子どもの頃には当たり前のようにあったものが、年月を経るに従って見られなくなる。
それは、皆様にとって何でしょうか。
私に限らず、銭湯をあげる方は少なくないでしょう。
1970年代、川崎市高津区や中原区には、木造のアパートがたくさんありました。当時、風呂付きの部屋は珍しいくらいでしたから、街のあちらこちらに銭湯があったのです。
しかし、1980年代から、木造の風呂なしアパートも銭湯も少なくなっていきました。賃貸物件でも風呂が付いているのが当たり前の世の中になったのです。高津区でも銭湯は少なくなりました。今、区内には8軒あるようですが、ほとんどは橘出張所管轄地域で、そうでないのは諏訪の1軒のみです。
2015年12月まで、高津区は溝口三丁目に銭湯がありました。高津湯です。今も建物が残っているので、撮影してみました。
この細い道の途中に高津湯がありました。奥へ行けば国道409号に出るのですが、そうとは思えないような風景です。少々わかりにくいかもしれませんが、右側、道路にはみ出ているような木の緑が目印です。
溝口三丁目にあった帝京大学医学部附属溝口病院の1号館または1号棟の真裏という位置です。
今でも薪を風呂を焚く銭湯があります。ここもそうだったのでしょうか。薪の置場が奥に見えます。
薄くはなっていますが、今でも高津湯の字がはっきり読み取れます。しかし、シャッターは閉じられたままです。次に開くとしたら解体の時でしょうか。
2015年12月に閉じられてから、しばらくの間、「休業」するという趣旨の貼り紙がありました。とは言え、再開の時期が書かれていた訳でもなく、廃業であることは明らかでした。
実は、ここに一度入ってみたいと思いつつ、かなうことなく終わってしまいました。もっとも、私自身はあまり銭湯を利用したことがありません。
手前の高津湯、奥の帝京大学医学部附属溝口病院の建物、どちらも利用されていません。いつまで残っているのでしょうか。