今回は、2014年10月16日10時53分10秒付で掲載した「以前、高津駅構内にあったもの」の続編のような内容となります。
1982年4月3日、高津駅構内に開業し、2002年9月1日に休館、2003年3月21日に宮崎台駅構内に移転・再開した電車とバスの博物館は、2015年9月28日から休館し、2016年2月19日にリニューアルオープンしました。当初は入場料が10円と破格の安さでしたが、現在は大人が200円です(但し、その日のうちであれば何度でも再入館できるそうです)。
最近、実に4年1か月ぶりに電車とバスの博物館へ行きました。田園都市線の下り各駅停車に乗り、宮崎台駅で降りれば、目の前に入口があります。田園都市線には踏切がありませんが、この博物館の入口には踏切の警報器があり、以前は駅に電車が接近すると鳴り出していたのですが、最近は鳴らないようにしたそうです。
いくつか目的がありましたが、そのうちの一つが、静態保存されている車両たちを見ることです。いずれも高津駅構内に保存されており、改札口の前で見ることができました。
電車とバスの博物館は二つの建物から構成されており、キッズワールドともいうB棟は、道路を挟んでA棟の斜め向かいにあります。そのB棟の入口に置かれているのが東京横浜電鉄モハ510形の510号です。これは、後にデハ3450形の3450号となったものですが、1989年に復元されました。そう言えば、現在、東横線90周年ラッピング車が走っています。
変わったアングルとなりましたが、この裏にYS-11のコックピット(実物からカットされたもの)があり、それも見ておきたいと思ったためです。高津駅時代にはフライトシミュレーターとなっていましたが、現在は保存されているだけの状態です。
駅構内と言ってよいA棟に戻ると、デハ3450形の3456号があります。一部だけカットされている状態ですが、模型などではなく、実物です。これは高津駅時代から電車とバスの博物館にあります。運転席に入ることができ、マスターコントローラー(略してマスコン)とブレーキ弁の操作もできます。左手でマスコンを操作すると、手前のモーターや台車が動き始め、あの吊り掛け駆動の音が響きます。右手でブレーキ弁を操作するとブレーキがかかったりします。また、自動ドアの操作もできます(車掌スイッチも設けられています)。
左側には東京急行電鉄のキャラクターであるのるるんがいます。田園都市線を走る2代目5000系がモデルだそうです。
これを見たいと思ってやってきたのでした。東急玉川線(東急多摩川線とは全く違います)を走っていたデハ200形の204号です。ペコちゃんなどの愛称があります。実際に走っていたのは14年くらいという短い期間でしたが、多摩川園で保存された後、電車とバスの博物館の開館より前から高津駅構内に置かれていました。その後、電車とバスの博物館に移され、現在はこの宮崎台にいる訳です。
左側に、自由が丘駅から駒沢や深沢の辺りを走っていた東急コーチの旧車を見つつ、204号です。今の路面電車では多くなっている低床構造のはしりのような存在で、床がかなり低くなっています。もっとも、そのためもあって保守・管理が難しく、乗り心地にも難があったため、玉川線の廃止とともに廃車となってしまいました。
多摩川園に保存されていた頃のことは全く覚えていませんが、高津駅構内に保存されていた頃から中に入ることができました(但し、時間帯は限定されていましたが)。こうして運転席にも入ることができました。椅子はなく、そもそもそのようなものを設置できるほどのスペースもないので、運転士は立って運転していました。
車両の形がすぐにわかるような内部の構造となっています。いわゆるモノコック構造(張殻構造)を採用しています。元々は航空機の製造のためのものでしたが、1950年代に鉄道車両や自動車にも採用例が出ました。戦後、日本は飛行機の製造を禁じられたため、技術者が鉄道や自動車に携わるようになったことがきっかけであると言われています。
モノコック構造と言えば、渋谷駅ハチ公前広場に置かれているアオガエルこと東急初代5000系が有名です。デハ200形は、モノコック構造をさらに徹底化したようなスタイルとなりました。
運転席は御覧のように半室となっています。車掌台はありません。前の写真で、扉のそばの上方に小さな箱が設けられているのが見えますが、それが車掌スイッチです。おそらく、そのそばに車掌が立つスペースがあったはずです。
玉電と言えばこのカラーリングという方も多いと思われます。現在、世田谷線を走る300系の301Fもこの塗装となっています。玉電色とも言われていますが、実はデハ200形の登場によって始まったということです。しかし、玉川線が廃止され、世田谷線に集結された車両の色は緑一色とされました。編成によって色が異なる300系が登場してからも、玉電色の復活は2005年を待たなければならなかったのでした。
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