クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

前田家に嫁いだ女・溶姫~クリン家ドライブ能登半島旅行・21

2017-08-14 | 旅行記

 名君のほまれ高かった5代はん(藩)主・「前田綱紀

の時に

つくられはじめた、

金沢・けんろくえん(兼六園)


 それが、現在の形に 近くなったのは、13代はん(藩)主、

前田なりやす(斉泰)

時だそうですが、

 彼が、けんろくえん(兼六園)のとなりに こしらえたのが、

 

血のつながらない

お母さんのための

いんきょ・やしき(隠居屋敷)

 せいそんかく(成巽閣)です (内部撮影不可)


 「父の正室のために、こんなすばらしいお屋敷を建てるなんて・・

さすがは、

儒学を重んじる家柄。。

 ここの広間、『敬』っていう字が大書きされた、掛け軸が

かかっているんだよ~。」

チットが言いました。


 しかし・・・、前田家のざいせい(財政)が

ゆたかでなかった

江戸末期、

わざわざこんな、「孝行御殿」を

たてたのは、

 (もしかして、あの人のことが かんけいしているのではなかろうか


クリンたち、

かんぐりました


 「あの人」というのは、将軍家から、前田家にとついできた、

やすひめ(溶姫、ようひめとも。)

のことです。


 やすひめは、子だくさんの11代将軍「徳川家斉

55人いる子どもの一人として

江戸で生まれました。


 将軍家は、27人いた姫たちを、「大名にとつがせよう」

としたので、

大名たちは

(どうやって、ことわろうか

当時、しんけんに

なやんだそうです・・。

 「将軍の娘なんか嫁いできたら、結婚式から新居から、

金がかかってしょうがない

 時に、くろふね・らいこう(黒船来航)の26年前

ばくふ(幕府)の力も

おちてるし

 今ごろ、将軍家とごえん(ご縁)をむすんでも、メリットなんか

ないのです


 しかし、このときの前田家は タイミングわるく

ことわれず、

やすひめが、

とついでくることに

なりました・・


 そのために、江戸の「加賀屋敷」につくられた・おこしいれ(輿入れ)門

が、

現在の「東大の赤門」

です。


 やすひめとのけっこん(結婚)は、やはり、

ばくだい(莫大)なお金が

かかりました。


 また、将軍家との しんせき(親戚)づきあいは

たいへんでした。。


 さらに、やすひめのシュウトメ(姑)になる、「前田家・前藩主の

正室」は

お公家さん出身

で、

 「この場合、どっちが上になるの」 という、

むずかしい・もんだい(問題)

もちあがりました。。


 身分の高い、つま(妻)と母・・

両方に

気をつかい、

13代なりやす(斉泰)

つかれてしまいます。


 やすひめは、わるい女ではなかったそうですが、江戸からついてきた

侍女たちが、

将軍家をかさにきて

やたら 

上から目せん(線)

 ・・・どうやら、奥向きは、いろいろなバトルが

くりひろげられた

しい


 そして、時はすすみ、ばくまつ(幕末)


 やすひめの産んだ子は、前田家のあたらしい・はん(藩)主に

なりますが、

 やすひめの実家・「徳川家」と みっせつ(密接)な関係と

見られた、

かがはん(加賀藩)は、

「反・徳川勢力」から とおざけられ、外様さい(最)大

ありながら、

 明治いしん(維新)後の かつやく(活躍)の場は

与えられませんでした。。


 かが(加賀)の人々は、「溶姫のせいだ あのお荷物女

と、おこり、

夫・なりやす(斉泰)も、

(溶姫と離婚しようかな)

かんがえたらしい・・。


 さらに、ばくふ(幕府)を完全にしょうめつ(消滅)させるための

ぼしんせんそう(戊辰戦争)

はじまると、

「江戸は危ない

ってことで、

やすひめが 

金沢にかえってこようとしました


ですが、


金沢につく直前、

 「こら溶姫のとりまき お前ら江戸の者は

金沢に入るな

引き返せ~~


かがはん(加賀藩)から

ことわられてしまい、

やすひめ・ピンチ

 

 

・・・・・


およめ(嫁)入りより

このかた、

だれよりも

大切にされてきたのに。。



 徳川のお供とわかれ、金沢に入った・やすひめですが、

手のひら返され

こりつむえん(孤立無援)

となり、

その後、

まもなく 亡くなっています・・。


 やすひめは、生前、前田家のよめ(嫁)として

どういう生き方を

していたのでしょうか?


