おはようございます。
今日もいい天気でどこかへ旅行に行きたくなる気分ですが、生憎、本日は医療通訳のお仕事が入っております
今日は、道後温泉の続きです。
思った以上に松山城に時間を費やしてしまったので、だいぶ間があいてしまいました
*坊っちゃんの間
中国では夏目漱石は有名?
ガイドや通訳をしてる中で、今まで夏目漱石の話題になったことはありませんが、魯迅が夏目漱石の作品を翻訳しているんですよね。それを実際、読んだことがあって、夏目漱石を知ってるよ~問人はどれくらいいるのでしょうか・・
私も魯迅の作品をたぶん読んだことある(大学で)と思うのですが、全く記憶にありません
文学という分野に全く興味がないもので・・
ただ、坊っちゃんの間を説明するときには魯迅を話に出すと知らなくても親近感はわくかもしれませんね
↓坊っちゃんの間です。1895年に松山に赴任した夏目漱石。その年の秋、正岡子規と利用したとされるお部屋です。
↓坊っちゃんの間からの眺めです
*又新殿
中国人観光客にはこちらの方が食いついてきそうです。天皇家のお話とか興味深く聞いてくれるので・・
又新殿ではガイドさんがいて案内してくれます。10分ほどの見学時間です。
なぜか、写真を全く撮っていなかったので、写真無しの説明のみとなります。
又新殿は1899年に建築された日本で唯一の皇室専用浴室です。
桃山時代の建築様式を模して造られており、豪華絢爛な造りとなっています。
木材、石材ともに上質な材料が使われています。
まず一階へ案内されます。
一階には洞の間、御湯殿、手洗いがあります。
洞の間・・・入浴するために浴衣に着替えるお部屋です。白くて薄い絹の浴衣を着られたそうです。
御湯殿・・・湯船です。石は香川県産の庵治石と呼ばれる、御影石の中での最上のものを使用しています。浴室として使われたのはわずか10回。1952年の常陸宮様の利用以降は使われていません。
当時は、湯量がまだ少なくて、宿泊されていた旅館に温泉が供給されていなかったので、又新殿まで来て入浴されたんですが、その後、湯量が増加し、旅館で入浴できるようになったため、又新殿は使われなくなったんだそうです。
天皇では昭和天皇が一回利用、大正天皇、昭和天皇が皇太子の時に2回来られており、後の7回は皇族の方が利用されました。
湯船は階段を下がる形になっていますが、当時は自噴だったため高いところまで汲み上げることがなきなくて、湯口の高さを地表の高さに合わせる必要があったそです。そのため、地面を深く掘って階段で下りる形となったそうです。
浴室の周りには道後温泉を最初に発見したと伝わる白鷺が彫られています。
手洗い・・・畳が敷かれています。便器(?)は黒漆が塗られています。トイレの下には箱がおかれており、その箱には砂が敷かれています。
用を足された後、その箱を引き出して便を調べて健康状態を確認したんだそうです。
ただ、入浴だけ済まされたようで、このトイレは使われなかったそうです。
2階へ上がります。
御成門・・・今使われている本館の玄関のちょうど反対側にこの門はあります。皇室のかたが来られた時のみ使用されました。
前室・・・白鷺の絵が銀箔地の襖に描かれています。銀箔は酸化してしまっていて今は黒くなっています。
御居間・・・天皇以外の皇族の方の休憩所です。二畳台と呼ばれる台の上に火鉢や座布団が置かれています。畳も最高級のもの、縁も高麗縁が使われています。襖は金箔地。天井は桐柾板の二枚重ねで槍で突いても貫けないのだそうです。
襖が破れたままになっていますが、これは国の重要文化財に指定されているので国の許可なく修復はできないからだそうですが、近く修復工事が行われるそうです。
玉座の間・・・天皇専用のお部屋です。壁・襖は金箔地。桐が描かれていますが、桐は皇室に縁があるものしか使うことができない高貴な模様だったそうです。
左手には武者隠しの間があり、警備の人が控えていたそうです。畳は最高級のもので、繧繝縁(うんげんべり)という縁が使われています。
また、天皇が座られたときに真ん中に畳の縁がこないように、畳の幅をせまくして、5枚敷いてあります。通常サイズだと4枚なのですが、ちょうど椅子の真ん中に縁がきてしまうそうです。(→すごい気配りですね~)
以上が又新殿の案内でした。
話を聞くのに必死で写真を撮ってなかったなんて
↓こちらが中国語の案内板です。たぶん、中国人が見学にきたらこれを渡すのだと思います。
(忙しい中、急いで撮らせて頂いたので綺麗に撮れてませんが)
以上、写真のない見にくいものとなってしまいましたが、初めて松山に行くガイドさんの参考になれば嬉しいです😊
今日もいい天気でどこかへ旅行に行きたくなる気分ですが、生憎、本日は医療通訳のお仕事が入っております
今日は、道後温泉の続きです。
思った以上に松山城に時間を費やしてしまったので、だいぶ間があいてしまいました
*坊っちゃんの間
中国では夏目漱石は有名?
