MY LIFE AS A FOOTBALL

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

記憶からも抹殺

2022年10月06日 | 個人的なメモ帳

もうアベちゃんを語ることもあるまい。
あんたが語ってるわけじゃないじゃん(笑)

ああ、せいせいした。
さあ、記憶から抹殺しよう  っと。


□□□ □□□ □□□



日刊ゲンダイ 臨時特別号より  

検証 安倍晋三②

政策で失敗しながら 
選挙という「人気投票」で政権にとどまる



寄稿 内田 樹(思想家)


国際社会にビジョンを示せなかった没落の10年


 この10年間で日本の国力は劇的に衰えた。
経済力や学術的発信力だけではなく、報道の自由度、ジェンダーギャップ指数、
教育への公的支出の対GDP比ランキングなどは「先進度」の指標だが、
そのほとんどで日本は先進国最下位が久しく定位置になっている。 

 だが、「国力が衰えている」という国民にとって死活的に重要な事実そのものが
(報道の自由度の低さゆえに)適切に報道されていない。
安倍時代が残した最大の負の遺産は「国力が衰微しているという事実が隠蔽されている」ということだろう。

 国力はさまざまなチャートでの世界ランキングによって近似的に知られる。
1995年は世界のGDPのうち日本は17.6%だったが、現在は5.6%である。
89年の時価総額上位50社のうち日本企業は32社だったが、現在は1社。
経済力における日本の没落は顕著である。

 だが、日本のメディアはこの経年変化についてはできるだけ触れないようにしている。
だから、多くの国民はこの事実そのものを知らないか、軽視している。
それどころか、政権支持者たちは安倍政権下でアベノミクスが成功し、
外交は見事な成果を上げ、日本は世界的強国であるという「妄想」のうちに安んじている。

 安倍時代における支配的なイデオロギーは新自由主義であった。(今もそうである)
すべての組織は株式会社のような上意下達組織でなければならない。
「選択と集中」原理に基づき、生産性の高いセクターに資源を集中し、
生産性の低い国民はそれにふさわしい貧困と無権利状態を甘受すべきだ。
そう信じる人々たちが法案を作り、メディアの論調を導いてきた。その結果がこの没落である。

 だが、誰も非を認めない。
すべては「成功」したことになっている。それは政権与党が選挙に勝ち続けたからである。
安倍元首相は6回の選挙に勝利した。しばしば圧勝した。この結果が
「国民の過半は安倍政権が適切な政策を行ってきたと判断した」ことを証し立てていると政府は強弁した。

 株式会社ではトップに全権が与えられる。
トップのアジェンダに同意する社員が重用され、反対する社員ははじき出される。
それが許されるのは経営の適否についてはただちにマーケットがあやまたず判定を下すと信じられているからである。
「マーケットは間違わない」というのはビジネスマンの揺らぐことのない信仰である。
社内的にどれほど独裁的な権力をふるう権力者であっても、収益が減り、株価が下がれば、ただちに退場を命じられる。

 国の場合は「国際社会における地位」が株価に相当するだろう。
経済力、地政学的プレゼンス、危機管理能力、文化的発言力などで国力は表示される。
その点でいえば、「日本株式会社の株価」は下落を続けている。

 しかし、安倍政権下で経営者は交代させられなかった。
もし、経営が失敗し、株価が急落しているにもかかわらず、
経営者が「すべては成功している」と言い続け、
それを信じた従業員たちの「人気投票」で経営者がその座にとどまり続けている株式会社があったとすれば(ないが)、
それが今の日本である。

 新自由主義者たちは「マーケットは間違わない」と言い張るが、
彼らが「マーケット」と言っているのは国際社会における評価のことではなく、選挙結果のことなのである。
選挙で多数派を占めれば、それはすべての政策が正しかったということなのだ。

だが、選挙での得票の多寡と政策の適否の間には相関はない。
亡国的政策に国民が喝采を送り、
国民の福利を配慮した政策に国民が渋面をつくるというような事例は枚挙にいとまがない。
政策の適否を考慮する基準は国民の「気分」ではなく、客観的な「指標」であるべきなのだが、
安倍政権下でこの常識は覆された。

 決して非を認めないこと。
批判に一切譲歩しないこと。
すべての政策は成功していると言い張ること。
その言葉を有権者の20%が(疑心を抱きつつも)信じてくれたら、
棄権率が50%を超える選挙では勝ち続けることができる。


人間は騙せても、ウイリスに嘘は通じない

 
 安倍政権が最終的に終わったのはパンデミック対策に失敗したからである。
人間相手なら「感染症対策に政府は大成功している」と言って騙すことはできるが、ウイリスに嘘は通じない。
科学的に適切な対策をとる以外に感染を抑制する手だてはないからだ。

 だが、安倍政権下で政権担当者たちは「成功すること」と
「成功しているように見えること」は同じことだと本気で信じ始めていた。
だから、「どうすれば感染を抑えられるか」よりも、
「どうすれば感染対策が成功しているように見えるか」ばかりを気づかった。
菅政権下の東京五輪の強行にしても、「感染症が効果的に抑制されているように見せる」ことが優先された。
それを有権者が信じるなら、それ以上のことをする必要はないと思っていたのだ。
今の岸田政権もそう思っている。

 パンデミックについても、気候変動についても、東アジアの地政学的安定についても、
人口減少についても、トランス・ナショナルな危機に対してこの10年間、
日本はついに一度も国際社会に対して指南力のあるビジョンを提示することができなかった。

 司馬遼太郎は日露戦争から敗戦までの40年間を「のけて」、
明治の日本と戦後の日本をつなぐことで敗戦後の日本人を自己嫌悪から救い出そうとした。
その風儀にならうなら、
安倍時代という没落の時代を「のけて」、10年前まで時計の針を戻して、そこからやり直すしかない。


空虚な器にジャンクな思想

2022年10月06日 | 個人的なメモ帳

あれ? 玉ちゃん出てねぇじゃん・・・

羽鳥のモーニングショー、玉ちゃん出場禁止だと。
じゃ、見る価値ないじゃん。
玉ちゃんへの1発レッド? なぜに?

