Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

2007年9月15日(土)~17日(月)まさかの事故と懸命の生還[中ア]大田切川・西横川4

2007年09月23日 | 沢登りの記録
T橋君、Mr.Dashに加え、I島さんが救急車に乗る。
I島さんに乗ってもらったのは理由がある。
菅k台の駐車場で救急車をおりて、マイカーを回収し、特例処置で、
本来は一般車通行禁止のバス道を走らせてもらえないかと思い、
ドライバーとして彼に乗ってもらったのだ。

雨が降っていたので、G嬢とともちゃんは、いったん「しらび平」駅で
待機。乾いた服に着替える。
I島さんは菅ノ台で救急車を下りた。

T橋君とMr.Dashは、そのまま伊那中央病院の救急へ搬送された。
途中、3回も脈拍、血圧、血中酸素量、体温の測定がなされた。
頚椎等の損傷が疑われる状態で長時間自力下山させるのは、危険だと云われた。
確かに、そう云われるとそうなのだが…

T橋君はX線検査で、腰の骨の小さな突起部分が骨折していると判明した。

脊椎等は無事だったようで、一安心だ。
全治3週間、元の強度に戻るまで3ヶ月。このときは、入院不要と云われた。
ただし、最初の1週間は痛むよ、という診断。
Mr.Dashは、右ひじの腫れがひどかったが、やはりX線検査で
骨に異常ないとわかり、痛み止め薬を処方してもらった。

さて、菅ノ台で下車したI島さんだが、Mr.Dashの車を駐車場から
出したくても、ゲートの遮断機が夜間閉鎖されていてピンチに立たされた。

G嬢とともちゃんを、タクシーで菅ノ台に下ろし、そのタクシーの協力で、
駐車場入口の機械に、400円を入れて遮断機を開け、開いている隙に
車を入口から逆送させて、駐車場から脱出させた。

伊那中央病院で治療を待つMr.Dashと連絡がとれた。3名が病院に
着く頃には、優先治療のT橋君はもちろん、Mr.Dashの診察も
完了していた。

駒ヶ根警察が事情聴取したいとのことで、奈良に帰ることはできない。
できたら今晩中に来いというが、我々は12時間も緊張しっぱなしで
沢を歩いただけでなく、夕食もとっていない。そんな余裕があるはずもなく、
明朝、行きますと結論。

入院不要とのことなので、T橋君の身柄は、そのままこちらで引き取った。
伊那市内で、なんとかビジネスホテルを確保できた。
コンピニで買った夕食を口にできたころは、もう日付が変わっていた。

17日朝10:00。駒ヶ根警察で簡単な聴取を受ける。
自力下山であり、負傷者も入院しなくて済んだということで、
新聞沙汰にはしないから安心しろと警察。そのまま、奈良に帰還した。

T橋クンが住んでいるのは会社の寮。ひとまず彼を部屋のベッドに
寝かせた。
夜、寮の管理長に連絡が取れた。管理長は、実は山岳部のメンバーなのだ。
翌朝、ともちゃんが朝一番にT橋クンを乗せて地元の病院へ。

身体が満足に動かず、激痛の一夜を独りで経験したT橋クンだったが、
日常生活が想像以上に困難で苦痛だということで、医師の提案もあり
入院を決意した。ともちゃんは即座に、必要な物資の買出しや、
管理長と一緒に彼の部屋から着替えなどを病院に運び出した。

一方、Mr.Dashは、出張先の東京から彼の直属の上司に詫びの電話。
翌日も彼の部門のトップや、管轄総務部長に報告とお詫び。
会社の立場からすれば、仕事に穴を開けるのだから迷惑千万な話だ。
山の事故の事後処理は、なかなか大変なのである。

本当に、こんな事故は、もうこりごりである。
この一週間、仕事は確かに忙しかったが、電車通勤の間や、
トイレに行く間、食事の間などはずっと、どうしてこの事故が起きたのか
頭の中で反省を繰り返していた。

ただひとつ、素晴らしかったと思うのは、T橋クンのファイトと、
パーティ全員の「自力下山」に対する執念だ。
この経験は、確かに二度としたくないが、無駄にはならないような
気がする。

関係各位に感謝。そして、ご迷惑をおかけした各位に改めて
お詫びします。
そしてT橋クン、よく頑張った。大変だろうけど、キッチリ治して、
また山に行こう。

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