遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

gooブログ2周年 加納鉄哉『古面尽炉塀』(遺作、市川鉄琅旧蔵)

2021年07月08日 | 古面

 今日は、gooブログに移ってから丸2年です。正確には2年と1か月。ひと月、勘違いをしていました。編集画面の「ブログ開設から◯◯日」をしっかりチェックしておかねば(^^;

今日の一品は、明治、大正に活躍した彫刻家・画家、加納鉄哉作の『古代面尽炉塀』です。煎茶の品です。

四曲屏風:30.2cm x 124.0cm(全開時)。大正14年。

 

30.2cm x 29.8㎝ x 8.7㎝(畳んだ時)

 

弟子の市川鉄琅による箱書きがあります。昭和元年、鉄哉が亡くなった翌年です。

 

それぞれの面に、古代面が二つずつ、裏と表で計16種の古面が描かれています。

 

 

かなり凝った竹が使われています。枠木の材についても、専門家に教えてもらったのですが、記憶が飛んでいます(^^;

 

古記云 法隆寺 什宝 伎楽面之一

            鉄哉筆 花押

 

吉野山勝手神社蔵 財天女面

 

伊豆 三島神社 天部之面

 

東大寺公物 伎楽面

 

正倉院御物 伎楽面 三十一種之内 木彫

 

神護寺旧蔵 追儺面

八幡大菩薩 御宝前 元暦二未 二月九日 僧真隆

 

古記云 元興寺什物 伎楽面

 

集古十種所載 大和信貴山 所傳 舞楽面

 

もう一方の側です。

 

陵王面(他にも金文字で何かが書かれているのですが、薄くて読めません)

 

太秦 広隆寺蔵 伎楽面十六個之一 天女之面

 

東寺什宝 伎楽面 本?僧勝?願主 別当

三条法眼入道良?観  花押

 

法隆寺伝来 伎楽面

 

正倉院御物 伎楽面之一

 

元興寺旧蔵 執金剛神面  木彫

 

一刀彫 伎楽面 談山神社妙楽寺宝什

 

田楽面 小倉二尊院蔵  

端に、弟子の市川銕琅による一文が書かれています。

先師銕哉先生字 
画竹図未成而帰
干道山◯依福◯続
◯◯賣◯所不煩也
   銕琅生 花押 

 

金文字が薄く読み難いのですが、「帰(干)道山」は、「亡くなる」という意味です。鉄琅の箱書きが、鉄哉の亡くなった翌年に書かれていることも併せて考えると、未完のまま残された炉塀を、弟子の銕琅が手を加えて完成させたものと思われます。この年、遺作品展観が行われたのですが、この品は未完の品ということもあって売却をまぬがれ、弟子の市川鉄琅が仕上げ、手元に置いておいたのでしょう。

 

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清水六兵衛『蓮華』5客

2021年07月06日 | 古陶磁ー全般

昨日のDr.Kさんのブログで、珍しい伊万里の白磁スプーンが紹介されていました。

そこで例によって、後出しジャンケン(^^;

どっかに似たような品があったはず・・・・見つけたのがこれです。

食器棚の使わないコーナーに、ダダクサ(岐阜弁:ぞんざい)に、重ねてありました😢

 

使った記憶無し。したがって、未使用ですが、土ものの悲しさ、毀れやすい・・・知らぬ間に一個の縁が欠けていて、金繕いをしました(一番奥の取手の部分)。

華ですね。正式には、散蓮華。平安時代に中国から入って来た時、蓮の花弁ににているのでこの名がついたそうです。

 

何が描かれているか不明です。

幅 9.7㎝、長 14.3㎝、高 5.4㎝。戦前?(写真の品の大さ。皆少しずつ、形、大きさが違います)

 

底の印からして、六代清水六兵衛の品だと思います。

 

 

普通の蓮華よりも大きめ、容量は5倍くらいありますから、ラーメンには無理(^^;