アヘの葬儀の際、
ガースーが切々と読んだらしい弔辞に「電通がからんでる」的な発言をしたから、だと。
ワハハ、からんでるだろ! とーぜん
あんな文章、ガースーひとりで書けるわけがない。
インテリは嫌いなんだから、やつは。

と思っていたら、
なんのことはないアヘのフェイスブックからのコピペじゃね?疑惑が(笑)
このタイミングでてめえの息子を首相秘書官にしてしまう岸田といい、、、終わったな、この国は
もうとっくに終わってるって? それをいっちゃーおしめえよ。


てなわけで、アヘの功罪を忘れないようにコピぺしておこう!
“罪”ばっかしだけど。

ちなみに僕にとってアヘの存在は、「生理的に無理!」 これに尽きる。 ギャルか^^
甘ったれなボンボン特有な舌っ足らず加減。カ行もサ行もタ行も気持ち悪い。
プラス、ミャーミャー聞こえる喋り方。。。きもっ

これだと、これで終わってしまう。 はやっ
なので、信頼に足るおふたりによる安倍晋三賛歌を2回にわたって載っけてしまおう。
両方とも日刊ゲンダイの臨時特別号からほぼほぼコピペしました。 許されよ。




日刊ゲンダイ 臨時特別号より 

検証 安倍晋三①  


政治一家に生まれた平凡な人   寄稿 青木 理


空虚な器にジャンクな
  右派思想を注ぎ込まれた




  ※ 安倍晋三の評伝を書かないか?との提案を断った青木理ではあったが・・・

  
 今も昔も人物評伝はノンフィクションの華だが、それが成立するには不可欠の条件がある。
対象が善人だろうと悪人だろうと、政治家だろうと犯罪者だろうと、その人物が頭抜けた磁力を発し、
そうした人格を形作った逸話や物語に彩られていること。
それがなければ、いくら取材を尽くしても面白い評伝など書けはしない。
そして安倍晋三という人物に、それほど魅力的な逸話や物語があるようには微塵も思えなかった。

 だが、しばらくして
「安倍晋三のような政治家がなぜ生まれたのか、ルーツにまで遡った評伝なら食指は動かないか」
という提案があった。
なるほど、と思った。
今さら記すまでもなく、晋三の父は安倍晋太郎、母方の祖父は岸信介。
父方の祖父・安倍寛もまた戦中に衆議院議員を務め、眩いほどきらびやかな政治一家だが、
そうした家に生まれていなければ、晋三が政治家になることはなかった。
現代日本に蔓延する政治世襲への問題意識も抱いていた私は、
それならば取材執筆の価値は十分あると考え提案を受けた。

 つまり、政治一家としての地平を切り開きながら実像があまり知られていない安倍寛を起点とし、
晋太郎、晋三へと連なる安倍家3代の系譜を追えば、
現代日本政治を俯瞰しつつ、問題点も照射できるのではないか・・・
そう考えて完成させたのが「安倍三代」(朝日文庫)である。

 成果は拙著をお読みいただきたいが、軍部ファッショの嵐が荒れ狂った先の大戦中、
軍部の圧力を受けながら翼賛選挙を非推薦で勝ち抜いた寛は、強烈な魅力を発する反骨の政治家だった。
息子の晋太郎は所詮2世の“プリンス”ではあったが、山口の寒村で父の支持者に囲まれて育ち、
大戦末期には志願した特攻を辛うじて生きのび、存外に魅力的逸話の多い政治家ではあった。

 だが、やはり晋三は違った。
東京で生まれ育ち、小学校から大学までを成蹊学園で過ごし、いくら取材しても語るに値する逸話がない。
同級生や恩師、あるいは大学卒業後にコネ入社した神戸製鋼の上司や同僚など、何十人もの関係者に話を聞いたが、
後の政治姿勢につながるエピソードさえ出てこない。

 それどころか、晋三の口から政治的な発言を聞いたことのある者すら皆無・・・
決して大げさではなく、1人たりともいなかった。
晋三は大学時代、地方自治を専門とするゼミに所属したが、当時を知る教員は、
「彼が卒論で何を書いたかも覚えてないし、ゼミで何かを積極的に発言した記憶もない」と振り返るのだった。

 かといって悪(ワル)でもなく、成績はごく平凡。あえて等身大に評すれば、
名門政治一家に生まれはしたものの、可もなく不可もないボンボンのおぼっちゃま。
そんな晋三がなぜゴリゴリの右派に変貌したのか。神戸製鋼所時代の上司は当時の晋三を
「要領がよくて、みんなに好かれていましたよ。たとえて言えば、まるで子犬」と評し、
のちの政治姿勢についてはこう指摘している。
「周りに感化されたんでしょう。子犬が狼の子と遊んでいるうちに、あんなふうになってしまった」

 おそらくはその通りだったのだろう。
戦後日本政治おける右派の巨頭・岸の孫として生まれた晋三を、永田町内外の右派勢力はサラブレッドとして育てた。
晋三にも、それが時代の潮流だと読む計算程度はあったのか、少なくとも自らを溺愛した祖父・岸への憧憬を抱いていた。
そうして空虚な入れ物に、ジャンクな右派思想ばかりが注ぎ込まれた。

 一方で皮肉を込めて記せば、晋三には政治家としての「強み」があった。
まずは強運。戦後生まれ初の宰相となった第一次政権は短期で投げ出したが、
民主党政権の瓦解を経て、政権に復帰すると、今度は7年8か月もの「一強」を維持した。
第一次政権の蹉跌に学んだところもあったにせよ、しかしそれは真に「一強」だったか。

 各種世論調査では常にそこそこの内閣支持率を維持し、選挙も連勝したが、
支持理由の最多は終始一貫「ほかに適当な人がいない」。
政権が高く屹立したのではなく、政権交代の失敗に人々が失望し、
しかも野党が四分五裂し、周囲が総陥没した結果としての「一強」。
国にとっては不幸だが、政治の貧困ゆえに長期政権を担えたその強運。