 さまざまなそうどう(騒動)にかかわった、、とも言われてる

みたいですが、

やすひめが どんな性格だったか

については、

ほとんど 

伝えられていません。。


 しかし、やすひめと江戸の人々が、もう少し・けんきょ(謙虚)で

かしこく

立ちふるまっていれば、

さいごに

守ってもらえたのでは・・


甘くかんがえてしまう、クリンです。


だって・・・

 時代のしゅくめい(宿命)とはいえ、もし、良い子

守ってもらえなかったのだと

したら、

かわいそうすぎる。。


 このさい、同じょう(情)もわかないくらい、ワガママで、イジワルで、

身がって(勝手)

やすひめであればいい



クリンは、そう おもいました。








(その22、「金沢の名前の由来」に、つづく)
























 

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兼六園切手~クリン家ドライブ能登半島旅行・20

2017-08-13 | 旅行記

 さて、「日本三名園」として 天下にその名を

とどろかす、

金沢・けんろくえん(兼六園)

 

 それは、前田家が 心血をそそいでつくりあげた

ていえん(庭園)です

 

 「兼六」というのは、6つのすばらしい・けいかん(景観)

をさすことば

 

 すなわち、・宏大・ゆうすい(幽邃)・人力

・そうこ(蒼古)

・水泉

・ちょうぼう(眺望)

そなえることを

いみ(意味)するそうで、

 広いえん(園)内を 歩きまわると、それが

ひとつひとつ

わかる

 

というのだそうです。

 

 

 実はクリン、ここに来る前から、けんろくえんが

絵になるってことは

知っていました。

 

なんでか?っていうと、

 しんゆう(親友)チットが、小学生のころ、

しゅみ(趣味)で

あつめていた

切手の中に、

 けんろくえんの有名な・とうろう(徽軫灯籠)を

描いた

名画があり、

 チットもクリンも、それを見て、子ども心に

(わ~、ステキ~~

思っていたからです 

 

 ・・・しかし、あこがれをいだいて、以前、「冬の兼六園」を 

おとずれた

チットは、

足首までうまる・雪と

たたかいながら

 やっと、ことじどうろう(徽軫灯籠)の近くまでとうたつ(到達)・・


そして、

(・・これはちょっと、ヘビーすぎる。)

おもったそうです

 

(しかも、その20分後に大雪のため閉園しました)

 

 

これだけの

ステキなけしき(景色)を

じっさいに

けんろくえんで

見るのは、、

 そうぞう(想像)以上に たいへん(大変)な

ことらしい

 

 

 

 

 

 

 

(その21、「前田家に嫁いだ女・溶姫」に、つづく)

 

 

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兼六園でじぶそば~クリン家ドライブ能登半島旅行・19

2017-08-12 | 旅行記

 けんろくえん(金沢・兼六園)のお休み処は、桂坂口・付近を

中心に

全部で、12ヵ所

 みやげもの屋とかねた店、気がるなお団子茶店、かいせき(懐石)料理店

まで、

 えん(園)内だけでも、いろいろ・そろってます


 今回、クリンたちが行く場所は、決まってます

けんろくてい(兼六亭)っていう お店です 

 このお店は、むろうさいせい(室生犀星)の小説に

とう(登)場する・茶店

であるとともに、

「じぶそば」

という、

名物そばメニューを こうあん(考案)した

かっき(画期)的なお店

だそうです 


 

とり肉を、すだれふ(麩)や野菜とにこんだ・「郷土料理の治部煮」

が、

あたたかいそば、

冷たいそば、

つけそば、

とろとろと からまって

出てきます

(850円)


 「じぶうどん」も、できるらしい








(その20、「兼六園の切手」に、つづく)



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「伯爵の釵」泉鏡花の金沢描写~クリン家ドライブ能登半島旅行・18