懐石の器でしょうか。普段使いには、中途半端な大きさと器形です。このままでは、永久に日の目をみないでしょう。

おおそうだ、先日、はちみつ漬けにした梅が丁度よい頃では・・・・

ということで、美味しくいただくことができました😊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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能楽資料32-4 『謡曲大観』別巻

2021年07月05日 | 能楽ー資料

佐成謙太郎『謡曲大観』別巻(最終巻)です。

この巻は、『謡曲大観』全7巻の最終巻ですが、ボリュームは他の6巻とほぼ同じです。

この別巻には、蘭曲曲舞集と謡曲語句総覧の二つが収められています。

世阿弥は謡曲を、祝言、幽曲、恋慕、哀傷、蘭曲の5つに分類しています。そして、蘭曲は、他の4種の上位にあり、最高の芸位に達した者が自在な境地で謡う最も美妙な闌(た)けたる曲であると言っています。

 

能楽5流のうち、蘭曲の謡本を刊行しているのは、観世、宝生、喜多の3流です。この巻では、57曲を集録しています。そして、各曲について、3流のどの流派にあるかを◎で示し、由来の完曲名、作者とともに、一覧表にしています。

各曲は、いずれも短いものですが、その表記の仕方は、一巻から五巻までの謡曲についての方法と同じです。

 

まん中に、謡いの本文。

 

上欄に、難解語句の説明。

 

下欄に、口語体訳。

蘭曲集が現代口語体に訳されたのは、佐成謙太郎『謡曲大観』が最初です。

 

別巻のもう一つは、謡曲語句総覧です。

別巻の大半を占め、380頁もあります。

著者は、一巻から五巻までに掲載した337番の現行謡曲について、詳細な語句集を編んでいるのです。拾いあげた語句は、曲柄に関する事項、術語に関する事項、固有名詞、引用句、謡曲慣用語句・特殊文法、狂言詞など多岐にわたっています。これらを、五十音順に並べ、その語句が使われている謡曲名と謡曲大観五巻中の掲載頁が記されています。

 

謡曲語句総覧は通常の書籍の索引に相当するものですが、ここまで徹底して体系的に語句が集められると、単なる索引の域を越え、謡曲のデータべースとしても利用可能です。

 

 

「老」や「恋」で始まる語句は約1頁分。

 

「心なき・・・」「心の・・・」など、「心」で始まる語句は2頁にわたっています。

 

「神の・・」「神は・・」などの語句は、3頁の分量があります。

 

「月に・・」「月も・・」などは、3.5頁。

 

「花」ではじまる語句は、4頁と最多です。

以上、謡曲の中の語句の出現頻度を単純に比較してみたわけですが、謡曲(能)というものの成り立ちや性格がある程度浮かんでくると思います。

 

ブログで通算4回にわたって、佐成謙太郎『謡曲大観』を紹介してきました。これほどの大作を、一人で書き上げた事にはただ驚くばかりです。しかも、「書き上げるのに、さほどの年月を必要としなかった」(序文)と述べているのは、さらに驚きです。

著者の佐成謙太郎とは、どのような人なのでしょうか。

佐成謙太郎(さなりけんたろう、1890年5月23日-1966年3月4日)は、国文学者。滋賀県出身。京都帝国大学文学部卒。1924年女子学習院教授。戦後大東文化大学教授、鎌倉女学院理事長。中古・中世文学を専門とし『謡曲大観』全7巻、『対訳源氏物語』の業績がある。(Wikipediaより)

 

『謡曲大観』につづいて、『対訳源氏物語』を著わしています。全謡曲の口語訳だけではなく、源氏物語も対訳しているのです。この人は、大作に挑戦するのが得意なのでしょうか(^^;  『対訳源氏物語』は、『謡曲大観』と似た構成です。源氏48帖を、第一巻から第七巻に訳出し、八巻目の別巻には、源氏物語の概説、人名辞典、系図、年表、図録がまとめられています。あまりにも複雑な源氏物語ですが、この別巻を読めば、相当スッキリすると思います。とりあえず、別巻だけでも読むことにしましょう(^.^)