 もうひとつ、最大の強みが晋三にはあった。
私にそれを教えてくれたのは、晋三の母校・成蹊大学の恩師でもある加藤節(成蹊大名誉教授 政治学)。
「安倍三代」の取材でインタビューした際、加藤は安倍政権の顕著な特徴を「ふたつのムチ」
___すなわち「無知」と「無恥」に集約されると辛辣批判した。

 もちろん加藤は、改憲を訴えるのに憲法学の泰斗だった芦部信喜すら知らないと言い放つかつての教え子を難じる文脈でそう語ったのだが、逆にいえばこれは強烈な「強み」でもあると私は感じた。

「無知」で「無恥」な人間はある意味で最強である。
先人が積み重ねてきた知に疎いのに__いや、疎いからこそ、ルール違反の横紙破りも平然としでかし、
しかも「無恥」ならば批判や諫言も暖簾に腕押し、糠に釘、批判が刺さらず、なんの痛痒も感じない。


世襲の運命にのみ込まれた最期


 だからこそ、いち内閣の閣議決定で憲法解釈を覆し、
そのための内閣法制局長官をすげ替え、日銀総裁やNHK会長にお友達を送り込む掟破りもいとわない。
支持者や提灯持ちには利益誘導を繰り返し、
その一端が「モリカケ桜」問題として噴出しても嘘、詭弁を連ねて知らぬ顔。
「桜」問題だけで118回も国会で嘘を吐き、
「森友」では自らの開き直りで公文書を改ざんされ、真摯な公務員の命が絶たれ、
多少たりとも廉恥の情があれば耐えられない状況でも平気の平左、
「日教組、日教組!」と口をとがらせて野党にヤジを飛ばす。

 これも首相が行政府の長であるという知に立脚すれば、
国権の最高機関でヤジを飛ばすのは禁忌だが、すべては「無知」と「無恥」の成せる術。

 「安倍三代」には記さなかったが、
毎日新聞で晋太郎の番記者だった故・岸井成格が生前教えてくれた逸話も思い出す。
晋太郎は晋三を岸井に紹介した際、苦笑しつつこう漏らしたのだという。
「こいつはね、出来は悪いが、言い訳をさせたら天才的だ」と。
そうやって「無知」と「無恥」、そして「言い訳の天才」という“才”を武器に
「憲政史上最長」政権を成し遂げたボンボンが、病でも政治テロでもなく、
カルト宗教に人生を破壊された男に手製銃で撃ち抜かれてしまったのは、
最後の最後に世襲政治家としての運命にのみ込まれてしまったようにも思える。


 繰り返しになるが、世襲政治一家に生まれなければ晋三が政治家になることはなく、
その空虚な器にジャンクな右派思想を注ぎ込まれることもなかった。
だが、いまさら記すまでもなく旧統一教会が日本で勢力を伸ばす端緒を開いたのは祖父の岸信介。
以後3代続いた教団との蜜月が汚れた澱を深く重く沈殿させ、
ついにはそれが強烈な遺恨となって3代目の胸を貫いてしまったのである。

 「安倍三代」の系譜を取材した者として、唯一心残りなのは、晋三が岸ではなく、寛に共感を寄せていれば、
その政治姿勢も随分違ったものになったろうし、このような最期を迎えることはなかったのでは、という点だが、
空虚な器にジャンクな右派思想を満たしてしまった3代目にそのようなことを言っても、もはや詮ない。
なにより当の3代目がもうこの世にいないのだから。


無差別攻撃の深層

2022年08月31日 | 個人的なメモ帳

本日は山日新聞からコピペ。

わざと難民を作り出し、人々を武器として利用する冷血。
怖ろしい世界になった。

 

難民を「武器」に欧州分断

    グレンコ・アンドリー  国際政治学者(ウクライナ)


 ウクライナ侵攻後、病院や学校などの民間施設を執拗に攻撃するプーチン・ロシア。
人口密集地で殺傷力の高い兵器を使用しているとも指摘される。
人口4千万を擁する「兄弟国」に残虐行為を繰り返す狙いは何なのか。
「レコンキスタ(失地回復)の時代」
ウクライナの気鋭の国際政治学者グレンコ・アンドリーに無差別攻撃の深層を聞く。


ロシアの民間人攻撃は恐怖をあおり、戦意を喪失させるのが狙いか?

プーチン大統領と同じくソ連国家保安委員会(KGB)の出身で、
腹心と言われるパトルシェフ安全保障会議書記が昨年11月、
ロシアの有力週刊誌に対し、こんな発言をしている。
ウクライナで戦争が起きたら『何百万もの人が出国し、他の土地へ避難するだろう』と。
『他の土地』とは欧州のことだ。『大量の難民が押し寄せてもいいのか』と暗に脅していた。

 大勢の外国人が流れ込み、長い間滞在すると、三つのリスクが欧州連合(EU)で持ち上がる。
まず、受け入れ国の住民との摩擦を生み、社会が不安定化し、政治的に混乱する。

 次に、EUの内部に不協和音が生じる。27の加盟国は広さも人口も、経済力も異なる。
どの国が、どの程度、避難してきた人々の面倒を見るのか。国同士の不信感が頭をもたげてくる。

 そして最後に、住民の不安や政治的混乱、国家間の不信に乗じ、外国人を嫌悪したり、
移民や難民に寛容な政策を非難したりする右翼ポピュリストが支持を伸ばし、影響力を拡大する。
彼らの主張が過激でも、それ自体を取り締まることはできない。言論の自由があるからだ。
難民危機は民主主義の弱点を突き、欧州をかく乱し、プーチンにとって有利に働く。

難民を戦争の「武器」として使っているとしたら驚きだ。

 そうしたケースは実はウクライナが初めてではない。
反米・親ロシアのアサド大統領を支援するため、
2015年9月末にシリア内戦に軍事介入した際も、同じ手口が使われた。

 あの時も民間人が狙われ、ロシア軍機が住宅地を空爆した。
戦禍を逃れた人々は自由で安全な土地を目指す。
15年だけで数十万のシリア人が欧州に押し寄せ、難民危機を引き起こした。

