら、在学期間中に死を迎えることとなる。初志貫徹することなく、心残りのうちに浄土へと旅立つこととなる。周囲の方々も、「志半ばで残念ね・・・」と無念さがひとしおである。
「自分は、そう簡単に死なない」とか、「自分の死はまだまだ先である」とか思えてしまうから、人生先送りしてしまう。あたかも、人生は無限のように感じるため、「今日じゃなくても明日でいいや」と、自分の弱さに負けてしまうのである。それは私も同じ。本当に、反吐がでるほど軟弱で、意志が弱く、ついつい睡魔の攻撃に屈してしまう。
「論文の締切」や「レポートの提出期限」等が、最後の砦であり、薄弱な自制心のツッパリ棒ともいえる。あるいは、恩師への尊敬の念が、なんとか、面接・発表等の一里塚で、踏みとどまる支えとなっている。
決して、安くはないコストを投下することで、自分自身に戒律を科すことができる。だからこそ、私のように、弱い人間には、短大や大学、あるいは大学院といった学びの場が有益といえるのだろう。
既に、我が家には保存されている機関紙はない。なんせ、表紙にも書かれている通り、「学生のポータルサイトでもご覧になれます」ということで、保管しておく必要がないわけである。
でも、せっかく郵便で届いたのだから、現物を手にとって見てみた。最も、興味を惹かれたのが「本学大学院の学内入学試験制度と説明会について(ご案内)」というページである。
私の時には、全く、通教の学生を優遇する制度はなかったのだが、今では、定員は10名程度、GPA2.4以上等の条件はあるものの、学部長推薦が受けられる。また、「本学卒業生は大学院の入学金265,000円を全額減免」とp.37に記載されている。(読み間違いがあったら申し訳ないので、受験される方は確認してください)
入学金が免除されたとしても、私の通学していた時は、授業料は年間600,000円。現在は750,000円だから、優遇がなかったものの、優遇していただいたようなものである。でも、産能MBA1回で、放送大学大学院が約5回修了できてしまうと考えると、身につまされるものがある。とはいえ、金額面だけの机上の空論なので、何を学ぶべきかということは、真剣に、じっくり考えてアクションを起こすべきであろう。
この記事によると、産能大学院の第1回出願は募集を終了してしまったそうだ。まだ、第2回、第3回とあるのだが、もし、進学を考えているのであれば、来年度に先送りせず、今年度のうちに将来を固めて欲しいと願っている。
来年も、学習できる環境が続いているとは限らない。今、この段階で、学ぶチャンスがあるのなら、今、この瞬間を大切にしていただきたい。1年先送りするということは、人生を1年短くした上で最低2年の時間を投下することとなる。残りの人生40年だった人が1年先送りすると残りの人生39年となる。2年/40年と2年/39年とでは、その人生に対するウエイトが徐々にタイトになってくる。しかも、MBA修得後について、残りの人生40年-2年=38年間MBAホルダーといえるのと、39年-2年=37年間とでは、1年間、MBAと言える期間が短くなる。
たかだか、1年ということなかれ。死は常にあなたの隣にあるのだから。何らかの事情で人生残り2年ちょっとしかないとすれば、今スタートすれば修了できるのに、来年なら、在学期間中に死を迎えることとなる。初志貫徹することなく、心残りのうちに浄土へと旅立つこととなる。周囲の方々も、「志半ばで残念ね・・・」と無念さがひとしおである。
「自分は、そう簡単に死なない」とか、「自分の死はまだまだ先である」とか思えてしまうから、人生先送りしてしまう。あたかも、人生は無限のように感じるため、「今日じゃなくても明日でいいや」と、自分の弱さに負けてしまうのである。それは私も同じ。本当に、反吐がでるほど軟弱で、意志が弱く、ついつい睡魔の攻撃に屈してしまう。
「論文の締切」や「レポートの提出期限」等が、最後の砦であり、薄弱な自制心のツッパリ棒ともいえる。あるいは、恩師への尊敬の念が、なんとか、面接・発表等の一里塚で、踏みとどまる支えとなっている。
決して、安くはないコストを投下することで、自分自身に戒律を科すことができる。だからこそ、私のように、弱い人間には、短大や大学、あるいは大学院といった学びの場が有益といえるのだろう。