ガイドや通訳をしてる中で、今まで夏目漱石の話題になったことはありませんが、魯迅が夏目漱石の作品を翻訳しているんですよね。それを実際、読んだことがあって、夏目漱石を知ってるよ~問人はどれくらいいるのでしょうか・・
私も魯迅の作品をたぶん読んだことある(大学で)と思うのですが、全く記憶にありません
文学という分野に全く興味がないもので・・
ただ、坊っちゃんの間を説明するときには魯迅を話に出すと知らなくても親近感はわくかもしれませんね
↓坊っちゃんの間です。1895年に松山に赴任した夏目漱石。その年の秋、正岡子規と利用したとされるお部屋です。
↓坊っちゃんの間からの眺めです
*又新殿
中国人観光客にはこちらの方が食いついてきそうです。天皇家のお話とか興味深く聞いてくれるので・・
又新殿ではガイドさんがいて案内してくれます。10分ほどの見学時間です。
なぜか、写真を全く撮っていなかったので、写真無しの説明のみとなります。
又新殿は1899年に建築された日本で唯一の皇室専用浴室です。
桃山時代の建築様式を模して造られており、豪華絢爛な造りとなっています。
木材、石材ともに上質な材料が使われています。
まず一階へ案内されます。
一階には洞の間、御湯殿、手洗いがあります。
洞の間・・・入浴するために浴衣に着替えるお部屋です。白くて薄い絹の浴衣を着られたそうです。
御湯殿・・・湯船です。石は香川県産の庵治石と呼ばれる、御影石の中での最上のものを使用しています。浴室として使われたのはわずか10回。1952年の常陸宮様の利用以降は使われていません。
当時は、湯量がまだ少なくて、宿泊されていた旅館に温泉が供給されていなかったので、又新殿まで来て入浴されたんですが、その後、湯量が増加し、旅館で入浴できるようになったため、又新殿は使われなくなったんだそうです。
天皇では昭和天皇が一回利用、大正天皇、昭和天皇が皇太子の時に2回来られており、後の7回は皇族の方が利用されました。
湯船は階段を下がる形になっていますが、当時は自噴だったため高いところまで汲み上げることがなきなくて、湯口の高さを地表の高さに合わせる必要があったそです。そのため、地面を深く掘って階段で下りる形となったそうです。
浴室の周りには道後温泉を最初に発見したと伝わる白鷺が彫られています。
手洗い・・・畳が敷かれています。便器(?)は黒漆が塗られています。トイレの下には箱がおかれており、その箱には砂が敷かれています。
用を足された後、その箱を引き出して便を調べて健康状態を確認したんだそうです。
ただ、入浴だけ済まされたようで、このトイレは使われなかったそうです。
2階へ上がります。
御成門・・・今使われている本館の玄関のちょうど反対側にこの門はあります。皇室のかたが来られた時のみ使用されました。
前室・・・白鷺の絵が銀箔地の襖に描かれています。銀箔は酸化してしまっていて今は黒くなっています。
御居間・・・天皇以外の皇族の方の休憩所です。二畳台と呼ばれる台の上に火鉢や座布団が置かれています。畳も最高級のもの、縁も高麗縁が使われています。襖は金箔地。天井は桐柾板の二枚重ねで槍で突いても貫けないのだそうです。
襖が破れたままになっていますが、これは国の重要文化財に指定されているので国の許可なく修復はできないからだそうですが、近く修復工事が行われるそうです。
玉座の間・・・天皇専用のお部屋です。壁・襖は金箔地。桐が描かれていますが、桐は皇室に縁があるものしか使うことができない高貴な模様だったそうです。
左手には武者隠しの間があり、警備の人が控えていたそうです。畳は最高級のもので、繧繝縁(うんげんべり)という縁が使われています。
また、天皇が座られたときに真ん中に畳の縁がこないように、畳の幅をせまくして、5枚敷いてあります。通常サイズだと4枚なのですが、ちょうど椅子の真ん中に縁がきてしまうそうです。(→すごい気配りですね~)
以上が又新殿の案内でした。
話を聞くのに必死で写真を撮ってなかったなんて
↓こちらが中国語の案内板です。たぶん、中国人が見学にきたらこれを渡すのだと思います。
(忙しい中、急いで撮らせて頂いたので綺麗に撮れてませんが)
以上、写真のない見にくいものとなってしまいましたが、初めて松山に行くガイドさんの参考になれば嬉しいです😊