川崎市高津区の北のほうには、二ヶ領用水が流れています。川崎市の歴史を語るに欠かせない存在であり、私が小学生であった1970年代には、小学校で使用する副読本にもかなりの頁を割いた上での解説などが書かれていました。
田園都市線高津駅から国道409号線、通称府中街道を東のほうへ向かい、東二子バス停の近くにある交差点を右に曲がりますと、坂戸橋に着きます。この辺りは、坂戸二丁目、北見方一丁目、二子六丁目の境界です。
この辺りでは改修が行われており、水路のコースも変えられています。昔の用水は、上の写真で右側に見える道をコースとしていました。現在は二子坂戸緑道となっています。
ちょうど緑道の入口に、石橋供養塔があります。寛政5年と言いますから、西暦に直せば1793年、ここに石橋が架けられました。昭和16年、つまり1941年、用水の流路が変えられ、石橋のあった場所より少し北側に流れるようになった、と案内板には書かれています。それと同時に、流路は直線的になった訳です。
実際に歩いてみるとわかりますが、二子坂戸緑道はかなりカーブの多い道で、これには当時の様々な事情が背景にあるものと思われますが、多雨による溢水も多かったために用水の流路が変わったのではないでしょうか(但し、二子坂戸緑道を歩き切り、かながわサイエンスパーク方面から府中街道に抜ける道路へ出てみると、案内板の記述には疑問も出てきますが)。
緑道は坂戸一丁目へ抜けます。昭特製作所、川崎電線など、大小問わず工場の多い所です。東証一部に上場している、精密機械で有名なミツトヨの従業員住宅も近くにあります(本社が坂戸一丁目にあるのです)。久本三丁目に東芝玉川工場、NEC東京第二工場などがあったこと、坂戸三丁目に池貝鉄工の工場があったこともあり、坂戸や久本は町工場の多い場所でした。現在も、二子坂戸緑道の周囲では町工場を見ることができます。
歩道の形状から、ここが橋であったことがわかるようになっています。昔からの住宅、工場、マンションが並存する場所で、農地も残っていますので、新しさと懐かしさが共存する、一種独特の雰囲気を持っているのです。小学生時代から、私はこの辺りを好んでおり、自転車でよく走っていました。
町の境界が、地図でも少しわかりにくくなっていますが、大まかに言えば、手前の電信柱から奥の左側が二子六丁目、右が北見方一丁目です。現在の橋が中央に写っています。
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