川崎市の歴史を語るのに、二ヶ領用水は欠かせない存在です。その二ヶ領用水のすぐ南に、旧平瀬川があります。溝口一丁目と二丁目を歩けば、旧平瀬川をたどることもできます。溝口二丁目、東急溝の口駅から西口商店街を歩き抜けると、旧大山街道に栄橋という交差点がありますが、この交差点の名称も旧平瀬川に架けられていた橋に由来します(但し、位置は少し違っているようです)。
もっとも、二ヶ領用水と異なり、旧平瀬川の川面を間近に見ることはできません。溝口や坂戸では暗渠になっているからです。坂戸一丁目と二子六丁目の境界をなす二子坂戸緑道は、旧平瀬川の真上に設けられた遊歩道になっていますが、それ以外でも所々で旧平瀬川とすぐにわかる場所は多く残されています。
iPhone8で撮影した写真を、このブログに掲載するために圧縮したため、今ひとつの写り(画質)のように見えますが、MacBook Proに取り込んだ時にはかなり美しく撮れていたので、驚きました。これならコンパクトデジタルカメラはいらないのではないかと思ったくらいです。
脇道にそれました。旧平瀬川の暗渠で、坂戸一丁目と溝口一丁目との境界をなす一方通行の道(イトーヨーカドー溝ノ口店があるパークシティから高津駅付近のすこやか高津保育園のほうに抜ける道)を歩いていて、撮影してみたものです。坂戸一丁目側で、奥へ進むとKSPから国道409号へ抜ける道と交差し、二子坂戸緑道となります。
ほぼ同じ位置から、溝口一丁目側を撮影しました。広大な農地があり、その裏のほうに商店街が伸びています。
手前に橋の欄干があります。旧平瀬川があった証拠です。この下に川がある訳です。しかも、この橋の部分のみ、少しばかり道が高くなっています。
溝口一丁目側を、もう一枚撮影してみました。JR武蔵溝ノ口駅、ノクティ、商店街、さらに川崎北労働基準監督署があるのが一丁目ですが、同じ溝口一丁目とは思えないという方も多いでしょう。
先程の橋の欄干のそばに、上の写真のような案内板が設けられていました。平成25年度から、高津区まちづくり協議会が環境再生事業を行っており、旧平瀬川の緑道化を進めようとしているようです。
なお、旧平瀬川は、平瀬川のうち、下作延(南武線の武蔵溝ノ口駅と津田山駅の間に鉄橋があります)から溝口、坂戸、二子を流れる経路のことです。現在は下作延から津田山のトンネルを抜けて久地へ向かい、多摩川に注ぐ経路を言うことが多いのですが、この経路のことを新平瀬川と称することもあります。
石原文具店、三田文具店、溝ノ口中央通郵便局がある一方通行の道に移りました。この道路も旧平瀬川を暗渠化して造られたもので、現在は自動車などが通れないようになっています。奥へ進むと溝口中央商店会(JR武蔵溝ノ口駅付近、ノクティ付近から高津駅付近までの商店街)で、さらに総合高津中央病院の南側(自転車置き場などになっています)を通ります。
同じ地点から反対の側を撮影しました。奥へ進むと、先程の広大な農地に着くはずです。ごみ集積場も置かれているためか、こちらが旧平瀬川と気づかれにくいのではないかと思われます。
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