 確かに、最大の介入目的はアサド体制の維持だった。
シリアにはロシア海軍や空軍の拠点がある。アサド政権が倒れてしまったら、
中東のど真ん中に築いた貴重な足場が失われる。

 しかし、アサドという独裁者を守るだけなら、反政府軍を狙えばいい。
住宅地への無差別攻撃を繰り返し、民間人を殺傷して、膨大な数の人々を国外に追いやる必要など全くない。
だから、介入の前か後かは分からないが、
ロシアはある時点で戦災者を使って西側を弱体化できることに気づき、
大量の難民を欧州に送り込む謀略工作に乗り出したとみている。

難民危機は「反移民」ポピュリズムを醸成し、欧州を分断した。

 右翼勢力が大きな役割を果たした。
フランスの極右『国民連合』(旧国民戦線)、『英独立党』や
『ドイツのための選択肢』、イタリアの『同盟』などが代表例だ。
いずれも反移民・反難民、反EU・グローバリズム、反米などを掲げている。
難民をめぐり『血税をなぜ部外者に費やすのか』『人件費が安く仕事を奪う』『治安を乱す』などと訴えた。

 その結果、危機のさなかにシリア難民を受け入れたドイツのメルケル前首相の信頼は傷つき、
移民や難民の権利を尊重するEUへの懐疑論が高まり、英国は16年にEU離脱を決めた。
見逃せないのは、ロシアが移民大国である事実に目をつぶり、
プーチンの反米プロパガンダや愛国ナショナリストとしての姿勢に共感し、礼賛する右翼が大勢いることだ。

 ロシア側もよく分かっているから、反米右翼の支持を広げ、欧州の分裂を促す巧妙な情報工作を仕掛けている。
英政府や議会によると、サイバー攻撃など政界への介入は常態化している。

 金銭的支援が行われている可能性もある。
極右は本国の金融機関から相手にされないことが多い。
国民戦線はプーチン政権と関係が取りざたされるロシア系の銀行から10億円超える融資を受けていた。
ウクライナ侵攻に到る10年近くの間、地下水脈は勢いを増してきたのだ。


                      聞き手 共同通信編集委員・川北省吾




追加:
浸食された開放精神

「彼らに手を差し伸べたことを謝罪しなければならないのなら、ドイツは私の国でなない」

2015年の欧州難民危機の際、シリア難民に門戸を開き、
右翼から激しく批判された当時のメルケル・ドイツ首相は即座に反論した。

1954年、キリスト教牧師の家に生まれたメルケル氏。
秘密警察が目を光らせ、密告がはびこる冷戦下の東ドイツで
「私の人生は形づくられました」(カティ・マートン著 「メルケル」)

門戸開放は政治を超えた決断だったろう。
恐怖と欠乏から逃れてきた人々に寄り添うことは、
かつて「壁」の向こうで憧れた「西側」の価値を守る営為に違いない。

グレンコ・アンドリーによると、
プーチン大統領のロシアはその価値の弱体化を狙う。
膨大な難民を発生させ、
外国人排斥の右翼ポピュリズムに火をつけ、自由と寛容の心を押し殺す・・・。

フランスの極右「国民連合」在籍時にルペン党首の外交顧問を務め、
クレムリンにも人脈を持つエイメリック・ショープラード欧州連合議員は
「ルペンを支えることはロシアの利益だ」と米紙に語る。

トランプ前米大統領がプーチンを称賛した時、
メルケル氏は大きなショックを受け、長く痛手が尾を引いたという。
レコンキスタ(失地回復)の時代の中で、メルケルの精神は内側からも浸食されている。


人間は限りなく邪悪になる

2022年05月23日 | 個人的なメモ帳

5月23日付 山日新聞のオピニオン欄から 「世界探視鏡」
写真も記事と同じものを使用。


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ウクライナ南東部マリウポリで、破壊された建物と住民(4月)

 


ロシア・サンクトペテルブルクで演説するプーチン大統領(4月)



人間は限りなく邪悪になる   
             
            ドイツ哲学者・ボン大学教授 マルクス・ガブリエル  


「万人は万人に対するオオカミである」。
人間にとって最も危険なのは他者なのだ。


 ヒトこそは、この地球上をかつてうろついた生物の中で、
群を抜いて危険かつ最も暴力的な創造物である。
現在、ウクライナで想像を絶する人道犯罪に加担している殺人者、強姦者、サディストと比べるならば、
私には肉食恐竜ティラノサウルスも愛玩犬に見える。

 ここで私たちは極端な暴力や戦争が現代文明の産物ではないことを思い起こす必要がある。
暴力と戦争は何千年も人類と共にあり、近代化の過程で悪化した。
近代の自然科学やテクノロジーは、大量破壊兵器の出現に責任を負っている。
そして、この兵器の脅威こそが「西側」とロシア軍の衝突を阻んでいる。(抑止力)

 つまりウクライナの激烈な戦争は、
現代文明のひとつの表れであり、決して野蛮への回帰ではない。
ロシアもまた、ハイテク兵器を装備した現代の国家なのである。

 確かに極端な暴力は常に悪のイデオロギーに導かれる。
人間がウクライナで起きていることを行い得るのは、相手を人間とみなさないときだけだ。
この理由から、私たちはプーチン・ロシア大統領の思想を真剣に受けとめる必要がある。
なぜなら私たち(日本を含む西側諸国)も、
潜在的に他者を人間でないとみなすイデオロギーを持っているからだ。

 私たちは、非人間的で極端な暴力は狂人だけがなし得ると考える。
私たちはロシア人、つまりこの戦争の敵を人間でないとみなし始める。
一方で、消費社会において、
私たちは移動や通信を維持するためにロシアの天然ガスやレアアース(希土類)を必要としている。


  現代文明の病理


 人間は残念ながら、完全に理性的にもなり、同時に限りなく邪悪にもなり得ると、
心にとどめておくことが重要だ。
人間を破壊する衝動を生み出すために必要なのは、イデオロギーの過激化と機会の創出だけなのだ。
私たちはそうした衝動を、平和共存が必要な大量消費主義を含む自らのやり方でなだめている。
私はその生き方を批判しない。
それどころか、リベラルな民主主義は、
暴力に導くイデオロギーより客観的に優れていると信じている。