2017-08-11 | 旅行記

 さて 百万石の中心地に やってきました

金沢じょう(城)です  (となりは兼六園


 金沢じょう(城)の場所には、もともと・一向宗の

「金沢御堂」があった


とか、

けんろくえん(兼六園)のまわり方 だとか・・・

 かいておいてもいいかな、と 思うこともあります。

が、

 これだけ、メジャーな かん(観)光地

 クリンごとき・初めておとずれた者が、いまさら

ガイドブックをなぞったところで、はじまらない 

 ここからは、金沢・一 知名度がある、文ぴつ(筆)家、

 いずみきょうか(泉鏡花)先生に、おでまし・いただき、


先生から、

おしろと けんろくえんの

周辺あんない(案内)を

していただくことに します


 「では、きょうか先生、おねがいいたします「あいよ。」




<泉鏡花「 伯爵の釵」(はくしゃくのかんざし)より、金沢部分・抄録>



舞台:大正時代の金沢

主人公:美人女優「紫玉」



 「 このものがたりの起った土地は、清きと、美しきと、二筋の大川、

市の両端を流れ、

真ん中に 城の天守なお高くそびえ、

森黒く、濠蒼く、

国境の山岳は重畳(ちょうじょう)として、湖を包み、

海に沿い、橋と、坂と、辻の柳、

甍(いらか)の浪の町を抱いた、北陸の都である。


 地方としては、これまで経歴(へめぐ)ったそこかしこより、

観光にあたいする名所が

夥しい、

と聞いて、

中二日ばかりの休暇を、

 紫玉は この土地に居残った。

そして、

一人でそっと、


町中を見つつ そぞろに来た。


 真っ先に志したのは、城の櫓(やぐら)と境を接した、

三つ二つ、

全国に指を屈するという、

景勝の公園であった。

     

 公園の入口に、樹林を背戸に、蓮池を庭に、柳、藤、桜、山吹など、

飛々に 

名に呼ばれた茶店がある。

 紫玉が、いま腰を掛けたのは 柳の茶屋というのであった。

が、

紅い襷(たすき)で、色白な娘が運んだ、

煎茶と煙草盆を袖に控えて、

さまで嗜むともない、

その

伊達に持った煙草入を 手にした時、


「……あれは女の児だったかしら、それとも男の児だったろうかね。」


と思い出したのはそれである。


<紫玉の回想>


  大通りは一筋だが、道に迷うのも一興で、そこともなく、

裏小路へ

紛れ込んで、

低い土塀から瓜、茄子の畠の覗かれる、

荒れ寂れた邸町

一人で通って、


まるっきり人に行合わず。

 

 低い山かと見た、樹立ちの繁った 高い公園の下へ出ると、

坂の上り口に

社(やしろ)があった。


 宮も大きく、境内も広かった。が、砂浜に鳥居を立てたようで、

拝殿の裏崕(うらがけ)には

鬱々たるその公園の森を負いながら、

広前は一面、

真空なる太陽に、礫(こいし)の影一つなく、

ただ白紙を敷詰めた

ありさま……

 

