ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2001年に公表されたもの 「インターネットを使った地方自治体の広報活動」

2024年09月26日 00時00分00秒 | デジタル・インターネット

 現在、多くの自治体が自らのホームページを運用し、情報を発信している。ここで、ホームページは広報の一環(あるいは一手段)として位置づけられるはずである。しかし、多くの市町村(場合によっては都道府県も)のホームページからは、自治体の姿が、あるいは、自治体がいかなる行政活動を展開しているのか、見えてこない。観光協会か旅館のものと見紛うような内容のものが多く、住民に対する広報活動としては不十分にすぎる。大分県内でも、教育や福祉の面などで注目に値する制度を運用する自治体があるのに、こうしたことがホームページに掲載されていない。

 一方、自治体によっては、申請書をダウンロードできるようにするなど、サービスの向上に努めている所もある。しかし、それ以上に、自治体のホームページの評価を左右するのは、行政情報の多さ、そして国民・住民にとっての使い易さであろう。

 また、情報化は、必然的に情報公開を要請する。秘密主義は通用しない。情報量が少ないページでは、利用者も減る。ホームページの利用者数が多いということから、直ちに観光など経済面においてプラスの影響が現れる訳でもないが、長期的視点に立てば、自治体の評価を高めることになるであろう。市町村合併の関係もあり、一概に言えないのであるが、地方分権改革においては、各自治体間における行政サービスの競争による住民生活の向上が予定されている。この点も、念頭に置いてよいであろう。

 東京都は、外形標準課税導入の際、ホームページでかなり詳細な情報を公開した。ここで示された条例案の概要などには批判が寄せられたが、それだけ注目を浴びたのであり、或る意味では良い宣伝になった。また、北海道ニセコ町の場合、逢坂誠二氏(北海道ニセコ町長)のホームページにおいてまちづくり基本条例案が公開されていた。しかも、改訂される度に情報が追加され、意見が寄せられたのである。この他、千葉県市川市のように、市長の交際費をホームページで公開することによって、交際費に対する住民の理解を得ようとする努力をしているところもある。或る自治体がいかなる政策に取り組んでいるのか、可能な限り積極的に公開する必要性があるのではなかろうか。

 また、広報と表裏一体にあるのが、住民などからの質問や意見などへの対応である。利用者の側から指摘されるのが、対応の遅さである。住民が求めるものは、迅速かつ的確な回答である。的確さが重要であることは当然であるが、電子情報化により、迅速さの価値がこれまで以上に高まってくる。自治体によっては、掲示板システムを利用した「質問コーナー」を置いていることもあるが、遅い回答、さらに無回答は、対応の誠実さなどが疑われる原因にもなるし、さらには利用者が減る可能性が高い。結局、ホームページ全体の評価や利用率を下げることになり、広報としての意義を損なわせる。

 さらに、広報活動としては、ホームページのみならず、メールマガジン(メール配信サービス)の活用、そして電子掲示板の活用(これは直接的な広報活動ではない)があげられる。

 とくに、メール配信サービスは、形態的にも広報誌に最も近い。既に、三重県や川崎市がこれを活用している。また、電子掲示板の活用としては、「藤沢市市民電子会議室」が参考となる。これは、電子自治体構想の在るべき姿を示すものとしても重要な意味を持っている。地方自治における住民参加を進展させる意味においても、電子掲示板システムの(さらなる)活用が検討されてもよい。

 

 〔付記1〕この論文は、大分県発行(財団法人ハイパーネットワーク社会研究所編集)の雑誌「ハイパーフラッシュ」第20号(2001年8月)9頁に掲載されたものである。お読みいただければおわかりかもしれないが、この論文は、「インターネット広報」「平成13年度大分県広報広聴研修会」(2001年6月29日、地方職員共済組合別府保養所「つるみ荘」)第2部会「インターネットを使った広報」の草稿〕を大幅に短縮したものであり、論文「インターネットによる広報を考える—地方自治の観点から—」〔社団法人日本広報協会刊行・月刊誌「広報」2002年2月号(通巻第597号)4043頁(「広報論壇」)〕の基になったものでもある。

 〔付記2〕私は、まだ大分大学教育福祉科学部の講師であった2001年4月より、財団法人ハイパーネットワーク社会研究所の共同研究員として、電子自治体研究プロジェクトに参加していました。今回掲載した論文は、共同研究員となって間もない頃に書いたものです。その後、2002年4月1日に大分大学教育福祉科学部助教授、2004年4月1日に大東文化大学法学部の助教授となり、2007年4月1日に教授となりましたが、同研究所の共同研究員であったのは教授昇進の前日までです。


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