遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

石皿の落とし穴

2020年08月11日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

四階の松が描かれた石皿です。

        径 27.8㎝、高 4.8㎝、高台径 14.0㎝。

 

 

器形や土、釉薬などは、標準的な石皿のものです。

 

一本の松が、鉄釉と呉須で描かれています。

この図柄は、瀬戸の絵皿によく見られるものです。

松の幹は、筆で下から上へ一気に描かれています・・・

・・・が、よく見ると、筆を4回ほど止め、そこからふたたび進めています。

 

特に不自然なのはカスレ。どうやら、カスレを出すために力を抜いています。書でもそうですが、自然なカスレは、筆の勢いによるものです。

松の幹は、一気に描かれたのではなく、描き手の作為がためらいとなって筆の運びに表れていると思います。

 

もう一つ不自然なのは、目跡です。

雑器ですから、重ね焼きするときに窯道具の位置を、いちいち気にしていては仕事になりません。ですから、目跡は、描かれた図柄には関係なく、リズミカルに並んでいます。

この皿には5個の目跡がありますが、いずれも空白の部分にあります。つまり、重ね焼きをする時、絵の部分を避けて窯道具を置いたと思われます。

ある骨董屋の親爺の言葉が思い出されます。

「偽物の目跡は、微妙に絵を避けている」

これは真実でしょう。なぜなら、この親爺は、その昔、美濃の某窯元に、贋石皿を作らせていた張本人なのですから(^^;

「どうして、贋物をつかんでしまったのか?」ですか。

それはもう、値段です。確か、野口英世さんが4枚、相場の五~十分の一ですね。

こんな失敗は数限りなくあります。骨董の泣き笑いでは、泣きの方が圧倒的に多いのです。そのわりに、ブログでは良い品が ・・・・・・・ 骨董はパチンコと同じなのです。出ない時の方が圧倒的に多いのに、出た時の事しか話さない(^^;

 

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大皿12 道成寺石皿

2020年08月09日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

非常に大きな石皿です。

この品については、過去のブログで一度取り上げました。

今回、大皿として、見直してみました。

径 37.5㎝、高 9.2㎝、高台径 19.5㎝。 明治~大正。

 

器形は、典型的な石皿です。

先回の黄瀬戸?石皿より一回り以上大きく、石皿としては最大級でしょう。

 

石皿に特有の外周鍔部は太く、がっちりと作られています。

 

高台も力強い造りです。

焼成中にできたひっつきは、ご愛嬌。

 

この皿の特徴は、何といっても絵付けです。

 

非常に奇妙な図柄です。

石皿の絵には、いくつかのパターンがあります。一番多いのは、動植物を簡略化して、皿いっぱいに大きく描いたものです。中でも、人物や文字を描いた物は珍重されます。

しかし、この皿には、そのいずれにもはいらない不思議な絵が描かれています。

 

下半身は人間、頭は龍?の怪獣が、

男を追いかけています。

 

まん中には、上から下へゆらゆらとした曲線が・・・・・

よく見ると、曲線に沿って、非常に薄い呉須で青色がつけてあります。これは、川の流れではないでしょうか。

怪獣と男の腰の付近は、薄く鉄釉が塗られています。服のつもりでしょう。

流れに沿って二つある花びらのような模様は、炎をあらわす?

「!これはひょっとして」と、あれこれ探すうちに、よく似た構図の絵に行きつきました。

道成寺縁起絵巻(国重文、『続日本の絵巻』中央公論社)

安珍・清姫伝説の一場面、旅の若僧侶、安珍に恋した清姫が、自分を捨てた男を追いかけて日高川を渡るところです。怒りのあまり、女は蛇へと変身し、火を噴きかけています。僧は、道成寺に逃げ込み、鐘の中に隠れますが、大蛇は鐘に巻き付き、怒りの炎で焼いてしまいます。

石皿には判じ絵はよくありますが、このように物語の一部を描いた物は他に例をみません。

どうして、このような皿が作られたのでしょうか?

まず考えられるのは、贋物です。

しかし、贋物は基本的に人気のある物のコピーです。鯛や兎、松、人物の珍柄など、人の目をパッと引く品でなければ意味がありません。こんな訳の分からない物を作っても商売になりません(^^; 

それに、贋物作りでは、どうしても筆がぎこちなくなります。一方、陶工の筆は、ほとんど自動的に走ります。描線の走りをみれば両者の違いは一目瞭然です。この皿の絵付けは、絵を描き慣れた人の手になるものです。

ここで疑問が?

「瀬戸の伝統的絵柄ではない道成寺伝説の図を、陶工の裁量で描くだろうか?」

ここからは、私の推量です。

幕末から明治、大正にかけて、多数の有名無名の文人画家たちが、絵修行を兼ねて全国を旅していました。たいていは、地方の素封家の家に逗留し、お礼に書画を残していきました。今回の品も、そういった絵心のある人の手になるものではないでしょうか。絵から、受ける近代的な雰囲気も、画家の手すさびなら納得できます。

今回の石皿は、長い間、私にとって謎の品でした。能の道成寺について調べものをしている時に、ハッとひらめいたのです。

私の持っている物は、訳の分からないガラクタばかりですが、時に、「おお、そうか!」となります。こうやっていろいろな結びつきができるのが、ささやかな愉しみなのであります(^.^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大皿11 黄瀬戸?石皿

2020年08月07日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

瀬戸の石皿です。

この品は、以前のブログで簡単に紹介したことがありますが、今回、瀬戸の大皿として詳しく見てみます。

全体にがっしりとした造りで、外側に太い鍔があるのが石皿の特徴です。

径 32.0㎝、高 5.3㎝、高台径 15.㎝。 江戸後期。

 

