今日の朝日新聞朝刊6面13版に掲載されている「経済気象台」は「公約の堪えられない軽さ」です。どなたが書かれているのかよくわかりませんが、「呉田」氏によるものです。
地方自治総合研究所の地方自治立法動向研究会の一員でもある私が読んでいて、納得のいく、という表現では間に合わない内容です。私も同じようなことを考えているから、ということになります。
「政治家の言葉、特に政権の『公約』は重い。公約とは国民との約束、違えれば責任が問われる。政治とは『結果責任』である。」
これが「呉田」氏による書き出しです。しかし、改行して間もなく「『政権の公約』は限りなく軽い」と続きます。すぐに、朝日新聞6月22日付朝刊10面13版Sに掲載された「経済気象台」の「軽はずみな政治家」を思い出しました。公約の軽さということは、詰まるところ言葉の軽さです。毎年のように次々と公約、あるいは政策(むしろスローガンに近いようなもの)が出てきますが、あまりに腰が軽いのです。この5、6年ほどの与党税制改正大綱がそうで、法人税改革が2年続いたかと思えば所得税改革が中途半端に続く、といった度合いです。「呉田」氏は「アベノミクス、三本の矢、新三本の矢、希望出生率1・8、一億総活躍、生産性革命、同一労働同一賃金、働き方改革。次々打ち出された『公約』はどれも賞味期限せいぜい半年。何の結果も出せないうちに次の『公約』が登場して別の『改革』が始まる」と手厳しいのですが、「実際、何一つ結果が出せたものはない」という評価には反論できないでしょう。せいぜい「ふるさと納税」をあげるくらいであろうと思うのですが、これは「公約」の副産物のようなものですし、モデルガン(エアガンのようです)を返礼品に選ぼうとした(どう考えても常識などに欠ける)地方自治体が出てくる程に、度が過ぎています。ここまで来れば、何が返礼品に選ばれても驚きません。
「呉田」氏の評価とは若干異なりますが、希望出生率(結局は少子高齢化対策)、同一労働同一賃金などは長期的な展望が要求されるという意味で大改革になるでしょう。勿論、正確な状況の把握と前提の設定が条件となります。楽観的な見通しでは全く意味がありません。青函トンネルと東京湾アクアラインのような失敗を繰り返すだけになります。
もう一つ、「呉田」氏が触れていない「公約」があります。地方創生です。この一環としての東京一極集中の是正をあげるほうがわかりやすいかもしれません。東京一極集中は、実際のところ、この数年間に突如出現した訳ではありません。過疎の問題が半世紀以上続いており、その対策のための法律も長らく存在していることを思い出せばよいでしょう。
本来、言葉には、時と場合に応じた重みがあります。しかし、現在はどうでしょう。言葉が軽いから、あちらこちらに手足が出る。しかし、突っつき散らかして終わる。このような感じでしょうか。