 横に公園へ上る坂は、見透しになっていたから、

涼傘のままスッと鳥居から抜けると、

紫玉の姿は 

色のまま鳥居の柱に 

映って通る。


 ……そこに屋根囲いした、大いなる石の御手洗があって、

青き竜頭から湛えた水は、

且つすらすらと玉を乱して、

颯(さっ)と

簾に噴き溢れる。


その手水鉢の周囲まわりに、ただ一人……

 その稚児が居たのであった。

 「娘さん、町から、この坂を上る処に、お宮がありますわね。」


「はい。」
「何と言う、お社です。」
「浦安神社でございますわ。」

と、片手を畳に、娘は行儀正しく答えた。


「何神様が祭ってあります。」

 「お父さん、お父さん。」と娘が、つい傍に、

蓮池に向いて、

(じんべ)という膝ぎりの帷子で、

眼鏡の下に内職らしい網をすいている半白の父を呼ぶと、

急いで眼鏡を外して、

コツンと水牛の柄を畳んで、台に乗せて、それから向直って、丁寧に辞儀をして、


「ええ、浦安様は、浦安かれとの、その御守護じゃそうにござりまして。水をばお司りなされます、竜神と申すことでござります。」


 「竜神だと、女神ですか、男神ですか。」


「さ、さ。」と老人は膝を刻んで、

あたかも

この問を待構えたように、

「その儀は、とかくに申しまするが、いかがか、いずれとも

相分りませぬ。

 この公園のずッと奥に、真暗な巌窟の中に、一ヶ処

清水の湧く井戸がござります。


古色の夥しい青銅の竜がわだかまって、井桁に蓋をしておりまして、金網を張り、

みだりに近づいては なりませぬが、

 霊沢金水(れいたくこんすい)と申して、これがために

この市の名が起りましたと申します。


これが奥の院と申す事で、

ええ、あなたさまが御意の浦安神社は、

その前殿と申す事でござります。


御参詣を遊ばしましたか。」

 「あ、いいえ。」と言ったが、すぐまた稚児の事が胸に浮んだ。


それなり一時 言葉が途絶える。


 森々(しんしん)たる日中の樹林、濃く黒く森に包まれて

城の天守は

前に聳(そび)ゆる。


 茶店の横にも、見上るばかりの槐(えんじゅ)榎(えのき)の

暗い影が

樅(もみ)楓(かえで)を

薄く交えて、

藍緑の流れに

群青の瀬のあるごとき、

たらたら上あがりの径がある。


滝かと思う蝉時雨。

 光る雨、輝く木の葉、この炎天の下蔭は、

あたかも

稲妻に籠る穴に似て、

もの凄いまで寂寞(ひっそり)した。 …… 」

 




 このあと、主人公「紫玉」は、けんろくえん(兼六園)下で、

こじきぼうず(乞食坊主)

呼び止められ、

 そいつの虫歯を、はくしゃく(伯爵)にもらった

お気に入りのかんざしで

チョッチョッ・・

ちりょう(治療)する


そんな

気色わるいはめに

おちいります・・



そして

その後、

かいい(怪異)が、、


みたいな、ストーリー。


それが、

『伯爵の釵』


です。


 ちょっと・なんかい(難解)だけど、どくとく(独特)のリズムで

よむ人を

むげん(夢幻)の世界に 

ひきずりこむ


きょうか(鏡花)先生の

金沢あんない(案内)・・


一度でも

金沢をおとずれたことの

ある人なら、

まぶたのうらに

各シーンが うかんでくることでしょう・・




「おまかせして、よかったね 「バッチリだったな。」








(その19、「兼六亭で治部そば」に、つづく)






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長町武家屋敷界隈~クリン家ドライブ能登半島旅行・17

2017-08-10 | 旅行記

 野村家住宅もふくめた・「武家屋敷群」は、

金沢でも いちばん・ふぜい(風情)のあるところ

 ぶけやしき(武家屋敷)の どべい(土塀)を 取り囲むように、

とうとうと、 キレイな用水が ながれてて

 うつくしい・・

気もちいい・・ 夏なのに、すずしい・・ 

 

 あるくだけで、大まんぞく・・

 

 (車でも、2周しました)※イチオシです!

 

 クリンたち、この場所を知って、

 

金沢に、ホレて しまいました 

 

 

 

 

 

 

 

(その18、「泉鏡花『伯爵の釵』で金沢案内」に、つづく)

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長町武家屋敷の野村家住宅~クリン家ドライブ能登半島旅行・16

2017-08-09 | 旅行記

 「たろう鬼川店」のとなりに、ミシュランで 「星2つ

ついた、

わだい(話題)のかん(観)光名所が あります

 

 のむらけ(野村家)住宅 です。

 

 「長町武家屋敷」の一角にたつ、この おやしき(屋敷)は、

ゆいいつ、「内部見学可能」で、 「写真撮影も可能」

武家やしき(屋敷)ってことで、

 かん(観)光客に、大人気

 こじんまりしたかんじの、2かいだて(階建て)で、

 ちょっと見、「武家屋敷」というより、「町家」のおもむきですが、

 中は、きふく(起伏)にとんだ つくりになってます


 ちゃしつ(茶室)あり、 

 つぼにわ(坪庭)あり

おざしき(座敷)あり、(広い

 客間あり、(リッパ

仏だん(壇)あり(さすが石川県)、

 しりょうかん(資料館)あり、(おしげなく見せてくれます!)