 ただ私たちは、
大量破壊兵器を生み出し、資源を争奪して大量消費社会につぎ込むという、
自らの暴力性に目をつぶるべきではない。
化石燃料で動く私たちの社会は、極めて暴力的だ。
それは人類を自滅へと脅かす!
ウクライナに対する集中的な暴力の激発は、現代文明の恐るべき病理の最も新しい発現に過ぎないのだ。

 この困難から抜け出す最初の1歩は、
極端な暴力は決してなくならない、
(ロシアが侵攻を始めた)2月24日に目覚めた新たな世界にいたわけでない、と認識することだ。
ウクライナで起きていることはいつものことであり、それこそが真の厄介な問題なのである。

 自分たちが、
グローバル経済に基づく永遠の平和への途上にいるという錯覚を乗り越えるべきだ。
ウクライナでの暴力の爆発は、新型コロナウイルスの世界的大流行と同様、
望ましくない分断の表れであることも認識しなくてはならない。

 私たちの問題の解決には、目の前の困難について完全にリアルに理解すること、
つまり錯覚やイデオロギーにとらわれないことが必要なのだ。


自らの暴力性に自覚を


「正常」の範囲を狭めていく

2022年05月19日 | 個人的なメモ帳

少年サッカーに関わっていた時、保護者たちからよく言われたものだ。

「キビしくお願いします」

残念ながらというか、期待に応えることはなかったと思う。
ガキんちょに、それも少年サッカーにキビしさはたいして必要ない。

罰走とか言って、炎天下無限にピッチの周りを走らせたり、
ミーティングを延々、延々、延々、1時間近くやっていたり、
クッソしょーもない指導者どもをどれだけ見てきたことか。。。
自己満がジャージ着てるようなバカが、今も、そこに、あなたのお子さんのそばにいますよ。
気ぃつけなはれや!


指導者をしていた6年間には、そりゃいろいろな個性と会った。
※ カテゴリーの中の「少年時代」参照してちょ

多動性障害や、アスペルガーという言葉も聞いた。
じっさい授業中、席を立って騒いでしまう子もいたりした、らしい。

今これを書いている前の壁には、「はんせい文」が2通張ってある。
書いた子はもう中3と高校生になっている。
はんせい文(サッカーしていて職員室のガラスを割った反省文^^)とは名ばかりの、
こ汚い字と、しょーもないイラスト、現場の見取り図まで添付してあるやつだwww
はんせい、1ミリもしてねーだろ。 ただただおもしろい。
笑えて懐かしい。

どうか 厳しさより楽しさを。


□□□ □□□ □□□


ここからは気になったコラムをコピペ。
指先の衰えに抗うためのタイピングの練習もかねて、よし、打っていきましょか


山日新聞 5月18日付け

論考 2022  磯野 真穂  進む疾患の細分化


「正常」狭める不気味さ


 米国留学中の2000年に、私は摂食障害の研究を始めた。
摂食障害は当時、大きく分けて二つに分けられており、
一つは太ることを恐れ、命を脅かすほどの低体重になることもある「拒食症」。
もう一つは標準体重ではあるが、過食と嘔吐などの代償行動を繰り返す「過食症」である。

 程なくして私はあることに気づく。
それは、摂食障害の種類がどんどん増えてゆくことだ。
まず知ったのは、かつて男性版摂食障害と呼ばれ、
今は身体醜形障害の一つに分類される「muscle dysmorphia」
自分の体が十分にたくましくないと感じ、過剰なトレーニングに走る症状である。

 これだけではない。
過食はあるが代償行為の伴わない「過食性障害」、夜だけ過食してしまう「夜食症候群」など、
新しい症状が次々と発見され、名前が与えられていく。

 学者の業績に

 この傾向は今も続く。
最新の摂食障害は「オルトレキシア」。
これは健康的な食べ物の摂食に執着してしまう症状だ。

 大学院生だった私はこれを不思議に感じ、その理由を心理学の教授に聞いてみた。
すると、次のような答えが返ってきた。
「新しい疾患を確立すると、それが学者の業績となるから」

 これには虚をつかれたが、
その後の研究者人生で目にするあれこれが、教授の言葉の的確さを裏付けていく。
たとえば新疾患の第一人者になると、論文の引用回数が増える。
学会の基調講演などに招かれやすくなり、学問の世界での存在感は増す。
それらは大学でのより良いポジションに彼らを導く。

 ではこの時、学問の外では何が起きるのか。
新しい疾患は「自分の状態に病名が与えられ、ようやく肩の荷が下りた」
といった具合に市井の人々におおむね歓迎される。
理解を深めるキャンペーンが行われることもある。

 さて、ここまで読んだ皆さんはどう思われただろう。
新疾患の確立は、不幸になる人を誰もつくらない、八方良しの学問的営みであると感じただろうか。
実は私はこの状況に、むしろ不気味さを覚えている。
「あるべき状態」から外れている人たちを発見し、その人たちに病名を与え、
治療の枠組みを確立することは、「正常」の範囲を狭めていく作業に他ならないからだ。

 分類と名付け

 そのいい例が近年日本でも急速にその数を増やす注意欠陥多動性障害(ADHD)である。
これは人の話を最後まで聞いたり、一つのことに集中できなかったりといった、
過度に落ち着きのない状態を指す障害だ。
米国のジャーナリストであるアラン・シュワルツの「ADHD大国アメリカ つくられた流行病」によると、
米国の子どもたちの15%がADHDと診断され、その大半が投薬を受けている。
男児に限ると診断率は20%まで上昇する。

 シュワルツはこの統計の背後に、
製薬会社の多額の投資、子どもを薬物で鎮め、願わくば学力向上を図りたい大人の思惑、
不明瞭な診断基準があると指摘する。
落ち着きがないのが子ども、という考えはもう古い。最新の知見に従えば、それは治療できるのだ。

 また摂食障害と同様に、ここでも新しい障害が誕生しかけている。
その名は「SCT=緩慢な認知」。
これはADHDとは「ちょっと違う」障害だ。
SCTの子どもたちは、大人が期待するよりゆっくり動く。
物思いにふけって目の前の課題に集中できない。
米国内で潜在的なSCTの子どもは300万人ほどいると述べる者もいる。

