佐成謙太郎『謡曲大観』別巻(最終巻)です。
この巻は、『謡曲大観』全7巻の最終巻ですが、ボリュームは他の6巻とほぼ同じです。
この別巻には、蘭曲曲舞集と謡曲語句総覧の二つが収められています。
世阿弥は謡曲を、祝言、幽曲、恋慕、哀傷、蘭曲の5つに分類しています。そして、蘭曲は、他の4種の上位にあり、最高の芸位に達した者が自在な境地で謡う最も美妙な闌(た)けたる曲であると言っています。
能楽5流のうち、蘭曲の謡本を刊行しているのは、観世、宝生、喜多の3流です。この巻では、57曲を集録しています。そして、各曲について、3流のどの流派にあるかを◎で示し、由来の完曲名、作者とともに、一覧表にしています。
各曲は、いずれも短いものですが、その表記の仕方は、一巻から五巻までの謡曲についての方法と同じです。
まん中に、謡いの本文。
上欄に、難解語句の説明。
下欄に、口語体訳。
蘭曲集が現代口語体に訳されたのは、佐成謙太郎『謡曲大観』が最初です。
別巻のもう一つは、謡曲語句総覧です。
別巻の大半を占め、380頁もあります。
著者は、一巻から五巻までに掲載した337番の現行謡曲について、詳細な語句集を編んでいるのです。拾いあげた語句は、曲柄に関する事項、術語に関する事項、固有名詞、引用句、謡曲慣用語句・特殊文法、狂言詞など多岐にわたっています。これらを、五十音順に並べ、その語句が使われている謡曲名と謡曲大観五巻中の掲載頁が記されています。
謡曲語句総覧は通常の書籍の索引に相当するものですが、ここまで徹底して体系的に語句が集められると、単なる索引の域を越え、謡曲のデータべースとしても利用可能です。
「老」や「恋」で始まる語句は約1頁分。
「心なき・・・」「心の・・・」など、「心」で始まる語句は2頁にわたっています。
「神の・・」「神は・・」などの語句は、3頁の分量があります。
「月に・・」「月も・・」などは、3.5頁。
「花」ではじまる語句は、4頁と最多です。
以上、謡曲の中の語句の出現頻度を単純に比較してみたわけですが、謡曲(能)というものの成り立ちや性格がある程度浮かんでくると思います。
ブログで通算4回にわたって、佐成謙太郎『謡曲大観』を紹介してきました。これほどの大作を、一人で書き上げた事にはただ驚くばかりです。しかも、「書き上げるのに、さほどの年月を必要としなかった」(序文)と述べているのは、さらに驚きです。
著者の佐成謙太郎とは、どのような人なのでしょうか。
佐成謙太郎(さなりけんたろう、1890年5月23日-1966年3月4日)は、国文学者。滋賀県出身。京都帝国大学文学部卒。1924年女子学習院教授。戦後大東文化大学教授、鎌倉女学院理事長。中古・中世文学を専門とし『謡曲大観』全7巻、『対訳源氏物語』の業績がある。(Wikipediaより)
『謡曲大観』につづいて、『対訳源氏物語』を著わしています。全謡曲の口語訳だけではなく、源氏物語も対訳しているのです。この人は、大作に挑戦するのが得意なのでしょうか(^^; 『対訳源氏物語』は、『謡曲大観』と似た構成です。源氏48帖を、第一巻から第七巻に訳出し、八巻目の別巻には、源氏物語の概説、人名辞典、系図、年表、図録がまとめられています。あまりにも複雑な源氏物語ですが、この別巻を読めば、相当スッキリすると思います。とりあえず、別巻だけでも読むことにしましょう(^.^)
もう一つ驚いたのは、「夢幻能」という言葉を、佐成謙太郎が最初に使ったという事実です。
能は、現実の人間だけが登場する能と霊的な存在が主人公の能の二つに分かれます。
後者の能、即ちシテが霊的存在の能の多くは、前段と後段の二部構成です。まず、諸国をめぐる僧がある場所にやって来ます。すると、その地に住む謎の人物(里の女や老人)がやってきて、その土地にまつわる物語や自分の身の上を語り、去って行きます。
その夜、僧が亡き人霊を弔っていると、先ほどの人物が幽霊の形で再び現れ、ありし日の自分を回想し、舞いをまい、夜が白々と明ける頃、幻の様に消え去ります。と同時に、僧は夢からさめるのでした。
・・・井筒、江口、野宮、花筐、半蔀、夕顔、松風、忠度、敦盛・・・
このタイプの能は、世阿弥が最も得意とするもので、人間の内面を描きだし、掘り下げます。しみじみとした情感の中に、人間というものを深く省察させてくれる、能らしい能です。
このような能に対して、「夢幻能」という言葉をつくり出したのが佐成謙太郎です。大正15年11月15日、『国文学ラジオ講座』「能楽の芸術的性質」の中で、はじめてこの言葉を使ったと言われています(田代慶一郎『夢幻能』朝日新聞社)。そして、昭和5年、『謡曲大観』首巻『能楽総説』の中で、夢幻能について、詳しい解説を加えています。
「夢幻能」という言葉は、能の本質を直感的に理解できる語句です。そして、私たちは、「夢幻能」の舞台、或いは、その脚本である謡曲を触媒にして、幽玄の世界を自分の内につくることができるのです。