先回のブログで、南洋の小島、木曜島で使われていた祭礼面を紹介しました。
南洋の小島!?・・・そういえば、古い掛軸があったはず。
掛軸の山をかきわけかきわけ、思いあたる品を見つけました。
「大正九年日本ノ管理トナリシ際親しく視察シテ写ス」と書かれています。100年以上前、誰かが記録したのでしょう。
掛軸はボロボロです。
幸いにも、貼ってある10枚のスケッチは全部良い状態です。
「南洋諸島スケッチ」とあります。
右から順次、見ていきます。
「トラック島土人ノ妻パンノ實を蒸シテ餅ヲ製造スル處」
「土人の妻パンの實を蒸して餅を製造スル圖」
大きさ:12.3㎝x20.4㎝。大正9年。
以下の図も同じ。
「ヤップ二於ケル西ノ班牙時代城址二シテ今ハ我守備隊ノ所在地ナリ」
「パウラ群島ノ大酋長アイバドル」
「ポナペ港入り口ジョカージノ〇岩(パイパラップ)」
「アンガウル島二於ケル燐礦逓搬鉄道ト採ル堀場ノ中央二アル大榕樹」
「ポナペ二於ケル西班牙領時代ノ城壁木鐸ト椰子葉腰巻飾」
「クサイ島酋長邸宅今は分遣隊ノ所在地人物ハ酋長ノ令嬢」
「塚村兼吉ノ独逸人二拘禁セラレシ處床下ナル赤色ノ附シテアル箱二六ッノ空気ヌキ穴アリテ箱中二拘禁セラレタリト云フ」
「ヤルート島土人ノ家屋赤色ナル小屋ノ如キモノ・人の住所」
「クサイ島二於ケル古城址」
この品に描かれたのは、すべてミクロネシア小島の100年前の情景です。
特に、最初のスケッチ「島の女がパンの実を調理している図」の舞台は、先回のブログで紹介した木曜島のあるチューク諸島です。
この絵を見ていると、先回の仮面は、メラネシアの木曜島ではなく、日本軍の要塞があったミクロネシアの木曜島の可能性もあると思えてきます(^^;
トラック島:チューク諸島。木曜島もその一つ。
パウラ群島:パラオ諸島
ヤップ島:ミクロネシア連邦西端の島。土着文化が今も残る。
ポナペ島:ポンペイ島。カロリン諸島の一つ。ポナペ港が主要港。
クサイ島:ミクロネシアの東端、グアムの南。
アンガウル島:パラオ諸島南の小島。
ヤルーノ島:マーシャル諸島の一つ。
パンの実:クワ科の植物。ブレッドフルーツともよばれ、実はジャガイモに似た食感がある。熱帯地方を中心に、世界中で栽培されている。
パイパラップ:ポナペ島にある巨大な岩。ソケース・ロックと呼ばれ、現在は島の第一観光スポット。
榕樹:ガジュマル
塚村兼吉:大正3年、岡山県人塚村兼吉は、神戸の独逸人商会に雇われ、石炭や食糧を満載したドイツ船で南洋へむかったが、ドイツ軍にヤルート島で拘禁された。
牙領時代:ポルトガル領時代。葡萄牙=ポルトガル。
でも、それが何十年か後に南洋仮面と結びつくとは、お釈迦様でも気がつくめー、と思わず頬を緩めているのです(^^;
チットさんのお仕事と重なる部分ができて、うれしいです(^.^)
「塚村兼吉って何なの!?」と言いながらさっき調べていました~
珍品ですね!!さすがちせいさまのコレクション💎✨✨
その頃に、誰かがスケッチした物が、まわりまわって、私の所へ来ました。
なんでこんな物を買ったのか、よく覚えていません(^^;
大正8年に日本の委任統治領になったことを知りました。
とは言え、この辺りは太平洋戦争の激戦地なんですよね~・・・
それ以前ののどかで平和な生活が描かれている点でもこのスケッチは価値があるんでしょうね。
現在は観光、昔は産業、軍事。
今でも、日本語を話す人がいるそうです。
こういう小島の日常を100年も前に記録した資料は少ないです。
オーストラリアの木曜島なんて、よくも明治に南半球まで真珠貝を採りにいったものだと思います。
お話がだんだん太平洋を下がって来ていて、親しみを感じます。
パンの実を調理している姿も初めて見ました。おばさんも生き生きしていますね。今でも近所にいそうです。
あまり知られていないですが、ちょうど第一次世界大戦が起こる時、日本が連合国側で参戦し、ドイツ領であった南洋諸島を占領したのですね。
その後、第二次世界大戦では、まれにみる激戦地になってしまいましたから、元々島に住んでいた人たちは悲惨な目にあってしまいました。
このボロ掛軸は、歴史の証人ですね。
素人にしては上手すぎます。
私も半信半疑で入手しました。
ここにきて、仮面と結びつくとは思いもよりませんでした(^^;
プロの従軍画家が描いたものでしょうか、、、。
当時の良い記録でも有りますね(^_^)
紙の保存状態がとてもいいですね!
ささっとスケッチしたとはおもうのですが上手ですよね。
大首長の上着は日本軍がプレゼントしたものでしょうか??物語が想像されておもしろいですね。