 分類と名付けは、世界に秩序を与える人間の知性である。
その知性は、世界はこうあるべきだという価値とともにある。
「見えない障害」に気付くことが、多様性に配慮した優しい社会であるという、
反対し難い声の裏でうごめく価値は何か。

それは、新しい市場を発掘し、消費を喚起することが善であるという資本主義のそれである。
資本主義と医学は、無縁どころか、互いにしっかり手を結ぶ。
しかしこのような批判は、「それで助かる人がいる」という反論の前に力を失う。
こうして人はどこまでも細分化されてゆくのだ。
                             (人類学者)





大変な未来しかないわけないだろう②

2022年05月02日 | 個人的なメモ帳

大人になるって何ですか

この4月から、18歳19歳も成人となり大人扱いされるそう。
お国がそー決めたんだから、文句を言わないように、だってさ。

 



最果タヒ(さいはて・たひ)さんからの、新成人へのメッセージを抜粋。


 人生に物語の筋はない

人生は物語ではない。
伏線が回収されるわけでも、努力が必ず報われるわけでも、
決めた進路をつらぬいて、それで幸せになれるわけでもないのが現実です。

何かをつらぬかなかった人が、物語みたいに失敗したりしたとき
「ほらみたことか」と言いたがる人もいる。
それは物語で悪役が罰を受けるときに感じるカタルシスとおなじものを感じているのかもしれません。

 でも目の前にいる人は人間で、誰かにカタルシスを感じさせるために、
物語になるために生きている人なんてどこにもいない。
物語のように気持ちのいい、まっすぐな生き方をしなければ失敗するに決まっている、
という捉え方は、人の人生の複雑さを軽視しすぎではないかと思います。

 大人になる、自分で何かを選択する、というのは責任が伴うけれど、
でもその責任の重さを第三者が必要以上に脅すように伝えてくることは若いころ多々あり、
そのとき感じたうっすらとした不気味さについて、私は今なら話すことができます。

 人は物語のようにスッキリ生きることはできませんが、
物語のようにスッキリ生きることができないとき、
それじゃ失敗するぞとまるで物語の預言者のように伝えてくる人はいる。

その人も、でも、未来は見えていません。
どんなに年上の大人だって他人の人生の先は見えない。
当たり前のことですが、これから大人になる人に私はこのことを伝えたいです。




次なる100年

2022年04月27日 | 個人的なメモ帳

「次なる100年」  水野 和夫著

 


資本主義の命題を論証

次なる100年はどこに向かうのか?

 資本主義の蒐集(しゅうしゅう)は、それが生活向上をもたらす限りで正当化されてきた。
だが、現代は資本過剰の時代である。
それが企業の内部留保であり、富裕層の膨大な金融資産である。
ため込まれるだけで、実体経済のために使われない資本はもはや「石」に過ぎない。

 コロナ禍のような緊急事態にも、大企業や「ビリオネア」が過剰資本を抱える一方、
生死に関わる困窮状態が放置される現状に対する本書の怒りは大きい。
「盗み」「罪」「犯罪」「不正義」などの言葉が並ぶ。

 そこに加わるのが気候危機だ。
資本主義の成長を可能にしてきた化石燃料も有限である。
その結果、「より遠く、より速く」経済成長することが今後は不可能となり、
地球環境も劣化していく。

 永遠の経済成長がもはや不可能なのは自明だろう。
だが、冨は十分あると水野は言う。
内部留保課税、所得税増税、そして金融資産課税といった大胆な再分配政策によって、
正義を取り戻し、成長に依存しない経済へと大転換すべきだと、本書は訴える。

 では、ポスト資本主義において、人間は何を目指して生きるのか?
その答えは、本書を手に取って確認してほしい。


本を買って読めってか^^ そりゃそーだもの。
でもね、 3,960円もするの(泣き)


          ※ 山日新聞の書評欄から一部抜粋。
           (評者は斎藤幸平・経済思想家)


神のお告げ

2022年02月13日 | 個人的なメモ帳

コロナが居座り始めてはや2年。

コロナに限らず、なんか知らんけど体調悪いなぁ と思ったらどーします?
ふつー医者行くでしょ。
で、とりあえず様々な検査を受けますよね。
検査しなけりゃ、体調不良の原因が分かりませんから。。。

そんな当たり前のことを
コロナではやらない理由をカミ先生が分かりやすく教えてくれます。

   研究者というのは論文の数で分かります。
   アンソニー・ファウチは1000本、尾身先生は1本。
   尾身さんはそもそも研究者ではないんです。


うん? 尾身会長とは何者?
私たちは日々どーゆーひとの御宣託を拝聴しているのだろう?

 ※ 淳くんの方より、西谷さんのラジオの方がより詳しく伝えてくれます。


【田村淳のNewsCLUB】ゲスト: 上昌広さん(2021年8月7日後半)


西谷文和 路上のラジオ 第65回 上昌広先生「感染症ムラの闇を暴く!」


西谷文和 路上のラジオ 第78回 上昌広先生に訊く「日本のパンデミック行政の闇」


個人的切り抜き集④ 丸川タピ代

2021年05月14日 | 個人的なメモ帳

週刊文春連載中の能町みね子のコラム「言葉尻とらえ隊」より。

今回、能町さんに言葉尻を捕らえられたのは、丸川珠代。
オリンピック担当大臣だ。
ホントはエラいんだぜぇ

サブタイトルはまんま「分からない」

ではいってみよう!