 コンパクトながら、池もあり

しっかりくつろげる、えんがわ(縁側)もあり

 それを上から 見おろせて

 光が はねまわるみどり(緑)に 囲まれ

 こい(鯉)およぐ、きらめきの池を

ながめ

したたる水音に、こころ・いやされ

 しき(四季)のうつろいを つぶさにかんじながら

 ここにくらしてた、住人の気もちになりきれる・・

 

そんな、

すみからすみまで

キレイな

お宅で、 

 大まんぞくできます (おすすめ








(その17、「長町武家屋敷界隈」に、つづく)


 

 

 

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尾山神社と、たろうの羊羹~クリン家ドライブ能登半島旅行・15

2017-08-08 | 旅行記

 ようかん、といえば、しにせ(老舗)の「伝統的・黒羊羹」

のみならず、

 金沢には、「茶菓工房・たろう」が プロデュースする、

チョコレート味や、ピーナッツバター味・・ といった、

 

 あっ と、おどろく「現代的羊羹」も あったりします

 

 「たろう」とは、あたらしいコンセプトの 和がし(菓子)を

発信する、

 今、女子に いちばん人気の「金沢のお菓子屋さん」

 こぎれいで、ハイセンスで、でしゃばっていない

金沢のイメージを

そのまま ぐげん(具現)化した、

 和洋せっちゅう(折衷)な、和がし(菓子)やさんです

 

 クリンは、以前、お友だちのジェマちゃんから 金沢みやげに

「たろう」のおかし(菓子)

もらい、

 「ナニコレ オッシャレーー」と、ビビリました

 なぜ このような、古い文化の根づくまち(街)で、

こんなにもモダンな和がし(菓子)が生まれるのか 

 

 

クリンにとって、

それは

せき(積)年の ナゾでした。

 

 

 しかし・・、このたび、金沢に 足をはこんだ

クリンたちは、

そのナゾをとく、カギを え(得)たのです 

 

 そのカギは、金沢中心部にある「尾山神社」で、見つけました・・・

 

 

<尾山神社>

 「加賀百万石の繁栄」の きそ(基礎)をつくった、

戦国大名の 

前田利家と、

妻・まつ

 ふたりをまつったのが、ここ・おやま(尾山)神社 なのですが・・

 

その、

「表玄関」ともいうべき

神門が、

 なんと 色ガラスの入った、「和漢洋・折衷スタイル

だったのです

 

(すごい、ざんしん・・) 

 

 ・・・これは、、

 

この、カラフルなギヤマンモザイクは・・

 

 まるで、「たろう」のゼリーがし(菓子)「もりの音」

では、

ありませんか

 

 この神門が、たてられたさい、みんな、すごくビックリした

そうですが、

 このまち(街)の人々は、この神門を 受け入れ、

いまとなっては、

「街のシンボル」みたいに

みとめている

らしい


・・・・・



古いものを古めかしくせず、みがきながら

 あたらしいものを、ひょいっと、入れてくる


そして、

それを

みんなが、うけ入れる・・


 この「金沢人気質」が、「たろう」みたいな、しんこうせいりょく(新興勢力)の

和がし(菓子)やさん

メジャーにしたんだな



 おやま(尾山)神社で、ハッケンしました








(その16、「長町武家屋敷・野村家住宅」に、つづく)



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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室生犀星と森八の羊羹~クリン家ドライブ能登半島旅行・14

2017-08-07 | 旅行記

 寺町通りと並行して・ながれる、さいがわ(犀川)は、

金沢を代表する、一本目の川 


(なに あのキレイなはし(橋)・・) 


 そこには、「犀川大橋」という、水色のキレイなはし(橋)

かかっています


 この川をあい(愛)し、川の名前を ペンネームにした

という、

「金沢三文豪」の一人、

むろうさいせい(室生犀星)

 大正~昭和に かつやくしたその作家は、

じつにここ、

さいがわ(犀川)のほとりで、生まれ育ちました 

 

 むろうさいせい(室生犀星)は、「加賀藩の下級武士」

だった・お父さんと、

下ばたらきのお母さん、との間に生まれました。

 のぞまれない子だったから、小さいころに お寺にやられて、

大きくなるまで

たいへん

苦労したそうです


(※写真は、犀星が暮らした雨宝院)


