ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

再び、世田谷線の招き猫

2020年12月24日 08時00分00秒 | 写真

 世田谷線といえば東急で唯一の軌道線で、名称の通り三軒茶屋駅から下高井戸駅までの全線が世田谷線内にあります。都電荒川線ほどではないかもしれませんが、熱心なファン、それも鉄道ファンではないのに世田谷線のファンという方もたくさんおられます。

 その世田谷線に招き猫のラッピング電車があります。このブログでも2017年9月30日から3回に分けて掲載しました。デザインは少し変わりましたが、現在も世田谷線を走っています。

 世田谷線の車両は、現在、300系に統一されています。2両編成の10本が在籍しており、編成毎に色が異なります。招き猫のラッピングは308Fに施されています。本来のデザインは赤系統の色です。「世田谷線の招き猫(1)」と「世田谷線(1)」(2012年2月27日0時2分31秒付)を御覧ください。

 この招き猫は、2017年に玉電110周年記念として登場したものです。私は、同年9月29日に撮影しており、「世田谷線の招き猫(1)」(2017年9月30日0時0分0秒付)、「世田谷線の招き猫(2)」(2017年10月1日10時32分55秒付)および「世田谷線の招き猫(3)」(2017年10月2日0時0分0秒付)において紹介しております。同年の時と同様に今回も三軒茶屋駅の降車ホーム側で撮影しましたので写真を見比べていただきたいのですが、2017年と2020年とではラッピングとはデザインが少し違います。

 世田谷線に宮の坂という駅があります。そこが豪徳寺の最寄り駅です(小田急小田原線に豪徳寺駅がありますが、少し離れています)。豪徳寺と言えば招き猫、招き猫と言えば井伊家です。「世田谷線に乗って、豪徳寺へ行ってみた(その1)」(2014年9月21日11時31分28秒付)においても記しましたが、井伊直孝が右手を挙げた猫に招かれてお寺に入ったおかげで雷雨を避けられたという話があります。これが招き猫の由来で、豪徳寺という名称の由来にもなっています。

 現在はSETAGAYA LINEと記されていますが、2017年には「玉電110周年 幸せの招き猫」と書かれていました。当初、このラッピングは期間限定であったはずです。好評だったので現在まで続いているのでしょう。東横線90周年記念ラッピング車の5000系5122Fと似たような話です(そちらも現在まで走り続けています)。

 1907年、渋谷の道玄坂上駅(正確には停留所ですが、以下、駅と記します)から三軒茶屋駅までの区間が玉川電気鉄道によって開業されたのが玉電の始まりで、同年中に渋谷駅から道玄坂上駅まで、および三軒茶屋駅から玉川駅(廃止時には二子玉川園駅。現在の二子玉川駅)が開業します。渋谷駅から二子玉川駅までの区間が東急玉川線で、世田谷線は玉電の支線でした。世田谷線が現在に至るまで玉電と言われる理由です。1969年5月に玉川線は廃止されてしまいましたが、世田谷線は残りました。

 今ではあまり知られていませんが、玉電は川崎市(とくに高津区)にも縁があります。現在は田園都市線の一部である二子玉川駅から溝の口駅までの区間も、元はと言えば玉川電気鉄道が溝ノ口線として開業させたものであり、二子新地駅と高津駅も玉電の駅でした。二子玉川駅から溝の口駅までの区間が玉電でなくなったのは1943年のことで、戦時輸送の強化のため、大井町線に編入されたのでした。

 また、溝の口駅で南武線に乗り換え、武蔵溝ノ口駅から下り電車の各駅停車に乗れば次の駅が津田山駅です。この津田山も玉電と関係があります。玉川電気鉄道によって開発された住宅地であったのです。現在も、津田山駅周辺を歩くと、それらしい雰囲気が残っている場所があります。


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