遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

能楽資料22 稀覯本『花伝書』(八帖花伝書)

2020年12月18日 | 能楽ー資料

今回は、江戸時代の『花伝書』です。併せて、明治に発行された『花伝書』も紹介します。

 

せ阿ミ『花伝書』(八帖花伝書) 二、六、八帖。江戸前期。

 

花伝書は、世阿弥の代表的な能芸論です。600年前に、このような演劇論が打ち立てられたのは、世界的にも他に例をみません。それは現在でも新鮮で、現代芸術に通じるものをもっています。また、人生訓として読んでも味わい深い。

しかし、今回の品は、その花伝書ではなく、現在は、『八帖花伝書』とよばれている花伝書です。

明治42年、吉田東御伍博士が、『風姿花伝』を発見し、『花伝書』として世に伝えるまで、何百年もの間、この『八帖花伝書』が『かでんしょ』であったのです。

 

『八帖花伝書』は、室町末期から桃山時代にかけて生まれたと考えられています。

内容は、世阿弥の理論(『風姿花伝』)の一部を取り入れ、さらに、鼓、笛など囃子を含め、能の広範な分野の実際的知識や技術的解説に重きを置いています。

このように、一般に受け入れられやすい記述であったため、能楽師から町人まで、幅広い人々に大きな影響を及ぼし、明治時代になっても版を重ねました。

 

『八帖花伝書』は、慶長年間(1596-1615)に、古活字版として世に出ました。その後、寛文5(1665)年に、平野屋佐兵衛によって、木版の出版がなされ、江戸時代、広く普及しました。

古活字本と整版本は非常によく似ていますが、寛文年間には、もう、古活字の時代は終わっています。また、『八帖花伝書』の古活字版には、奥付がありません。

今回の品は、「寛文五年乙巳九月吉日 平野屋佐兵衛開板」と最後に書かれています。

ですから、今回の『八帖花伝書』は、残念ながら古活字本ではなく、整版本です。しかも、八帖全巻の一部、二、六、八帖の3巻のみです(^^;  

      

         二帖(21丁)

                       

二帖は、調子を陰陽五行説によって説いています。

    能管についての記述も詳しい。

 

          六帖(35丁)

六帖は、能の演出や心得を、陰陽説、序破急などによって説いています。

 

          八帖(24丁)

 

 

八帖は、能の稽古の心得や手順などについて説いています。『八帖花伝書』の中では、世阿弥の『風姿花伝』が最も強く反映された巻です。

 

『花伝書』は、江戸時代だけでなく、明治になっても発行されました。

次の品は、明治後期、活版印刷で出された物です。

『花伝書』発行者 江嶋伊兵衛、績文舎、明治31年。

 

一帖から八帖が一冊(392頁)になっています。

当然のことながら、全部が揃っていない私の江戸版『花伝書』を補って、全体を見せてくれます(^^;

 

一帖は、「夫申樂延年のことわさ其源を尋るにこの國にはしまるところハ地神五代あまてる御神の御時に天の岩戸の神遊し給ひし時・・・・・・・」と、申樂(能)の起源から始まっています。

 

二帖は、江戸版の写真にあるように調子全般を扱っています。

 

能管についても江戸版の写真と同じ。

 

五帖は、とても興味深い絵が多数載っています。

 

 

世阿弥は、能の演技の本質は「ものまね」であると述べています。

それは、演者が登場人物になりきることを意味します。能ではそれを、謡いと所作で表現する訳です。

江戸時代初期に、伝えるのが難しい所作を、裸人間のイラストで表現する・・・これは、画期的なことではないでしょうか。

このように、『八帖花伝書』は、江戸時代から明治まで、能のまとまった成書としては唯一、数百年の間、多くの人々に支持されました。その影響は能にとどまらず、狂言や浄瑠璃にまで及んだといわれています。

現在では、ほとんど言及されることのない『八帖花伝書』ですが、再評価されるべき本の一つだと思います。

 

 

 

 

 

コメント (4)
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