先日のブログで、能『頼政』を紹介しました。クライマックスは、平家打倒の旗をあげるも、敗退した源頼政が、辞世の句を残し、自刃する場面です。
平等院の庭で、鎧を脱ぎ、扇を敷いてその上に座し、刀を抜いて果てる。平家物語がどの程度史実を伝えているかはわかりませんが、介錯人もいたといわれていますから、おそらく、切腹でしょう。武士道の代名詞のように言われる切腹の、最も初期のものであるのかも知れません。しかも、77歳という高齢。
「埋木(むもれぎ)の 花咲く事もなかりしに 身のなる果は あはれなりけり」
江戸時代の埋木菓子鉢です。
「奥州名取川名木 御菓子鉢」とあります。
共箱です。江戸時代の埋木細工は、非常に珍しい。
25.0cm x 14.5cm x 0.7cm
表は、丸く彫り込んで、菓子鉢(皿)に仕立てています。
裏側は、ざっと削ってあります。
木目が出ています。
節も生かされています。
埋木とは、樹木が、地殻変動や火山活動、水中の堆積作用などが原因で土中に埋もれ、長い間に変化した物です。水分が多い場所では、腐敗や風化が進みにくく、圧力や熱で圧縮変化し、炭化がある程度すすんだ物になるのです。土中の鉄分が浸透して黒褐色をおび、細工物に用いられます。神代杉も一種の埋木です。
名取川流域では、古くから良質の埋木がとれ、埋木と名取川がセットで、和歌に詠まれてきました。
詠み人しらず「名取川 せせの埋もれ木あらはれは いかにせむとか 逢見そめけむ」古今集
藤原定家「名取川 春の日数は顕れて 花にぞ沈む 瀬瀬の埋もれ木」続後撰集
寂蓮法師 「ありとても 逢はぬためしの名取川 朽ちだに果てぬ 瀬々の埋木」新古今和歌集
埋木はまた、「世間から捨てられて顧みるものもなくなった境遇の者。たよる所のない身」を象徴するものとして、和歌にも好んで取り入れられました。
冒頭の、源頼政の辞世の句は、そのうちで最も有名なものです。
他によく知られているのは、井伊直弼の埋木舎です。直弼は、十四男。彦根藩の藩主になれる身ではありません。そこで彼は、自ら埋木舎(うもれぎのや)と名付けた居所(現存)で、能、茶道、和歌など趣味に没頭し、出世や競争とは無縁の日々を過ごしました。茶道は本を出版するほどに極め、小鼓も相当の腕だったようです。
「世の中を よそに見つつもうもれ木の 埋もれておらむ 心なき身は」
しかし、皮肉にも上の兄たちが次々と死去したりして、直弼に藩主の座が回ってきたのです。その後、老中となり、安政の大獄をへて、桜田門外の変で命を落とします。この悲劇は、思うようにならない埋もれ木の身ながらも、「埋もれておらむ 心なき身は」(埋れ木も、うもれたままではいないぞ)と詠んで、捲土重来を期していた直弼の屈折した心情の中に潜んでいたのかもしれません。
井伊直弼は、本来、政治には向いていない人だったのでしょう。もし、埋木舎でそのまま一生を過ごしていれば、江戸後期の傑出した文化人として名を残したに違いないと思うのです。
直弼には、埋木が良く似合う。