先日、mash1125さんが「田の神さぁ」についてブログをアップされ、えびの市の「田の神さぁ」を紹介されていました。
そういえば、故玩館にも「田の神さぁ」(タノカンサァ)がありました。
台座込木像:高 71.0㎝、幅 41.2㎝、奥行 18.7㎝。重 5.0㎏。木像部:高 66.2㎝、幅 23.3㎝、奥行 21.3㎝。幕末(文久元年)。
木彫の「田の神さぁ」です。この田の神像は、一本の木から彫られ、台座に固定されています。
「田の神さぁ」は、南九州地方を中心に、田の畔道端などに設置され、稲作の豊穣を祈ります。江戸中期頃から広まった民衆信仰の神様で、石彫りの像です。
今回の品は、木彫の「田の神さぁ」で、類例の稀な品です。
「田の神さぁ」にはいくつかのパターンがありますが、今回の品は最もポピュラーな農民型です。右手にすりこぎ、左手にしゃもじを持っています。いずれも、豊作を象徴します。
どこからみても、にこやかな表情です。
頭にかぶった傘は、男性のシンボル形です。これも、豊穣を祈る性信仰によるものです。
注目されるのは、裏に刻まれた文字。
「文久元年(1861)秋 五木村」とあります。
地域の祠に祀られ、大切にされてきたのでしょう。
五木村(熊本県)は、近年、ダム建設に揺れました。川辺川ダム建設の話しが持ち上がり、その渦中にこの「田の神さぁ」は流出したと思われます。にこやかなこの木像は、ダム利権に群がった政治家や官僚たちが、山河と人々の暮らしを荒廃させていく様子を、じっと眺めていたことでしょう。
・・これは・・故玩館にほこらをつくっておおさめしなければならないお方ではないでしょうか・・
少しかたむいているからか余計に生きていらっしゃるかんじがします!✨
故玩館の歴史民俗博物館編、好きです💛
まあ、故玩館自体が祠みたいなものですから、特別の場所ではなく、他のわけの変わらないものたちと一緒に、部屋の片隅に鎮座していただいています。
横浜の鶴見神社さまは、田の神様の祭りの復活に尽力されました。
故玩館の田の神様も男根。
豊穣を願う祭りは男女の結合を讃える内容もあります。
鶴見は旧東海道の要所でしたので、そういう祭りが開国して初めて日本を訪れる諸外国の方々の目に付きやすい。
明治政府は、そういう祭りをアニミズム丸出しで野蛮で野卑で恥ずかしいと判断して、全国で禁止令となったのでした。
世界中から川崎のかなまら祭りを観に来る熱気を思えば、特にどうともないはずだったのですが、当時の価値観は、ま、そんな感じだったのでしょう。
田の神様も、文化財ではなく田んぼのそばで見守りたいとこでしょうが。
良い1日でありますように(^^)/
五木村といえば、「五木の子守唄」の発祥の地ですよね。
五木村から、流れ流れて故玩館に辿り着いたのですね。
遠く、故玩館から、五木村の行く末を、温かい眼差しで見つめているように感じます(^-^*)
表情がにこやかで親近感のある神様ですね!
コレクターとしては文久元年の銘が良いないと思います笑
いつから存在しているのか素性のはっきりしている良い神様ですね(^^)
とても良い話しだと思いました。
ダムの話しは、すったもんだの末、中止になりました。しかし、最近、また、ダム構想が出て来て、先行きは不透明です。
二転三転する公共事業計画に振り回されるのは、いつの場合も、普通の人々です。
おおらかで屈託のない雰囲気は、民衆芸術そのものです。
つらい時でも、この顔をみていると、癒されます(^.^)
五穀豊穣、子孫繁栄^^
のどかでほっこりとされたいいお顔立ちですね。
楽しいお宝を拝見でき、にこにこしています。
性のシンボルを、笑いとばすほどの健康的なエネルギーにあふれています。
昔の社会は寛容で包容力があったのですね。