丸川珠代といえば19年の参院選で、タピオカの容器の不統一などについて
「これこそ政治が解決すべき点」
と主張したので(ツイッターに書いた唯一の公約がタピオカ政策)、
それ以来私は彼女をタピオカ担当大臣・丸川タピ代と呼んでいます。

しかもこの公約はまったく実現されていません。
ブームは終息しましたが、早急にうごいてほしいものです。

 
 タピオカ担当大臣は丸いものが好きなので、
適材適所で、丸がたくさん描かれたマークでおなじみのオリンピックの担当大臣にもなっていたようです。
しかし、タピオカと五輪ではだいぶ丸の大きさが違いますので、
やはり重荷なのではないか、と思うことが頻発しています。

 4月23日、IOCのバッハ会長が、
緊急事態宣言は五輪開催に関係がないと言い切ったことについて、タピ代いわく

「報道では存じているが、直接話してないので分からない」

さらに、緊急事態宣言が及ぼす影響について聞かれても

「今のところ答えることは難しい」


担当大臣なのに何もわからないんだな・・・・・と呆れながら、私はふと
タピ代って、『聞いてない』『分からない』『答えられない』みたいなことばかり言ってない?
と思い、調べてみました。

3月、中国オリンピック委員会からワクチン提供の申し出があった。というバッハの発言について
「事前に伺っておりません」

観客の上限を判断する時期について、
日本側は4月で合意したにもかかわらず、バッハが5、6月の状況を反映するように求めたことに
「よく伺ってみないと分からない」

4月、北朝鮮がオリンピックに不参加の意思を表明したことに
「どういう事情か分からない」

タピ代、何もかも、分からなすぎなのでは?
都合が悪いからはぐらかしているという狡猾さすら見えず、
本当に何も知らない人がボケっと突っ立っている感じを受ける。

しかも、文脈的には「聞いてないから分からない」ばかり。
そんな堂々と言うなよ、聞けよ、情報収集せえよ。
知らされてない状況はマズいって自覚してよ。
担当大臣なんでしょ?

実はタピオカのツイートにについては、意外にも井上咲楽が去年インタビューしていました。
その回答によれば、
「プラスチックのリサイクルに問題意識を持っているので、
 タピオカの容器がポイ捨てされているのを見て、思ったことをさっさと書いた」らしい。

「さっさと書いた」ああ、納得。
場当たり。若者にウケるかもという思いつき。
じっくり考え、自信を持って言えるような主張が何もないから、
結果としてツイッターにはタピオカのことしか書けなかったんじゃないだろうか。

「お飾りの女子アナよりも、自分を生かせる仕事をしたい」程度の気持ちを見透かされ、
結局テレビで有名だから票を得やすいという理由で、
タピオカ兼五輪担当大臣は中身のないまま有用なお飾りとして矢面に立たされている。
今井絵理子もそのうち大臣になるんでしょうかね。





ちゃんとせえ笑


個人的切り抜き集 ③

2021年03月26日 | 個人的なメモ帳

完全なる個人的なメモ帳 

このブログ、基本は備忘録ですから読者を想定していませんが、
そーは言っても、見てくれる方もおります。 ありがてえ~

が、このカテゴリーは完全にワタシのメモです。
印象に残った文章などを、放り込んでおくロッカーみたいなもんです。
まあ、老化防止をかねてのタイピングの練習、という側面もあります。

なので、スルーしてくださって無問題です。

□□□□□□


コロナ時代のスポーツ 青学大陸上部・原監督に聞く
 ※ 去年、2020年のインタビューから


競技団体の改革解体を 
 五輪は裏が分かり冷めた  by 原 晋(はら すすむ)



ーコロナ下でスポーツ界をどう見ていたか

「大きな視点で感じたのは、アマチュア精神の中で長く続いた日本の競技団体とは
 誰のための組織なのかということ。
 日本陸連にしても、マラソンや駅伝が軒並み中止になっている一つの要因は
 長距離に志を持つ役員がいないから。
 これが種目ごとの組織になれば、長距離に熱い思いのある人が、
 多少のリスクを背負っても開催に向けた物語をつくっていくだろう。

 あるいはビジネスの仕掛けが全くなく、コロナの影響でお金がなくなったら、
 唐突に登録料を上げる話になる。
 スポーツ組織のメカニズムを解体し、あり方を変えなければ、という思いだ」


ー3~5月に日本中の大人は、やれない理由ばかり探したように見えると指摘したが。

「大人とは、責任を取らない、収益を上げようとしない組織のこと。
 その権威主義、前例主義、既得権益の『3点セットの打破』は、
 アマチュアスポーツの一丁目一番地で改革しなきゃいけないキーワードだ」


ーならばマラソンや駅伝を開催する具体策は?

「今やマラソン大会は競技会と村おこしの側面を持ち、
 五輪金メダリストから市民ランナーまで同じ土俵で戦える。
 しかしコロナ下では無理がある。
 トップアスリートだけにすれば相当に管理監督されていて、何かあっても追跡可能だ。
 競技特性としても、屋外で接触はなく、感染リスクは低いから開催できる」

 駅伝で中継所の役員らの保護が心配なら、区間記録はビデオ判定できる。
 究極はスタートとゴールさえ正しく証明できれば区間記録はなしという方法もある。
 どうしたらできるのかのルールを作ればいいだけ」


ー沿道の観客対策は

「大声を上げて飛沫を飛ばすのは良くないが、屋外だから3密はないし、
 マスクをすれば拍手や旗を振ることは問題ない。
 応援する選手が通り過ぎるのも一瞬。
 20分間その場にいたとしても、満員電車に1時間乗る方がよほど3密でしょ」


ープロスポーツ以外でも大会が開かれ始めた

「陸上界は活動自粛で自主練習が増えたのに、意外と記録が上がっている。
 指導者と選手の距離感がうまくいき、選手たちも走れることのありがたさを感じたのだろう」


ー東京オリンピックは開けそうだとの流れが出てきた

「国内大会と国際大会は違う。諸外国の皆さんを招くというのはリスクだらけ。
 まずは早く日本のさまざまなスポーツができるように対策し、
 そのパイが広がることで五輪になる。
 そこができていなくて五輪ができるわけないじゃないですか」


ー7月の各種世論調査で「中止」との意見もほぼ3割に達した

「うーん。
 僕は国際オリンピック委員会(IOC)の裏が分かった時点で
 ある意味、さめてしまった。
 マラソン、競歩もトップダウンで札幌に移り、
 招致に裏金が流れたとの報道もあった。
 