 

もう一つ驚いたのは、「夢幻能」という言葉を、佐成謙太郎が最初に使ったという事実です。

能は、現実の人間だけが登場する能と霊的な存在が主人公の能の二つに分かれます。
後者の能、即ちシテが霊的存在の能の多くは、前段と後段の二部構成です。まず、諸国をめぐる僧がある場所にやって来ます。すると、その地に住む謎の人物(里の女や老人)がやってきて、その土地にまつわる物語や自分の身の上を語り、去って行きます。
その夜、僧が亡き人霊を弔っていると、先ほどの人物が幽霊の形で再び現れ、ありし日の自分を回想し、舞いをまい、夜が白々と明ける頃、幻の様に消え去ります。と同時に、僧は夢からさめるのでした。

・・・井筒、江口、野宮、花筐、半蔀、夕顔、松風、忠度、敦盛・・・

このタイプの能は、世阿弥が最も得意とするもので、人間の内面を描きだし、掘り下げます。しみじみとした情感の中に、人間というものを深く省察させてくれる、能らしい能です。

このような能に対して、「夢幻能」という言葉をつくり出したのが佐成謙太郎です。大正15年11月15日、『国文学ラジオ講座』「能楽の芸術的性質」の中で、はじめてこの言葉を使ったと言われています(田代慶一郎『夢幻能』朝日新聞社)。そして、昭和5年、『謡曲大観』首巻『能楽総説』の中で、夢幻能について、詳しい解説を加えています。

 「夢幻能」という言葉は、能の本質を直感的に理解できる語句です。そして、私たちは、「夢幻能」の舞台、或いは、その脚本である謡曲を触媒にして、幽玄の世界を自分の内につくることができるのです。

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ジャンボニンニクの収穫

2021年07月03日 | ものぐさ有機農業

春の畑で生育中のジャンボニンニクをブログで紹介しました。その後順調に大きくなり、6月末に収穫をしました。

ジャンボの名にたがわず、とにかくデカイ。

タマネギの要領で、ヒョイと引き抜こうとしたのですが、ビクともしません。それもそのはず、強靭な根が下へびっしりと張っています。いろいろな農具を使っても、うまく掘れません。結局、作業用のショベルで掘り起こしました。

 

このまま置いておくと、カビがはえます。

梅雨の合間に、大急ぎで軒先に吊るし干しにしました。

 

形も味もニンニクですが、鱗片一つが、普通のニンニク1個くらいの大きさです。

味は普通のニンニクより薄いですから、たくさん食べられます。それにしても、これだけの量を食べるのはチョッと無理(^^;

 

おおそうだ、黒ニンニク!

 

モチモチとして甘い醗酵黒ニンニク。ニオイはほとんどありません。カラダに良いということで、いつもJAで購入しているのですが、けっこうなお値段です。

これを自作すればいい😊

専用器具も売っていますが、電気炊飯器で十分OKだそうです。ただ、ものすごいニオイがつくので、もう米は炊けません。

丁度、今の炊飯器はボロボロ。黒ニンニク用に下ろすことにします(^.^)

ジャンボニンニクのおかげで、十数年ぶりに炊飯器新調(^.^)

 

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能楽資料32-3 佐成謙太郎『謠曲大観』第一巻ー第五巻

2021年07月01日 | 能楽ー資料

佐成謙太郎『謠曲大観』の第一巻から第五巻です。

『謠曲大観』の本体部分です。総頁数3514。現行の謡曲、235曲すべてについて、解説を施し、本文を掲載して、難解語句の注釈と口語訳をつけています。解説には、能柄、人物、所、時、作者、概要、出典、概評などが記されています。

