遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

呉州手柿釉餅花手梅鳥紋中皿

2019年12月26日 | 古陶磁ー中国

呉州手柿釉餅花手梅鳥紋中皿(5枚)です。

先回の柿南京梅鳥紋中皿に、非常によく似ています。

普通、呉州(呉須)手と呼ばれている焼き物です。中国南部、福建省、広東省付近で、明末から清初にかけて焼かれた陶磁器群です。漳州窯が代表的窯です。

呉州赤絵といわれる焼き物を中心に、多量の陶磁器が輸出されました。積み出し港の名をとって、「スワトウ・ウェア」と呼ばれることもあります。

この手の焼き物は、中国にはほとんど残っていないと言われています。

呉州手の代表は呉州赤絵ですが、染付だけの青花大皿も大量に日本に入ってきました。

呉須手のなかで、数は少ないけれども、魅力的な焼き物が、餅花手です。瑠璃または柿色の器(主に皿)に、白釉で立体的に草花などを絵付けして焼いた物です。

正月用の餅飾りに似ているから、この呼び名がついたようです。

瑠璃餅花手と柿餅花手があります。柿餅花手の方が、数が少ないようです。

 

        径 15.4-16.8㎝。

5枚の皿の絵には、梅と思われる木と鳥(多分、鶯)が描かれています。わかりずらい絵もありますが、鳥も一匹ずつ描かれています。絵は、少しずつ違っています。5枚のうち2枚の皿には、上方に、丸く太陽(月?)が描かれています。

 

高台には、呉須手の特徴である砂が付着し、粗い素地が見えています。素地は、呉州赤絵など他の呉州手皿よりも、もっと鉄分が多く、柿釉自体と同じくらい濃い茶色です。

 

 

 

 

 

 

よく観察すると、この餅花手皿は5枚とも、白泥で絵付けした後に、透明釉をかけて焼かれていることがわかります。いわゆる釉下彩なのです。

この点が、呉州赤絵との大きな違いです。そのため、呉州赤絵皿の多くは、表面の色絵が、長年の間に擦れたり剥がれたりして薄くなっている物が多いのですが、餅花手のこの皿は、最初のままの状態を保っています。おそらく、呉州赤絵と同じように白泥で絵付けしたとしたら、分厚く色を置く白泥では、上絵付後焼成しても、簡単に剥がれ落ちてしまうでしょう。そのため、釉下に描く方法をとったのだと思われます。

柿色の鉄釉の掛け方は、かなりいい加減です。濃淡が極端であったり、掛かっていなくて素地が透けて見えている部分もあります。

やはり、雑器だったのですね。でも、その点が、詫び寂び意識に通じて、茶人に好まれたのかも知れません。

ものごと、何が幸いするかわかりませんね(^^;)

 

先回の柿南京梅鳥紋中皿との比較は、また後ほど。

コメント (2)
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