ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

Kraftwerk創設メンバーのFrolian Schneider氏が死去

2020年05月09日 00時00分00秒 | 音楽

 1970年代、ドイツのKraftwerk(発電所を意味するドイツ語。忠実に仮名書きすればクラフトヴェルクかクラフトヴァーク)が世界を席巻しました。

 その創設メンバーの一人であるフローリアン・シュナイダー氏が、5月6日に亡くなったそうです。73歳でした。

 現在もKraftwerkは活動中ですが、オリジナルのメンバーはラルフ・ヒュッター(Ralf Hütter)氏のみです。そのヒュッター氏ですら、一時Kraftwerkを抜けていました〔短期間です。パスカル・ビュッシー(明石政紀訳)『クラフトワーク』に書かれています)。一方、シュナイダー氏は結成時から長らく代表メンバーの一人でしたが、2009年にKraftwerkを脱退しています。

 1970年代、当時小学生であった私は、どこであったか覚えていませんが「ヨーロッパ特急」(Trans-Europa-Express)や「ロボット」(Die Roboter)を耳にして衝撃を受けました。この2曲のプロモーション・ヴィデオを、高校生時代に六本木WAVEで見たことがあります(WAVEでドイツ盤のLPも買いました。「ザ・ミックス」もイギリス盤とドイツ盤の両方をCDで買いました)。1981年に発表された「コンピューター・ワールド」に収録されている「電卓」(日本語で歌われます)は、TVKで流されるCMに使用されていました。シンプルさと、どこかでミニマル・ミュージックにつながる独特の雰囲気には、常に惹かれるところがあります。

 この「電卓」という曲ですが、元々は「コンピューター・ワールド」の日本盤のみ収録されています。精確に記せば、ドイツ盤ではTaschenrechner、英語ヴァージョンではPocket Calculaterです。「ザ・ミックス」では、イギリス盤であればPocket Calculaterと「電卓」、ドイツ盤ではTaschenrechnerと「電卓」が収録されています。

 イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を初めとして世界中の様々なバンドに影響を与えたKraftwerkは、シンセサイザー音楽の普及にも大きく貢献したと言えるでしょう。

 小学生時代から中学生時代にかけて、溝口、秋葉原、渋谷で、シンセサイザーで遊んだことを思い出します。購入したのは随分と後のこと、大分大学時代のことでした。


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