中学生くらいのころ「龍馬が行く」(司馬遼太郎)を読んだ記憶がありますが、本のページを捲った記憶だけしか残っていませんでした。
坂本龍馬が、どんなことをし、どんな人だったのか、この一年大河ドラマを通し知ることとなりました。
中岡慎太郎の生家近くで生まれ5年も住んでいたにもかかわらず、土佐の歴史を知らずに育ちました。
土佐は豪快な太平洋が真南に広がり、波打つ海に迫る山が印象的です。
緑深い山と海を越えなくては国境を越えることはできません。
そこで育まれた独特な気質は、確かにあるように思います。
この秋、45年ぶりに訪れた土佐で、人と触れ合う度に実直な真面目さを肌で感じました。
「正義」という言葉は、私は好きな言葉ではありませんが、「義に尽くす」という言葉は嫌いではありません。
「義」には、それぞれの解釈があり、それを統制させていくには至難なことです。
「義」に「正」を付け、「正義と」称しながら自己の利を操る「義」と変容してしまうのが悲しいかな人の「業(カルマ)」かもしれません。
龍馬はひたすら「義」を貫き通した人なのでしょう。
「義」というアイデンティティが時の経過とともに個性化され、土佐の人を「実直」だと感じたのかもしれません。
「正しい義」というのは、ある人から見れば正しくありません。
自己の義を尽くすことで、他者の義と戦うこととなれば、それは総体的に見れば義ではないように思います。
でも、本人たちにとって、それが「義」であるわけです。
坂本龍馬が見ようとする「義」がこうであれば、自分の「義」とは何か?を今一度考える良い機会の一年間だったようです。
☆義(広辞苑):①道理。条理。物事の理にかなったこと。人間の行う筋道。②利害をすてて条理に従い、人道、公共のために尽くすこと、
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土佐は豪快な太平洋が真南に広がり、波打つ海に迫る山が印象的です。
緑深い山と海を越えなくては国境を越えることはできません。
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「正義」という言葉は、私は好きな言葉ではありませんが、「義に尽くす」という言葉は嫌いではありません。
「義」には、それぞれの解釈があり、それを統制させていくには至難なことです。
「義」に「正」を付け、「正義と」称しながら自己の利を操る「義」と変容してしまうのが悲しいかな人の「業(カルマ)」かもしれません。
龍馬はひたすら「義」を貫き通した人なのでしょう。
「義」というアイデンティティが時の経過とともに個性化され、土佐の人を「実直」だと感じたのかもしれません。
「正しい義」というのは、ある人から見れば正しくありません。
自己の義を尽くすことで、他者の義と戦うこととなれば、それは総体的に見れば義ではないように思います。
でも、本人たちにとって、それが「義」であるわけです。
坂本龍馬が見ようとする「義」がこうであれば、自分の「義」とは何か?を今一度考える良い機会の一年間だったようです。
☆義(広辞苑):①道理。条理。物事の理にかなったこと。人間の行う筋道。②利害をすてて条理に従い、人道、公共のために尽くすこと、
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