ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

海辺の記憶

2012年05月07日 08時08分38秒 | 写真

 部屋の整理をしていたら、モノクロームの写真が見つかった。

 いつ、どこの海岸で撮ったのか、全く覚えていない。何故、白黒の写真が残っていたのかもわからない。ただ、不思議なもので、断片的に、あまりに断片的によみがえる記憶があった。それは非常に抽象的で、言葉にもならないものなのだけど。

Seashore01

 太平洋を見に行った。水平線を目にすると、日常の煩瑣なことなど気にならなくなる。浜辺の大地を踏みしめ、今、ここに生きていることだけを確認する。そうしたくて、季節はずれの海辺に行く。人がたくさんいたのでは、何をしに来てもすぐに日頃のことにとらわれてしまう。

Seashore02

 いつも、今も、「ここ」にいる。あの頃、世間はあれやこれやと浮かれて騒いでいたのに。

 遠くに人が見える。足元に、無造作に転がっている石を踏みしめ、我々はどこへ行こうとしているのか、と考える。

Seashore03

 海岸を歩いていたら、何故か自転車が置かれていた。吹き流しも一緒になって。誰かが置き忘れた訳ではないだろう。何の目印なのか。

 ふと、持っているCDのジャケットを思い出した。名ヴァイオリニスト、クレーメルのアルバム、From My Home。やはりモノクロームで、海岸に一台の自転車だけが置かれているという写真。寂しげな風景。

Seashore04

 砂浜のすぐそばの松林を歩き、また砂浜に出た。この松林が、人々の生活を守っている。時折、方々の海岸で見かけるが、このようなものを平気で壊してしまう無神経な者がいる。おそらくは富を目当てにして。色々な御題目を掲げつつ、結局は私利私欲のために。この美しい風景を消滅させ、無機質な人工物をつくりあげる。何を宣伝文句にしても、本当に美しいものを失わせている。

Seashore05

 「老人と海」。写真を見て浮かんだフレーズ。松林のほうから現れ、海に向かって何かをしていた。釣りではないと思うが、何であったかは思い出せない。

 細切れになった記憶を紡ごうとするが、一本の糸にはならなかった。


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