第五巻『船弁慶』

本文は3段になっていて、中央に謡曲の詞章、上段に難解語句の解説など、下段に口語訳が記されています。

驚くのは、圧倒的なボリュームだけではなく、その先見性です。この本には、二つの大きな特徴があります。

1.謡曲を初めて口語体に訳した。

2.謡曲本に、狂言の台詞を入れて、能の脚本として完成度を高めた。

1.口語訳の意味
能、謡曲の大半は、室町時代に作られましたから、謡曲でもちいられる言葉は、当時のものであるわけです。さらに、狂言がしゃべり言葉で出来ているのに対して、能では文語体が主に使われています。現代の私たちには、馴染みが薄いです。おまけに、モゴモゴ言っているだけで、言葉が聞き取りづらいです(^^;
さらに謡曲には、古今東西の古典からの語句や和歌の引用が非常に多くなされています。また、掛詞などの言葉遊びも頻繁に出てきます。
ですから、謡曲の詞章の意味をとるのは簡単ではありません。私の経験では、何となくわかったように思い、一曲を習得したつもりになったことがほとんどです。そして、大きな勘違いをしていたことがあとから分かり、冷や汗をかいたことが多々あります。
さらに、謡曲の本文を口語体に置き換えただけでは、味毛のない文章で終わります。翻訳には、文化的センスが必用なのです。


2.重要な狂言詞章
能と狂言は、元々、散楽(後に、申楽)を源流としています。その後、能は悲劇を主とした総合舞台芸術へ、狂言は言葉のやり取りでおかしさを表現する芸能へと分化していきました。能と狂言は、人間の本質を、悲劇と喜劇で表現する日本独特の芸術であり、両者は対の関係にあります。二つの芸能に分化して以降、現在に至るまで、能と狂言は一緒に演じられることが多いのは当然といえます。
狂言には、大きく分けて、単独で演じられる本狂言と、能の中で演じられる間(あい)狂言とがあります。
ここでは、能との関係が深い、間狂言をとりあげます。
能の前段が終わり、後段が始まるまでの間、狂言師が里の者として登場し、物語の背景などを語ることが多いです。これは語り間とよばれるもので、能楽堂ではおしゃべりタイムやトイレ休憩と勘違いする観客もいて、急にザワザワします。が、語り間を聞いていると大変面白く、能をより深く理解することができます。
間狂言のもう一つに、アシライ間があります。この場合は、狂言師が能の登場人物の一人であり、能の中である役割をもちます。特に、狂言師が、能のストーリー展開に大きく関与する場合、その役割は重要となります。
しかし、能の台本である謡本では、狂言のセリフは一切出てきません。スッポリと抜け落ちています。これは、能が完全な分業制(シテ方、ワキ方、囃子方、狂言方)をとっていること、そして、分業化された職制の間には一種のヒエラルキーがあることによります。
能は、すべてシテを中心に構成されています。謡本はシテ方のためのテキストなのです。そして、現在まで、狂言がそこへ入ることを潔しとしてこなかったのです。ワキや地謡いの詞章は、シテの謡いのためには必用ですから、謠本には載っています。しかし、狂言の詞章は、謡本にはのっていません。ですから、曲によっては、謡本が、実際の演能とはかなりかけ離れたものになっています。謡本を能の脚本として考えた場合、これは非常に大きな問題です。狂言の詞章は、流派や家によってかなり異なり、また、私たちが簡単にテキストとして目にすることもできません。能の舞台で初めて知る訳です。

以下、この二つの点に注目して、第四巻の『船弁慶』を見ていきます。

【あらすじ】 頼朝から逃れ、西国へ向かう義経一行についてきた静に対し、弁慶、義経は京へ引き返すように言います。静は、舞いをまったあと、泣き崩れます(前段)。

前段については、先のブログ、源氏物語紅葉賀四方盆と能『船弁慶』で説明しました。


今回は、後段です。
後段では、大物浦を出立した弁慶たちは、大嵐に遭遇し、平知盛の亡霊と戦う場面が展開します。しんみりとした静の別れ(前段)から一転して、大スペクタクルとなります。義経たちは、大物浦へ漕ぎだします。大荒れの海の上に、平知盛の亡霊が現れ、一行に襲いかかります。弁慶が、必至に数珠をかきならし、祈り伏せると、亡霊は消えて行きます。

