高麗象嵌青磁の小皿、5枚です。
径 10.7㎝、高台径 4.0㎝、高 2.4㎝。高麗時代。
他の4枚の写真を以下に示します。大きさ、形はそれぞれ多少の違いはありますが、基本的には最初の皿と同じです。
2枚目:
3枚目:
4枚目:
5枚目:
この小皿たちに出会ったのは、25年前、大阪老松の骨董屋です。
いつものガラクタ類よりはかなり高額でしたが、高麗青磁の小皿は少ない、しかも同手が5枚揃うことは稀だ、と耳の奥でささやく声に負けました(^^;
5枚とも、かなりぞんざいな造りです。こういうのは、陶磁器生産の創生期、あるいは末期に見られます。私としては、創生期の品であって欲しい(^.^)
アバウトな造りではありますが、よく見ると無疵、しかも使用痕が全くありません。もちろん、発掘品ではなく、窯から出てきた物をそっくりそのまま持ってきたかのようです。高級品ならいざしらず、数百年前の朝鮮半島の日用品がこのような状態で日本にあるのが不思議です。
皿の表と裏に重ね焼き時の大きな目跡があります。小皿なのでずいぶん目立ちます。
青磁は、盛期の翡翠色ではなく、透明な薄青色。所々に赤茶けた地肌がのぞいています。鉄分の多い土を使っています。
裏側には、圏線が2-3本彫られていますが、削った陰刻線のままの皿もあります。
別の皿では、
陰刻線の中に、白泥が入っています。
それに対して、表側は、どの小皿にも細かな白模様がビッシリと施されています。
器体表面を細く削り、そこへ白泥を入れ、釉薬をかけて焼成した象嵌青磁です。
特に、細かな模様が連続している物を、日本では三島手とよんで愛好されてきました。呼称の由来には諸説ありますが、有力なのは、細かな象眼模様が三島神社で出されていた三島暦に似ているところから三島手(三島暦手)と呼ばれるようになったらしい。
三島暦は、仮名文字で書かれた暦で、日本で一番古い暦だそうです。確かにこの暦は、細い仮名文字がリズミカルに縦書きされていて、少し離れると、縄のような模様に見えます。
箱には、「縄目鶯(?)皿 五」と書かれているではありませんか。
おお、これは、縄目模様なのです。それがズラッと並んでいます。まさに三島暦。
すると、ぞんざいな造りのこの小皿たちは、元祖「三島手」か!?
三韓高麗現開城府ニテ製陶セシモノ
ニシテ今ヨリ凡六百年ヲ経過セリ。吾朝応
応神帝ノ頃ニ当ル。此品古来ノ渡来
ラシク保存充分タリシト見ユ。
昭和十二年九月誌
箱書きの主は誰かわかりませんが、昭和12年といえば、朝鮮半島の陶磁器がまだ一般にはほとんど知られていない時期です。しかも、箱自体は箱書きよりもずっと古く、明治以前の物のようです。「此品古来ノ渡来ラシク・・」とあるように、この小皿たちはずいぶん昔に日本へきたのですね。
このぞんざいな造りの高麗象嵌小皿は、茶道具の一つだったのでしょうか。
当時は、まだ、大阪の老松の骨董屋も格式高かったですよね。今では、ずいぶんと勢いがなくなってしまったらしいですが、、。
私も、老松通りには、17~18年前に2度ほど行ったことがあります。
さすがに、その辺の骨董市にある物とは格が違うようですね(^_^)
それに、「高麗青磁の小皿は少ない、しかも同手が5枚揃うことは稀」ですよね!
もう、なかなか手に入らないでしょうね(^-^*)
ただ、箱書きでは、高麗時代を、「吾朝応応神帝ノ頃ニ当ル」と書いていますが、それは古く書き過ぎでしょうか(~_~;)
それでは、ちょっと、時代が合いませんよね(^_^)
サバをよんで、箔をつけようとしたのでしょうか。
応神帝なんて、古墳時代ではないですか。
須恵器か新羅土器ならいざしらず、その時代の青磁象嵌が発見されたなら、世界的大ニュースです(^^;
東京の骨董屋では、ずいぶん嫌なめにあってきましたから、田舎モンにも老松は少しホッとします(^.^)