江戸後期に瀬戸で焼かれた日用雑器(石皿、行燈皿、馬の目皿、絵瀬戸)の中で、一番がっしりとした皿で、実用本位の品物です。

現在、軽妙な絵付けのある石皿が珍重されますが、実際に焼かれた石皿は、ほとんどこのように、全体に灰釉を掛けただけの無地の皿です。

この品は、長年酷使され、満身創痍です。

実はこの皿、故玩館を改修した時、床下から出てきた物です。100年以上たって、文字通り日の目を見たわけです(^^;

典型的な石皿ですが、灰釉の色が黄色がかっています。

これくらいの色調になれば、黄瀬戸といっていいでしょう。もちろん、桃山時代に美濃で焼かれた本家の黄瀬戸に及ぶべくもありませんが、黄瀬戸の黄色は、灰釉の酸化焼成によって出来た色です。無数の灰釉陶器のなかには、黄瀬戸調のものがあっても不思議ではありません。

 

灰釉が黄色の筋となって流れて、景色を添えています。

 

びっしりとしたジカンも、味のひとつ。

 

無造作に大きく付いた目跡(窯道具のくっつき跡)は、時代が遡る事を示しています。石皿も、他の多くの焼物と同じように、時代がたって洗練されるにつれ、目跡は小さくなってくるからです。

市場的には、ほとんど価値をもたない、素の(絵のない)石皿ですが、見方を少しかえてやれば、それなりに味わい深い物にかわります。

たいした物を残してはいないご先祖様ですが、また他の品もボチボチ紹介していきます(^.^)

 

 

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大皿10 七宝花鳥紋大皿

2020年08月05日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

今回は、陶磁器ではなく、七宝の大皿です。

 

 径 35.8㎝、高 5.2㎝、高台径 19.3㎝。 明治時代。

 

明治時代、日本の工芸技術を生かした殖産興業が盛んになりました。その一つが七宝です。

胴のボディに数㎜幅の銅(銀)リボンで細かな縁取りをし、そこへ七宝釉をさして焼き上げた工芸品です。この時期、膨大な量の七宝が欧米へ輸出されました。

ブルーの地に、鳥と花々が映えています。

いかにも、明治という時代を感じさせる作品です。

 

          ムクゲ(フヨウ)

      小鳥(インコ)

           菊

            菊

               菊

 

七宝の価値は、精細な技術と卓越したデザインにあります。

その観点からすると、この品は特に優品というわけではありません。普通程度の品ということになります。

 

裏側は、青海波がぐるっと取り囲んでいます。

 

裏側には、壁につるすためのフックとホルダーが付いています。あきらかに、里帰り品ですね。

 

実は私は、このような金属ボディの普通の七宝ではなく、陶器や磁器に七宝を施した陶磁胎七宝を集めています。普通の七宝に比べ、数が圧倒的に少ないので、収集ゴコロがムズムズとしてくるわけです(^^; 

陶磁胎七宝については、いずれまた、ブログで紹介します。

今回の品は、比較のために展示してある物です(^.^)

 

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大皿9 絵瀬戸鳳凰紋大皿

2020年08月03日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

ここ数回、絵瀬戸のあれこれを紹介してきましたが、元々は大皿シリーズでした。そこから脱線して、在庫セールのようになってしまった訳です。ここいらで、元へもどりましょう(^^;

今回は、巨大な絵瀬戸皿です。

 

径 47.2㎝、高 7.9㎝、高台径 26.5㎝。 江戸後期。

 

見込み中央に、大きな鳳凰が鉄釉で描かれています。

線のタッチは、通常の大きさの絵瀬戸皿と同じです。

 

マンガチックな鳳凰です。

 

外周には、吉祥紋が配置されています。

 

かなり時代を感じされる高台と土で、江戸期の絵瀬戸と思われます。

 

時代箱に入っていました。

前の所有者が「志野織部鳳凰紋大皿」とのラベルを貼っています。

志野は、元来は、穴窯で焼かれていて、鉄釉で描かれた素朴な絵が、半透明の長石釉を通してぼやっと浮かびあがる優雅な焼物です。志野織部は、その後、熱効率の良い連房式窯に変わって上釉の透明度が増し、鉄釉の絵付けがはっきりとするようになった物をさします。

このどろっとした釉調をみて、おお、志野織部!と前所有者が早合点したのかもしれません(^^;

桃山~江戸初期に、こんな巨大な志野焼は焼かれていません。もしあれば、それこそ大発見、恐ろしいほどの値がつくでしょう(^.^)

 

で、手持ちの資料を漁ってみると・・・

   絵瀬戸鳳凰紋皿 (江戸後期、径 37.4㎝)

ありました。よく似た図柄の皿が載っています。この絵瀬戸皿は、他の資料『瀬戸の古陶磁』(光琳社出版)にも載っています。有名な品なのですね。

私の巨大皿と本に載っている絵瀬戸皿を較べると、両者のモチーフはほとんど同じですが、本の皿の描き方の方が丁寧です。また、竹や草花などは、私の皿では描かれていません。

今回の私の皿は、本に掲載の品と同じく、江戸後期、瀬戸の品野窯で焼かれた絵瀬戸鳳凰紋皿に違いありません。絵付けはやや簡略化されていますが、本掲載の品よりも、一回り以上大きな皿です。

絵瀬戸としては、最大級の品でしょう。

普通の絵瀬戸皿と比べると、その大きさがきわだちます。江戸後期には、伊万里でも大皿が焼かれていますから、この皿も、それなりの需要があったのでしょう。

しかし、使用された形跡はありません。大切に保管されてきたのでしょう。

今では持ち運びもままならない大皿ですが、私の所で保管が継続されることになります(^.^)

 

 

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