昨日の日経新聞夕刊14面に、東工大学長の教育改革の発表が掲載されていた。
先般ご紹介した「修士まで最短4年」とともに、「世界大学ランキングトップ10位以内に入る研究大学を目指したい」というコメントも載せられていた。
で、例のごとく、私は悩むわけである。「世界トップ10って、、、何なのよ?」と。悩む理由は2つ。
1.東工大は世界大学ランキングトップ10位以内を目指す必要があるのかという疑問
2.世界大学ランキングって普遍的な信頼性があるものかという疑問
私とは全く関係ない東工大であるが、当然のごとく、東工大には私の払った税金が投下されている。私だけではない。世の中の、多くの方々が払った税金である。それが、訳のわからぬ世界ランキングトップ10を目指すためだけに、本来、東工大が関与しなくてよいものにまで、余計にコストを投下しないかという疑問である。
東工大のベスト10入り=東工大のやるべき大学の使命=我々の幸福という3つが必要十分条件で充足されない限り、ベスト10に入ることは目標とされるべきではない。
というか・・・そもそも、疑問の2にも繋がるのだが、
世界大学ランキングの判定要件に考慮される基準は、東工大の「大学」という教育機関として必要なものの網羅的事実なのか?
WIKIでも、ランキング自体、3つあるとしているし、英語圏が有利という問題点も挙げられている。あるいは理系偏重との指摘もあげられている・・・・ということで思い出したのだが、そもそも、東工大って、理系のみの大学。文系がないのに、世界ランキングトップ10にランクインするって、なんか、おかしくないか?
>英語圏の大学が上位に入りやすいという点についても批判がある。例えば、
>上海交通大学が公表している『世界大学学術ランキング』の指標である
>『ネイチャー誌』と『サイエンス誌』にしても英語の雑誌であり、トムソン
>社の論文データーベースにしても英語の論文が多い。また、人文科学系の
>大学ではランキングの上位に載りにくく、英語で書かれた論文も少ないと
>いった問題もある。ピア・レビューについても英語圏の人間が多いのでは
>ないか、名のある大学に有利に働くのではないかなどの批判がある。
>また、審査基準がそもそも米英に有利なように設定されているという批判もある。
>例えば英THE誌の2009年の審査基準では、
>1. 査読(論文の内容と質を、他の学者が評価すること)(40%) 2. 雇用者
>レビュー(10%) 3. 教員&学生比率(20%) 4. 教員一人当たりの論文被引用
>件数(20%) 5. 外国人教員比率(5%) 6. 外国人学生比率(5%)
>となっていた。 しかし、5、6に関しては、そもそも移民政策を取っている
>アメリカが有利なのは当然で、逆に日本のように移民政策をとっていない国は
>前提からして不利である。1に関しても、非常に主観的な要素であって、論文の
>内容のどこに価値を感じるかは個々人の価値観に左右される。その上、学者も
>人間であるから、母国の論文に対しては好意的になりやすいのではないかと
>いう問題もある。何よりも、研究機関としての評価と、教育機関としての評価が
>一緒くたにされており、どの大学のどこが優れているのかが不明確な点も批判
>されている(中には、教育機関としてはイマイチでも、研究機関としては優れて
>いるという大学も存在する可能性がある)。
>また、教育の質や社会奉仕など数値化されない、しにくいものが無視されること
>への批判。スコアではわずかな差でも、順位を付けることで大きく開きがうまれ
>ることへの批判。そしてピア・レビューといった透明性が確保されにくいものへ
>の批判。最後に、高等教育機関がランキングを重要視するあまり、ランキングに
>関係のないものを切り捨て、上位を狙えるものに特化してしまうといった可能性
>の問題がある。
もし、東工大がランキングのために、日本人学生を締め出し、外国人学生比率を100%にしたらどうなるか?あるいは、今回インタビューの学長だけを残し、すべて外国人教員にしたらどうか?
そもそも、学生を育成するには、先のブログの記事でteraさんが書き込んでくださったように、育成するだけの時間=熟成時間というのが必要といえないだろうか?6年を4年で飛び越すことができ、そうやって促成栽培した学生を切り口に、世界トップ10を目指す。それが、本当に、東工大という歴史ある、名門大学が目指すべき道だろうか?
人数を決めずに、優秀な大学生は短期で卒業・修了できる制度をつくることは大賛成である。しかし、そんなのどこの大学でもやっていることである。2年かかるMBAコースを1年で修了できる大学院なんて、いくらでもある。加えて、大学3年で大学院に進学できる大学院も既にある。この2つの制度を合わせ技として持つ大学がなかっただけである。ただ、それは、技術的にできても、学生の心身育成のためにやってこなかっただけかもしれない。
加えて、ランキングを目安にするということは、公的かつ全体的納得感がない限り、私がその昔はまっていた資格修得個数ランキングと同じように、そもそも学びには関係ないところのポイントを稼ぎ、玉石混交であったとしても数のみで判断するといった、形式的を繕うものになりかねない。
私の周囲の東工大出身者は総じて優秀な方々が多い。外に対してエネルギーを投下するのではなく、ランキングにはマイナス要素となるとしても、主として、日本国民にとって、生涯に渡って理系教育の恩恵を受けることのできるような、生涯学習の基地的存在になってくれるほうが、私としてはありがたいのだが。