Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

2007年9月15日(土)~17日(月)まさかの事故と懸命の生還[中ア]大田切川・西横川3

2007年09月22日 | 沢登りの記録
T橋クンの左足には、体重をかけられない。右に腰くらい高さの
ホールドがあれば、なんとかそれを伝って降りられる。反対向きの体勢に
なると、肩を貸さざるを得ない。



岩のホールドがなければ、ザイルをフィックスしていくしかない。
Mr.DashとI島さんが、30mと40mのザイルを交互に張っては、
交互に肩を貸す。ともちゃんは、T橋くんの荷物をほとんど引き受け、
このところ背負っていないくらいの重荷を担いでいる。

G嬢は、自分が安全に下りるので精一杯。本来の実力なら必要ないはずの
箇所でも、T橋クンのために張ったフィックスザイルに、プルージックを
かけてゆっくりゆっくり下りてくる。
二次災害防止にはやむをえないが、それが終らないとザイルの回収ができない。
ラストのともちゃんが大急ぎで回収し、Mr.Dashが登り返してザイルと
残置シュリンゲを引き取り、再び(G嬢がフィックスザイル下りた箇所を)
駆け下り、さらに下部のキケン箇所にフィックスを張りに行く。

T橋クンも、そのうち要領を得てきて、左半身で懸垂下降すると、比較的
ダメージなく下りられることが分かった。



スピードアップのためにも、
これを多用する。フィックス時も、左半身を取りやすいようにルートを取る。
右半身しかできないG嬢には、却って難しくなったかもしれないが、
仕方ない。Mr.Dashは、基本的には見本を示したあと、登り返しては
全体の安全確保をするという繰り返し。右腕の痛みなど、構ってられない。
I島さんは、肩を貸しつつ慎重に下っていく。

気が遠くなるほど時間がかかる。二股を経て、奥の堰堤でも懸垂下降。
ここはビレイポイントがなく、非常に危険な状態だった。
夢にまで見たしらび橋が見えた。バス道だ。とうに最終バスは過ぎているが。
しかし、ここでとうとう、痛恨の日没。
ヘッ電を出し、急速に暗くなる谷底で、肩がらみビレイで3人を懸垂下降させる。
I島クンとMr.Dashは、そこをゆっくりフリーで下降。

最後の渡渉。T橋クンの肩を抱くように踏み跡をたどり、バス道に出た。
19:00だった。入渓してちょうど12時間だ。
「よく頑張った。もうひと頑張りで助かるぞ!」
Mr.Dashは、しらび平の駅に急いだ。

終バスが過ぎた、しらび平の駅は、照明はすっかり落ちていて、
駅舎も、なんとトイレまでもシャッターが下りていた。誰もいない。
なんてこった。
幸い、携帯電話が通じたので、ここで119番。30分ほどで救急車が
来てくれるという。肩の荷が下りたように、一瞬その場に座り込んだ。
皆がいると気丈になれるが、独りになったとたん、こののザマである。

もうひとりの自分が「落ち着け。急ぐな。まだ終っていない」という。
缶飲料の自販機が生きている。温かいコーヒーを人数分買った。
なぜか、気分が落ち着いた。皆の喜ぶ顔がイメージできた。
立小便して、しらび橋まで走った。既に全員、バス道に着いていた。

まさに、パーティの底力をみた。中でも、T橋クンの精神力には
脱帽だ。強烈な痛みに耐えつつも、とにかく明るいうちに安全な
ところまで下りたいと力を振り絞った彼は、立派な岳人である。
下山中、あれ以上のケガは、その後、誰も負っていなかったのが
幸いだった。

缶コーヒーを飲む。皆、気分が少しでも落ち着いたようで笑顔が出た。
19:30、救急車が到着。救急隊がT橋クンを確保。
Mr.Dashの右ひじはボコンと腫れていた。擦過傷もある。
付添い人でありながら、自分も診てもらうことになった。
生まれて初めて、救急車に乗った。



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