『船弁慶』木版(12.0x17.4㎝)、明治。作り物の船にのり、亡霊と戦う弁慶と義経。船頭は描かれていない。

河鍋暁翠『船弁慶』木版(18.5x25.4㎝)、明治。作り物の船にのる船頭、弁慶、義経。船頭は、櫓(棒)を脇に置いている。


現行謡本の後段部分です。
【後段】
ワキ(弁慶)「静の心中察し申して候。やがて御船をいだそうずるにて候。
ワキツレ(従者)「いかに武蔵殿に申し候。
ワキ「何事にて候ぞ。
ワキツレ「君よりの御諚には。今日は波風荒く候ふ程に。御逗留と仰せ出だされて候。
ワキ「何と御逗留と候や。
ワキツレ「なかなかのこと。
ワキ「これは推量申すに。静に名残を御惜しみあって。御逗留と存じ候。御逗留と存じ候。まず御思案あって御覧候へ。今この御身にてかようの事は。御運も尽きたると存じ候。その上一年渡辺福島を出でし時は。もっての外の大風なりしに。君御船をいだし。平家を滅ぼし給ひし事。今もって同じことぞかし。急ぎ御舟を出だすべし。
ワキツレ「げにげにこれは理なり。いずくも敵と夕浪の。
ワキ「立ち騒ぎつつ.舟子ども。
地謡「えいやえいやと夕汐に。つれてお舟を。出だしける。
―――【A】―――
ワキ「あら笑止や風が変って候。あの武庫山おろし譲葉が嶽よりも吹きおろす嵐に。この御船の陸地に着くべきようもなし。皆皆心中に御祈念候え。
ワキツレ「いかに武蔵殿。この御舟にはあやかしがつきて候。
ワキ「ああ暫く。左様の事をば船中にては申さぬ事にて候。
  ―――【B】―――
ワキ「あら不思議や海上を見れば。西國にて亡びし平家の一門。各々浮み出でたるぞや。かかる時節を伺いて。恨をなすも理なり。
子方(義経)「いかに弁慶。
ワキ「御前に候。
子方「今さら驚くべからず。たとい悪霊恨みをなすとも。そも何事のあるべきぞ。悪逆無道のそのつもり。神明仏陀の冥感にそむき。天命に沈みし平家の一類。
地謡「主上をはじめたてまつり。一門の月卿雲霞の如く。波に浮かみて見えたるぞや。
シテ(平知盛の亡霊)「そもそもこれは。桓武天皇九代の後胤。平の知盛幽霊なり。あら珍らしやいかに義経。思いもよらぬ浦浪の。声をしるべにいで舟の。
地謡「声をしるべにいでぶねの。
シテ「知盛がしずみしその有様に。
地謡「又義経をも海に沈めんと。夕波に浮かめる長刀取直し。巴浪の紋あたりを拂い。うしおをけたて悪風を吹きかけ。まなこもくらみ。心もみだれて。前後を忘ずるばかりなり。
子方「そのとき義経すこしも騒がず。
地謡「そのとき義経すこしも騒がず。打物ぬき持ち現の人に。向うが如く。言葉をかわし。戦い給えば。弁慶おしへだて。打物わざにて叶うまじと。数珠さらさらと押しもんで。東方降三世南方軍陀利夜叉西方大威徳北方金剛夜叉明王中央大聖不動明王の索にかけて。祈り祈られ悪霊次第に遠ざかれば。弁慶舟子に力を合わせ。お舟を漕ぎのけみぎわによすれば。なお怨霊は。したい来たるを。追っぱらい祈りのけ。また引く汐にゆられ流れ。またひく汐にゆられ流れて。あと白波とぞ。なりにける。

