2018年05月23日01時04分25秒付で「東京都内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定線」という記事を掲載しました。今回はその続編です。なお、既にこのブログで触れたものもあります。
▲「四十三 茨城県土浦ヨリ水海道、境、埼玉県久喜、鴻巣、坂戸ヲ経テ飯能ニ至ル鉄道及水海道ヨリ分岐シテ佐貫ニ至ル鉄道並境ヨリ分岐シテ古河ニ至ル鉄道」
第43号は茨城県および埼玉県に及ぶものです。ただ、この規定の仕方では栃木県および群馬県を通るかどうかがわかりません。
文字通りに読むと土浦⇆水海道⇆境⇆久喜⇆鴻巣⇆坂戸⇆飯能、水海道⇆佐貫、境⇆古河となります。いずれも鉄道路線としては実現していません。地図を見ながら想像すると、土浦駅から西進しつつも南北へ大きく、Wのように動くものであり、いかなる意味がこめられたのかと不思議な気分になります。
ただ、考え方によっては、坂戸⇆飯能の一部だけが鉄道路線として実現していると言えるかもしれません。東武越生線は、坂戸駅を出ると一本松駅、西大家駅と南西の方角に進んでおり、北西に転じて川角駅に向かうことなく南西の方角を採り続ければ日高市の北方へ向かうことになります。そこで、延長線をもう少し南のほうに向ければ高麗川駅に行くことになります。大正11年鉄道敷設法公布当時には八高線の高麗川駅および東飯能駅が開業していませんので、鉄道敷設法にいう飯能は西武池袋線(大正時代には武蔵野鉄道)の飯能駅のことでしょう。あるいは東飯能駅のことかもしれませんが、いずれにせよ、高麗川駅から東飯能駅までは第43号の一部であるとも言えます。しかし、それでは後に取り上げる第51号との関係はどうなるのかという問題が残ります。
▲「五十ノ二 千葉県我孫子ヨリ埼玉県大宮ニ至ル鉄道」
「神奈川県内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定線」で述べたように、鉄道敷設法に示された起点、終点が変更された上で実際に建設された路線があります。但し、経緯などを示した資料がなければ、こじつけと捉えかねられません。この第50号の2もそうです。
文字通り、我孫子駅から大宮駅まで建設された路線はありません。しかし、鉄道敷設法別表には、途中の経由地が書かれているものであっても詳細は示されていません。そうすると、第50号の2に示されている起点および終点が変更された上で実際に建設された、と理解するしかありません。この辺りの事情についての資料を持っていないので何とも言えないところですが。敢えて記せば、武蔵野線の新松戸駅から南浦和駅までの区間が該当すると言えそうです。
▲「五十ノ三 埼玉県与野ヨリ東京府立川ニ至ル鉄道」
「東京都内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定線」で扱いました。
▲「五十ノ四 埼玉県大宮ヨリ川越ヲ経テ飯能ニ至ル鉄道」
枝番号が付いているところが気になるところですが、私の手元にある平成30年版注解鉄道六法には改正経緯などの詳細が記されていません。
大宮駅から川越駅へ向かう鉄道路線と言えば川越線です。つまり、第50号の4は、終点が飯能から高麗川に変わった上で川越線として実現したのです。
▲「五十一 東京府八王子ヨリ埼玉県飯能ヲ経テ群馬県高崎ニ至ル鉄道」
八高線そのものです。厳密に言えば、同線の終点は高崎線の倉賀野駅ですから、高崎駅の一つ手前となります。また、同線には飯能駅ではなく、東飯能駅があります。
なお、八王子駅から高麗川駅までの電化の後、電化区間と非電化区間は完全に系統分離がなされており、同一の路線とは思えないほどとなっています。八高線の高は高麗川のことと思っている人もいるかもしれません。似たようなことは川越線にも言えます。同線は全線電化されていますが、川越駅で系統分離がなされており、大宮駅から川越駅までは埼京線の延長のような部分であるのに対し、川越駅から高麗川駅までの区間では八高線の高麗川駅から八王子駅までの区間への直通運転がなされています。路線名と系統が合致していない訳です。
どうせのことなら、川越線の大宮駅〜川越駅と川越駅〜高麗川駅とを完全に分離し、八高線も八王子駅〜高麗川駅と高麗川駅〜倉賀野駅を完全に分離し、別路線としたらいかがでしょうか。
川越線の大宮駅〜川越駅は埼京線の一部と化していますが、埼京線は山手線、赤羽線(正式の路線名としては生きています)および東北本線の愛称の一つに過ぎませんから、川越線でよいでしょう。
川越線の川越駅〜高麗川駅と八高線の八王子駅〜高麗川駅は、統合して一つの路線にするほうがわかりやすいでしょう。八川線、八越線などと変えればよいのではないでしょうか。
八高線の高麗川駅〜倉賀野駅は、上武線、武上線、高高線などとすることが考えられます。今後も非電化区間のままで残るでしょうし、八王子駅〜高麗川駅の区間との直通運転はなされないでしょうから、八高線を名乗る意味はかなり弱いものとなっています。