 彼の文しょう(章)には、苦労人のつよさと弱さ、こどく(孤独)が

にじんでいる


言われてるらしい・・。

 

 クリン、「室生犀星」なんて言われても、作品なんて

ひとつも

思いつかなかったのですが、、

 「ふるさとは、遠きにありて 思ふもの。」という

有名なし(詩)の

いっせつ(一節)を

きいて、

(あ~、これの人か~~ と、わかりました

 

 (生家跡にたつ、記念館に 行きます

 

 < 室生犀星 「抒情小曲集」より 小景異情 その二>

 「 ふるさとは 遠きにありて 思ふもの

 

 そして 悲しく うたふもの  

 

よしや うらぶれて 異土の乞食と なるとても  


 帰るところに あるまじや ・・・ 」

 

・・・・・

 

ホロっとする、

というよりも、

 後半は、いこじ(意固地)なまでに なにやら・けつい(決意)

してる

うた(詩)

 

 これは、さいせいが、まだ・むめい(無名)だった、若いころ、

 自分の苦しみをうたった・うた(詩)、だそうです。

 さいせい(犀星)は、20さい(歳)で上京しますが

なかなか・めが出ず、

 不安とざせつ(挫折)の中で、このし(詩)を よんだらしい・・

 おそらくは、「帰るところなんて、ないんだぞ!」と 自分に

言いきかせるため・・

そして

おそらくは、

「帰らないんだぞ!」

まわりに せんげん(宣言)するために・・

 

 とはいえ 東京の 夏のあつさは お手上げで

さいせいは

体ちょう(調)を

くずしてしまい

いったん、金沢に かえったみたいです。。

 

 「・・100年くらい前は、真夏でも すずしかったのかな 

金沢」 

 

今日なんて、東京より暑いぞ。」 (これじゃ、かえってこないかも・・)※ただいま、34度

 

 さいせいは、成功してからの晩年・20年間は、 金沢に

かえらず、

 さいがわ(犀川)のシャシン(写真)を見て、なつかしむ

だけだった そうです

 

東京でのくらしは、

かく(確)立されてるし

子ども時代の

かなしい

思い出もある 金沢の地に、

 

 わざわざ、かえる気もちにまでは、なれなかったのかもしれないな・・


クリンたち、

すいそく(推測)しました。

 

 でも ようかん(羊羹)にまつわる、さいせいの

エピソードをきいて、

 クリン、やっぱり、さいせいは、こみあげる・

こきょう(故郷)・金沢への

甘い思いが

あったのではないか

 

って、

あとから

おもったのです

 

 それは、金沢の「老舗和菓子店・森八」で、「黒羊羹」を買ったさい、

うちのチットが

はなしたこと・・

 

  室生犀星って、とっても甘党だったらしくて、

東京に来てからも、

夜の隅田川を見て

『羊羹のように流れている』

って

称えたんだって~。

 まさしく、言いえて妙 和菓子王国・金沢の出身だけある

巧みな表現だ

絶賛されたみたい

 芥川龍之介が金沢に来たときは、森八に 連れて行って

お汁粉で 接待してるし・・


残されている書簡からも

『羊羹くれ』とか、羊羹に関する私信が 多いそうだけど、


そのとき、

この森八の羊羹を イメージしてたかな?」(チット談) 


・・・・・


(それぞ、まさしく、ぼうきょうの念・・)

 

 さいせいは、きっと、東京でも おいしいようかんを

たくさん食べてた

だろうから、

 

すみだ川に なぞらえたのは、

 東京で買える羊羹だったのかも、しれない・・。


でも・・


さいせいが

昔、

毎日のように見ていた、

さいがわの 夜の黒々とした ながれは、、

 

 金沢のようかんのながれに、まちがいないのです

 






(その15、「尾山神社と、たろうの羊羹」に、つづく。)



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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寺町寺院群の役割~クリン家ドライブ能登半島旅行・13

