遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

豊楽焼木具写梅鶯紋重箱

2021年05月05日 | 陶磁胎七宝

今回は、豊楽焼(とよらくやき)の木具写重箱です。

縦横 21.0x21.0㎝、高 10.9㎝。重 1676g。幕末。

黒く汚れた箱に入っていました。

書かれた文字が、かろうじて読めます。

「七◯写し 七寸大重」

「大喜豊助造 印」

大喜豊助:四代豊楽焼当主、豊助、文化十(1813)ー安政五(1858)年。

蓋:

写真では分かり難いですが、細かな地紋が漆細線で描かれています。

横:

反対側:

 

底には、木製漆塗りの盆や箱に特有の脚がついています。

「豊楽」の印が真ん中にあります。

漆面が鏡のようになって、周りを映しています(^^;

 

ところが、蓋をとると・・・

やはり、陶磁器ですね。

釉下に、梅と鶯が上品に描かれています。

 

一見すると、全く普通の木製漆塗りの重箱。そして、蓋をとると、陶磁器。この落差が大きな名品です(^.^)

先のブログで紹介した、木具写菊花紋菓子鉢と似た造りですが、今回の品は半陶半磁で、さらに分厚いのでずっと重い(1.7㎏)です。この器を差し出された客は、蒔絵の出来を褒めた後、蓋を手にして、びっくりするに違いありません。そして、内側の瀟洒な鶯の絵。驚く相手をしり目に、主人はしてやったりという顔です(^.^)

豊楽焼は、江戸時代後期から大正時代まで続いた焼物です。楽焼の茶碗をはじめ、京風の煎茶具、さらには漆蒔絵を施した陶磁器を数多く作りました。江戸後期、名古屋にはいろいろな焼物が登場しました。その中には、陶工の個人名を記したものがいくつかあり、豊楽焼もそのひとつです。豊助、豊八などの名をとって、こう呼ばれるようになったようです。

今回の品は、四代豊助の作で、銘と印がある共箱に入っています。このような形式の作品は現代の作家物には当り前ですが、陶工の地位が低かった江戸時代に、陶磁器本体だけではなく、銘と印を入れた箱に納めて商品化することは、極めて稀でした。どうして名古屋にこのような昨品が生まれ、百年以上も続いたのたのかははっきりしませんが、それを可能にする歴史風土があったことは確かだと思います。

 

 

コメント (4)
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