■メイン写真
卒都婆峰から兜卒岳へ向かう尾根上はカシの巨樹のオンパレード
■今回のコース
桜ノ辻→七曲→三丁地蔵→卒都婆峰→兜卒岳→槇尾富士(下和山)→焼山(日受山)→
三丁地蔵→七曲→桜ノ辻
「裏槇尾」。その名もマイナーな響きだ。
ピークの名前も、卒都婆峰、兜卒岳、槇尾富士、焼山と、有名なものは皆無だ。
しかし実際に歩くと、案外、見どころが多いので、もっと注目が集まっていいエリアだ。
東槇尾川に沿った林道にクルマを入れる。途中からダートだ。
桜ノ辻付近の路肩に数台停められるスペースがある。今日は貸し切り状態だ。
身支度を整え、桜ノ辻から槇尾山参道を登る。
七曲の坂を登り詰めると、尾根に出る。九鬼方面への分岐を右へ進む。
葛城二十八宿の経塚巡行路になっているようだ。
尾根の薄い踏み跡を忠実に直登しても卒都婆峰に着くが、西側のトラバース道の
方からも行ける、というか、その方が簡単。
ここからしばらく、稜線はアラカシなどの巨樹が次々に現れ、非常に見ごたえがある。
老木が多く、大きなウロをもつ樹や、真ん中で割れているものもある。
ルンルン気分で進んでいくと、覚超尊者塔がある。
覚超(かくちょう)は、平安時代中期の天台宗のお坊さんで、ここ和泉の出身だという。
右に鋭角に折れてほんの少しで、兜卒岳に到着。
ここもピークとしては樹林の中で、至って地味。
北へ続く尾根道を行くと、四つ辻に出る。
右は東槇尾川沿いに下りて、善正の町に出る道。
左は、大谷を下って槇尾山へのバス道に出る道だ。
もっとも、大谷は今、バス道の道路工事で登山口が封鎖されており、
歩く人もいないので荒れ放題になっている。
ここは直進し、九鬼方面へ歩を進める。
ほどなく、登山道はシダに覆われる。
黄色の和泉消防署の標識のところでメインの道を外れる。
右の踏み跡を登ると、通称:槇尾富士、下和山のピークに出る。
槇尾富士とはも、いつごろから呼ばれるようになったのか、まだあまり市民権を
得ていないと思うが、いつか定着するのかな?
元の道に戻り、すぐ先を、今度は西へ寄り道すると、三角点がある焼山だ。
もともと日受山というが、かつて山火事があって、そんなこんなで
いつの間にか焼山という名になっている模様。
ここからの眺めは360度。
あいにくの曇り空たったのが残念だが、大阪湾の向こうに六甲山系もシッカリ見えた。
次は晴れた日に来たいものだ。
卒都婆峰から兜卒岳へ向かう尾根上はカシの巨樹のオンパレード
■今回のコース
桜ノ辻→七曲→三丁地蔵→卒都婆峰→兜卒岳→槇尾富士(下和山)→焼山(日受山)→
三丁地蔵→七曲→桜ノ辻
「裏槇尾」。その名もマイナーな響きだ。
ピークの名前も、卒都婆峰、兜卒岳、槇尾富士、焼山と、有名なものは皆無だ。
しかし実際に歩くと、案外、見どころが多いので、もっと注目が集まっていいエリアだ。
東槇尾川に沿った林道にクルマを入れる。途中からダートだ。
桜ノ辻付近の路肩に数台停められるスペースがある。今日は貸し切り状態だ。
身支度を整え、桜ノ辻から槇尾山参道を登る。
七曲の坂を登り詰めると、尾根に出る。九鬼方面への分岐を右へ進む。
葛城二十八宿の経塚巡行路になっているようだ。
尾根の薄い踏み跡を忠実に直登しても卒都婆峰に着くが、西側のトラバース道の
方からも行ける、というか、その方が簡単。
ここからしばらく、稜線はアラカシなどの巨樹が次々に現れ、非常に見ごたえがある。
老木が多く、大きなウロをもつ樹や、真ん中で割れているものもある。
ルンルン気分で進んでいくと、覚超尊者塔がある。
覚超(かくちょう)は、平安時代中期の天台宗のお坊さんで、ここ和泉の出身だという。
右に鋭角に折れてほんの少しで、兜卒岳に到着。
ここもピークとしては樹林の中で、至って地味。
北へ続く尾根道を行くと、四つ辻に出る。
右は東槇尾川沿いに下りて、善正の町に出る道。
左は、大谷を下って槇尾山へのバス道に出る道だ。
もっとも、大谷は今、バス道の道路工事で登山口が封鎖されており、
歩く人もいないので荒れ放題になっている。
ここは直進し、九鬼方面へ歩を進める。
ほどなく、登山道はシダに覆われる。
黄色の和泉消防署の標識のところでメインの道を外れる。
右の踏み跡を登ると、通称:槇尾富士、下和山のピークに出る。
槇尾富士とはも、いつごろから呼ばれるようになったのか、まだあまり市民権を
得ていないと思うが、いつか定着するのかな?
元の道に戻り、すぐ先を、今度は西へ寄り道すると、三角点がある焼山だ。
もともと日受山というが、かつて山火事があって、そんなこんなで
いつの間にか焼山という名になっている模様。
ここからの眺めは360度。
あいにくの曇り空たったのが残念だが、大阪湾の向こうに六甲山系もシッカリ見えた。
次は晴れた日に来たいものだ。