本日、返却する『現代人の仏教』に書かれていた言葉。
p.46に「昔から「諦めは心の養生」ということわざがあるが、人生努力を重ねてみても、あとはいかんともしがたいことが多々あるのである。「諦観」は消極主義や敗北主義ではない。むしろ人生の英知の一つである」と記されています。何と含蓄のある言葉であろう!
鎌田茂雄先生の書かれた本ですが、残念なことに、もう既に先生はご逝去されています。仏教学の権威であられますが、特に、中国仏教については「神」ともいえる存在でしょう。
その昔(もう20年以上も前)、先生のご自宅にもお伺いしたことがあり、ご著書をいただきました。私と言えば、当時から物怖じしない性格だったので、そんな偉い先生とは知らず、ズカズカと先生のお宅に上げていただいたことを思い出します。本当に、膨大な蔵書があって、驚愕したのが昨日のようです。
本当、懐かしい思い出なのですが、鎌田先生のお力もお借りして、なんとか、論文を書き上げることができました。本当に、縁(えにし)はつながっているのですね。正直、私が本学で中国仏教特講を選択し履修したのも、先生のお名前が、参考文献としてシラバスにあったから。その中国仏教で100点満点の評価を得ることができたので、極楽浄土でも、大手を振って先生と再会できることでしょう。
今なら、ちょっとは仏教のお話にもお付き合いできるかもしれませんね、無論、まだまだ素人ですが。
p.46に「昔から「諦めは心の養生」ということわざがあるが、人生努力を重ねてみても、あとはいかんともしがたいことが多々あるのである。「諦観」は消極主義や敗北主義ではない。むしろ人生の英知の一つである」と記されています。何と含蓄のある言葉であろう!
鎌田茂雄先生の書かれた本ですが、残念なことに、もう既に先生はご逝去されています。仏教学の権威であられますが、特に、中国仏教については「神」ともいえる存在でしょう。
その昔(もう20年以上も前)、先生のご自宅にもお伺いしたことがあり、ご著書をいただきました。私と言えば、当時から物怖じしない性格だったので、そんな偉い先生とは知らず、ズカズカと先生のお宅に上げていただいたことを思い出します。本当に、膨大な蔵書があって、驚愕したのが昨日のようです。
本当、懐かしい思い出なのですが、鎌田先生のお力もお借りして、なんとか、論文を書き上げることができました。本当に、縁(えにし)はつながっているのですね。正直、私が本学で中国仏教特講を選択し履修したのも、先生のお名前が、参考文献としてシラバスにあったから。その中国仏教で100点満点の評価を得ることができたので、極楽浄土でも、大手を振って先生と再会できることでしょう。
今なら、ちょっとは仏教のお話にもお付き合いできるかもしれませんね、無論、まだまだ素人ですが。