2017-08-06 | 旅行記

 太平洋せんそう(戦争)中、空しゅう(襲)を まぬがれた

金沢市には、

 ちょっと・うら(裏)通りに入ると、古いまちなみが

のこっています

 「にし茶屋街」から、南大通をはさんで 向こうがわも、

しっとりとした・おもむきのある「寺町寺院群」・・  

 60あまりのお寺が あつめられた、この地区の中心的存在に

あたるのが、

こちらの「妙立寺」(みょうりゅうじ)です 


 妙立寺は、つうしょう(通称)「忍者寺」として 国内外の子どもたちに

人気のある、

にちれん(日蓮)宗の お寺 

 2かいだて(階建)に見えるけど、実は4かいだて(階建)

だとか、

 てき(敵)をあざむく・二枚戸や、

おとし穴、かくしとびらに

どんでん返し・・


などを そなえる、

からくりやしき(屋敷)です (予約すれば、中を見れます♪)


 このお寺がつくられたころの「加賀藩」は、「外様大名の最大手

として、

ばくふ(江戸幕府)から

目を つけられていました


「もしかしたら、徳川が難くせつけて攻撃してくるかも

という、

キケンな立場に

あったそうです


 前田家は、金沢じょう(城)を 守るため、町の3ヶ所に

こうした・寺院ぐん(群)を

つくり、

 いざ という時には、ここに 「藩士」を つめさせて、

げいげき(迎撃)のとりで(砦)に

しよう


考えたらしい・・


 今は、「忍者寺」なんて呼ばれて、「和製アミューズメント寺院」

として

おとずれる人を 

たのしませていますが、

 一国のぼうぎょ(防御)をになう、

キンチョー・はりつめる

ようさい(要塞)で

あったことは、


寺の内部に、


追いつめられたとき用の、

「切腹の間」があることからも、知れます  








(その14、「室生犀星と、森八の羊羹」に、つづく)

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にし茶屋街散策~クリン家ドライブ能登半島旅行・12

2017-08-05 | 旅行記

 さあ ついに、金沢市内に 入ります

まずは、「にし茶屋街」にいそぐ、クリンたち 

 なぜ にしちゃやがい(西茶屋街)なのか というと、

 「金沢の古い町並みをバックに、浴衣で記念撮影したい

という

 おにいちゃんのねがい(願い)を かなえるため

 

 ここ・「にし茶屋街」は、かん(観)光地化している「ひがし茶屋街」

ちがって、

お店が「茶屋」として 

げんえき(現役)なので、

 早朝なら、かん(観)光客が、だれもいない


人がいなくて、 

はいけい(背景)もバッチグ~ だからです


 「奇跡の一枚、撮ってね」(気合が入る・おにいちゃん)

「おにいちゃん、めずらしく 足はやい」 


 あっ あんなところで、ポーズとってる (見返りの松


どくだん(独壇)場です  (パシャパシャパシャ・・・


(・・ステキだよおにいちゃん (パシャパシャ・・


 「いや~、楽しいな もっといい撮影スポットないかな~

気げんよく

さがしまわる

おにいちゃんでしたが・・・


 「はーい。もうだいぶ撮ったから、撮影終わり 

おにいちゃん、駐車場行って着替えてきて


 このあとは、寺町・室生犀星記念館・武家屋敷跡・

尾山神社・金沢城・兼六園・金沢神社・・

と、

観光スケジュールが

目白押しなんだから


チットが 命じました


「・・おにいちゃんタイム、もう終わり

 「満足したでしょ。はやく、普通の服に着がえてきて

次は忍者寺いくんだから。」(チット)


・・まだ、奇跡の一枚、撮れてないと思うんだけどなあ。。」


といって

おにいちゃんは

ちゅう(駐)車場へ 

もどっていきました・・



おにいちゃんの

どくだん(独壇)場は、

 わずか・10分で おわったのです。。







(その13、「寺町寺院群の役割」につづく)










 

 

 

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山代温泉の部屋付露天風呂~クリン家ドライブ能登半島旅行・11

2017-08-04 | 旅行記

  クリンたちの、こよい(今宵)のお宿は「リブマックスリゾート・加賀山代」


 お手ごろ価格で、「露天風呂」付の

お部屋に泊まれる、

ホテルです


 クリン家一同、「みんなでひとつのお風呂に入る」という

ねんがん(念願)を

かなえるため、

 おふろ付の「エグゼクティブ・ルーム」を、リザーブしました。


「わあ~ベランダにおフロ

 「ベッド、フカフカ~~

 (ゴロロン・・ゴロロン・・)