狂言の挿入【A】【B】
【A】
狂言(船頭)「皆々御船に召され候へ」
狂言「さあらば御船を出し申そう。えい〳〵〳〵
   いかに武蔵殿へ申し候。今日は君の御門出の船路に一段の天気にてめでたく候」
ワキ「げに〳〵一段の天気にて。武蔵も満足申して候」
狂言「また御座船の事にて候間。究竟の舟子どもをすぐって乗せてござるが。武蔵殿には何と御覧じ候ぞ」
ワキ「一段と舵手が揃うて祝着申して候」
狂言「武蔵殿の左様に御覧ずれば某も満足致す。えい〳〵〳〵。又武蔵殿にちと訴訟申したき事の候」
ワキ「それは何事にて候ぞ」
狂言「只今こそかように西国の方へ御下向にて候へども。上は御一体の御事なれば。追つつけ御上洛なされうは疑日もない。」その時はこの海上の楫取を。某一人に仰せつけられて下さるるように。御執り成しあって下されかしと頼み存ずる。
ワキ「これは方々に似合いたる望みにて候。君世に出て給はぬ事は候まじ。その時はこの海上の楫取をば。方々一人わすれさせらるに申しつけうずるにて候」
狂言「それは近頃にて候。さりながらお主の御用の時は色々と御約束をもなされども。思し召すままとなると。忘れさせらるるものにて候。御失念なきように頼み存ずる。」
ワキ「いや〳〵武蔵に限って失念はあるまじく候。」
狂言「武蔵殿のさように仰せらるれば。某が訴訟はざっと済んだといんものじゃ。さりながら物には念を入れたが良いと申す。返す〳〵も頼み存ずる。えい〳〵〳〵。今までは見えなんだが。武庫山の家に雲が見ゆる。いつもあの雲の出ると風になりたがるが。さればこそ強かに雲を出し。海上の體が荒うなった。皆々精を出し候へ。えい〳〵〳〵。あれから波が打ってくるわ。波よ〳〵〳〵。しかれ〳〵〳〵。しい〳〵〳〵。えい〳〵。かように申すをかしましい様に思し召さうが。波と申すものは。優しいもので。しかればその儘止む事にて候。いやあれから波が打って来るわ。波よ〳〵〳〵。しかれ〳〵〳〵。ありや〳〵〳〵。しい〳〵〳〵。」
【B】
狂言「あゝここな人は最前船にお乗りやる時から。何やら一言いひたそうな口元であったと思うたに。強かなる事を仰しやる。船中にて左様の事は申さぬ事にて候。」
ワキ「いや〳〵船中不案内の事にて候間。何事も武蔵に免ぜっれ候へ」
狂言「武蔵殿のさように仰せらるれば。申すではござらぬが。餘の事を仰しやるによっての事にて候。えい〳〵〳〵。さればこそ又あれから波が打って来るわ。波よ〳〵〳〵。しかれ〳〵〳〵。しい〳〵〳〵。えい〳〵〳〵。」

 