 五輪はアスリートが名誉をかけて自分の肉体を表現する本物の戦いだから、
 みんな感動する。
 それ以外の所が見え隠れしちゃったというのが東京オリンピックだなあ。
 やはりアンチが出てきますわ」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


★★ 女性蔑視発言により森喜朗辞任。
   渡辺直美体形蔑視発言により開閉会式統括責任者辞任。
   ボランティア、聖火ランナー、辞退者続々。
   海外からの観客は無し。
   変異株、上昇中。
   聖火リレー、なでしこメンバーでスタート
   果たして。。。。。
   


個人的切り抜き集 ②

2021年03月24日 | 個人的なメモ帳

完全なる個人的なメモ帳 

このブログ、基本は備忘録ですから読者を想定していませんが、
そーは言っても、見てくれる方もおります。 ありがてえ~

が、このカテゴリーだけは完全にワタシのメモです。
印象に残った文章などを、放り込んでおくロッカーみたいなもんです。
まあ、老化防止をかねてのタイピングの練習、という側面もあります。

なので、スルーしてくださって無問題です。


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私的メモ帳その2は、作家による書評だ。
凪良ゆうが、山本文緒の「アカペラ」を推している。


圧のない希望の描き方 by 凪良 ゆう

 
 わたしはカーテンを全開にできない。
さんさんと差し込む光や、明るすぎる場所が苦手で、
半分カーテンが引かれた薄ぼんやりと暗い部屋で過ごすほうが落ち着く。

 山本文緒「アカペラ」(新潮文庫)の中の一編「ネロリ」は、
わたしにとってそういう感覚の話だ。
病弱で働けない弟と、その弟の面倒を見ている姉。
姉が長年勤めた会社を退職させられ、人生に影が忍び寄っても、
中年の独身姉弟は理不尽さに憤ることもなく、あらがわず、慣れた諦観を隣に淡々と生きていく。

「人生がきらきらしないように、
    明日に期待しすぎないように、
       生きている彼らのために」

という単行本の帯文を見たとき、わたしは懐かしい記憶に胸を絞られた。

 わたしは複雑な家庭で育った。
今ほど多様性が認められず、「普通の家庭」を基準に物事が決まっていく学校の中で、
翌日までにはんこを押してもらうことが困難で、いつも忘れ物の多い子として立たされて注意された。

 恥ずかしかったし、悲しかった。
なのでさっさとカーテンを半分閉めて、明日から気をつけまーすとへらへら謝りながら、
好きな本のことなどを思い出して現実から逃避していた。
正面から見据えて受け止めるには、教室という世界は正しく明るすぎたのだ。

 日々をしのぐだけで精いっぱいのある種の人たちにとって、
きらきらと光を放つ希望や期待は圧になる。
だからこれ以上荷物を増やさないように、あまりそちらを見ず、
半眼で薄ぼんやりと生きていく「ネロリ」の姉弟に、わたしは懐かしい諦観を思い出した。

 けれど、少しの希望も期待もないわけじゃない。
姉弟のそばにいる心温ちゃんという女の子が物語の最後に期待の芽を植えつける。
彼女がとても若く、若干の頼りなさを伴っているのがまたいい。
この圧のない希望の描き方。
どうか世界が明るすぎませんように、
疲れた人が休める日陰がありますように、そう願ってやまない。

 


個人的切り抜き集 ①

2021年03月22日 | 個人的なメモ帳

完全なる個人的なメモ帳 

このブログ、基本は備忘録ですから読者を想定していませんが、
そーは言っても、見てくれる方もおります。 ありがてえ~

が、このカテゴリーは完全にワタシのメモです。
印象に残った文章などを、放り込んでおくロッカーみたいなもんです。
まあ、老化防止をかねてのタイピングの練習、という側面もあります。

なので、スルーしてくださって無問題です。


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一発目は「よはくをあるく」 その66

宅老所みつばやあんき物語 堀内直也

「生」という暗闇の中で

 早々と諦めることもなく、いつまでもしがみつくこともなく、
出過ぎることもなければ、引き続けることもない。
伝える者があるならば、そこには受け取る者がいる。

 ボクらはお年寄りと一緒に過ごす日々から、いったい何を受け取っているのだろうか。
星の光が目に届くまでには時間差があるように、
夜空を見上げ続けなければ星は見えないように、
ボクらは届けられている思いを命の終わりまで受け取り続けたい。

 東日本大震災から10年の月日がたった。
生きることは楽しいことばかりではない。むしろ、つらいことの方が多いかもしれない。
帰る場所を失ってしまったり、頑張っているのに報われなかったり、
大切な人と突然の別れを迎えてしまったり、それから・・・。

 ボクは弱いので、先のような場面に出会うと苦しくなるし、悲しくなる。
生きることをやめたくなる日だってある。
ただ、これはきっとボクだけが抱くものではない。
震災はもちろん、戦争などを経験してきたお年寄りも同じだと思うことがある。
だからこそ、ボクはお年寄りに対していつも思っていることがある。

 それは
「今はよぼよぼで、ぼけぼけだけど、生きてきた分だけ頑張っているんだよな」
「つらいことがあっても一度も死ぬことを選ばなかったんだよな」
「それは本当にすごいことだよな」 ということ。

 思想家のシモーヌ・ヴェイユは
「私たちが認識できる限り、人間存在の唯一の目的は、
     単に生きることの暗闇に火をつけることである」と言った。

 誰にでも必ず訪れる深い暗闇を前に、一度も絶やすことなく火をともし続ける。
それは「後ろを歩くボクたちが暗闇の中で迷わないように」という意味もあれば、
「あなたの世界に私はいたい」「あなたのいた世界に私はいたい」
という、自他の存在を肯定するメッセージを送り、受け取り続けてもらっているように感じる。

 100歳に近いトキコさんに
「生きていてくれてありがとう」と伝える。
トキコさんは、
「長生きするかいがあるよ。 その言葉をそのまま返すよ」と笑顔で伝えてくれる。

 今日も星の片隅で、生きるという暗闇の中で、
ボクらは互いを照らす火を受け取り合いながら今を紡ぐ。


(介護福祉士 甲府市NPO法人 みつばのクローバー代表)