 「ねえ おにいちゃん


ここの夕食ビュッフェ

って、

カニ食べほうだい(放題)が 

つくんだっけ


   (エッ  


 「レビューには、そんなこと書いてあったけどなあ。

今の季節は どうなんだろうね~?」



  (・・カ、カニ食べほうだい)  



 「とりあえず、夕はん(飯)の前に、さっそく・おフロ入ろっか


「さあ、みんなジュンビして(ガサガサ・・)


 ジャッパ~~ン (一番手は、水が大好きなゲンサイ)

「クリンたちも、いきます (ソロ~・・)


「・・・わあ~~  キモチいい~~~


 むしょく・とうめい・むしゅう(無色透明無臭) 

 きんにく・かんせつ・ひろう(筋肉、関節、疲労)・冷え

にきく、


やましろおんせん(山代温泉)


 「ごくらく・ごくらくだね おにいちゃん


 「・・あれ? カニミン、なんでお風呂に入らないんだ?」


「・・・・」 「はやくおいで~」



 あとできいた・話ですが、このとき、カニミンは、


「お風呂入ったら、ゆであがっちゃって

 ホテルのビュッフェで 提供されちゃう


おそれていたのです。。





 (そんなこととは知らず、露天風呂を満喫して、

さっさとあがる・クリンたち)



「あ~さいこうだったね  次は『大浴場』に行ってみよう

(ダダダダ・・)




(トゥルルル・・・

  トゥルルル・・・

 「え~、こちら・ミニクリン ビュッフェ会場、下見してます

郷土料理と、和洋中がいっぱいだよ

でも、越前ガニ食べ放題は

残念ながら

夏はやってない模様です


 「・・だって カニミン よかったじゃん

これで

安心して、お風呂に入れるよ」(チット)


 (・・・・・


 (サササササ・・・)

 

 ガサガサガサ・・・(←みずからビニールぶくろへ)

 

 

  (チャポーン・・) 

 

 (ごくらく・ごくらく・・

 

 

 

何はともあれ、

 家族全員で温泉入る、という 

 目的が達成されて、よかったな

 冬に来てたら、あぶなかった」(おにいちゃん)

 

 

 

 

 

(その12「にし茶屋街散策」に、つづく。)

 







 





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九谷焼に合う料理~クリン家ドライブ能登半島旅行・10

2017-08-03 | 旅行記

 金沢から ちょっと下がったところにある、「加賀・山代温泉」

 

 まち(街)の中心には、地元民が利用する「総湯」

と、

 明治時代の「総湯」を ふく(復)元した、「古総湯」

という、2つのおふろ(風呂) 

 そして、くたにやき(九谷焼)の かま(窯)が、あります

 

 きだい(稀代)の食通・「北大路魯山人」も、たいざい(滞在)した、

やましろおんせん・・  (ひなびた・じょうちょ)

 

 「魯山人っていえばさあ、『納豆食べるのに400回かき混ぜた』

って、

一時期、話題になってなかった~?

 九谷焼の納豆小鉢とか、売ってたら、記念に買おうか

チットが 言いました。

 

 

・・・・・・

 

 

「ナットウは、九谷やき(焼)に合わないと思う」


 「『美意識ないね』って、ろさんじんに、バカに

されちゃうよ


と、

クリン、

反対しました



うちにも、


小皿なら、あります九谷やき(焼) 


 九谷やき(焼)には、ナットウではなく、


ゴリのつくだに(佃煮)

とか

おくのが、

合ってる、って クリンは、思います 








(その11、「山代温泉の、部屋つき露天風呂」に、つづく)

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山中温泉の伝説~クリン家ドライブ能登半島旅行・9

2017-08-01 | 旅行記

 本日のお泊りは、「加賀・山代温泉」

 

 そのとちゅうにある、山中おんせん(温泉)は、


「舌切り雀の里

よばれているらしい・・。

 

(・・・・・・) 

 

 「ぎゃあああああ~~~~~~

 

 


「そんなのこわいよ早く通りすぎようよ「おいおい前が見えないぞ





 

(その10、「九谷焼に合う料理」に、つづく)

 

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