【口語訳】(『謡曲大観』2473頁より)
弁慶「静の心中を察して、気の毒に思った。では、早速御船を出しましょう。」
従者「もうし弁慶殿」
弁慶「何じゃ」
従者「わが君から、今日は波が荒いから御逗留あそばすと仰せい出されました」
弁慶「なんじゃと、御逗留あそばすと仰るのか」
従者「そうです
弁慶「これは察するに、静に名残をお惜しみになって、それで御逗留あそばすものと思われる。よく考えて御覧なさい。今の御境遇で、かような事を仰るとは、もはやわが君の御運も尽きてしまったと思われる。それに先年渡辺福島を出た時には、大変な大風であったが、わが君はそれを物ともせずお船を出されて、平家をお滅ぼしになったのに、・・・波風の恐ろしさは昔も今も変わりはないのだ。何、かまうとことはない、急いでお船を出すがよい。」
従者「いかにも御尤もです。どこもここも敵なのですから・・・・」
弁慶「夕波の立ち騒ぐ時に、船頭どもは」
地謡「えいやえいやと騒いで、夕汐を幸いに船を漕ぎ出した」
            【A】
弁慶「ああ困ったことだ。風が変わった。あの武庫山颪や譲葉が嶽から吹きおろす嵐で、このお船は陸地に着きそうに思われない。さあ皆の方々、心中に御祈念なさい」
従者「もうし武蔵殿、このお船には妖怪が憑きました」
弁慶「ああ一寸、そのような事は船の中では言わないものじゃ」
            【B】
弁慶「これは不思議だ、海上を見ると、西国で亡びた平家の一門の人達が浮かび出てきたぞ。こうしたこちらの落ち目に乗じて、恨みを返そうとするのも尤もだ」
義経「おい弁慶」
弁慶「はい」
義経「今さら驚くことはない。たとえ悪霊が恨みを返そうとしたところで、何程のことがあろう。悪逆無道を重ねた結果、神仏の御召に背き、天命尽きて海に沈んだ平家の一族のことだ。何程のことがあろう・・・おお平家の一門の公卿殿上人が雲霞のように多勢回k上に浮かんで見えるぞ。」
シテ、知盛亡霊「自分は桓武天皇九代の末孫平知盛の幽霊である。おい義経久しぶりの対面だな。
地「思いがけなくも船出する声が聞こえたので、それを路しるべにして出てきたのだ。
亡霊「そして自分が沈んだと同じように、
地「そなた義経をも海に沈めてやろうと思うのだ」
知盛は波の上に浮かび出て、長刀を取り直し、巴波のようにくるくると長刀を振り回して、あたりを斬り払い、潮を蹴立て悪風を吹きかけるので、目もくらみ心も乱れ、どうしてよいか分からない、恐ろしい有様であった。
義経「その時義経、すこしもうろたえず」
地「その時義経、すこしもうろたえず、刀を抜いて、生きている人に対するように、言葉をかけて戦われると、弁慶はこれをおし隔てて、刀では対抗することが出来ますまいと、数珠をさらさらと押し揉んで、
東方降三世南方軍陀利夜叉西方大威徳北方金剛夜叉明王中央大聖不動明王、どうかあなたたちの縄にかけて、悪霊を縛らせ給え。
と祈ると、悪霊は祈り伏せられて次第に遠ざかっていくので、弁慶は船頭に力を合わせて、お船をぐんぐんと漕いで、汀に寄せると、悪霊はまたしても跡を慕って来たが、弁慶が斬り伏せて追い払ったので、悪霊は引汐に揺られ流れながら、跡かたもなく消えてしまった。」

 

このように、【A】【B】を欠いたまま謡本にある詞章をたどっていけば、後段の概略を知ることができます。しかし、実際の能をイメージするのはなかなか難しいです。その理由は色々あります。まず、人物の所作や舞いがわかりません。囃子による音楽もありません。
そして特に、『船弁慶』のような活劇調の能では、テンポの緩急から最後の山場への盛上がりへの勢いが必要です。が、謡本からはそれを感じ取るのは困難です。それを担う狂言の詞章が書かれていないからです。
謡本には書かれていないのですが、実際の能では、【A】と【B】の狂言(船頭)が登場する場面が入っています(狂言が抜けている部分は、他にも、いくつかあります)。船頭は、義経一行が西国へ下っていく時に、船を漕ぐ役です。後段に入るとすぐ、船頭が作り物の船にのって登場します。そして、義経たちを乗せて、海へ漕ぎだします。「えい〳〵〳〵」などは、櫓をこぐ時の掛け声です。手に持った棒が櫓を表しています。船頭は、掛け声を掛けながら必死で櫓をこぎ、海が次第に荒れて、嵐の中、一行の乘った船が嵐に翻弄されていく様を、声の調子や抑揚であらわします。この時、囃子は波頭の手を激しく打ち、荒れ狂う波を音で表現します。とても臨場感のある場面です。やがて、平知盛の亡霊が現れ、一向に襲いかかります。そして、弁慶に祈り伏せられ、海に消えていきます。
『船弁慶』は、非常に分かりやすく人気の高い演目ですが、能舞台の出来不出来は、狂言の出来にかかっているといってもよいでしょう。

 

 

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