2004年4月から大東文化大学法学部法律学科に勤務している私の通勤ルートには、神田神保町が入っています。現在は半蔵門線と三田線との乗換駅としてですが、勿論、古本屋街に寄ることも多いのです。書泉グランデが法律学や経済学などの専門書を扱っていた頃には、度々寄っては購入していました(方針を変えて現在のようになってからは一度しか入ったことがありません)。
以前にも記しましたが、私が初めて神田神保町を歩いたのは高校生の時、1980年代の半ばです。それから、この街には何度となく足を向けています。とくに、1989年1月に半蔵門線の半蔵門~三越前が開業してからは、溝の口から乗り換えなしで行けるようになったため、訪れる機会が増えました。大学院生時代には、ここに寄りやすくするために通学ルートを溝の口⇔早稲田(九段下乗り換え)としたくらいです。
ただ、1980年代の後半、バブル経済真っ盛りで東京の地価が上昇したこともあり、神田神保町から次々に古本屋が消えていきました。三丁目は壊滅状態と言ってもよいくらいです。当時は神田小川町や西神田なども含めて200~300ほどの店がありましたが、1990年代には100店くらいになっていたはずです。街もずいぶん変わりました。
さて、今回は神保町駅を出て神保町交差点から少し北側に歩いた所です。すき家のある三つ角を右に曲がります。何軒かの古本屋があり、響というジャズ喫茶もあった辺りです。靖国通りからであれば、古くからある洋菓子店の柏水堂の脇を入ってまっすぐ進んで突きあたった所です。
2013年3月に閉店したゲームセンター、ミッキーです。たしか新聞でも報じられました。ネットでは今でも記事が残っているくらいで、非常に有名でした。
建物の老朽化により閉店するとアナウンスされていました。確かにその通りです。しかし、まだ建物は解体されていません。
このゲームセンターには何度か入ったことがあります。今は降ろされているシャッターの箇所が出入口で、そこに一台だけ、テーブル形のゲーム機が置かれていました。すぐに何段かの階段を昇ります。何台かのゲーム機が置かれていましたが、奥に向かってパチスロ機ばかりであったことを覚えています。そして、左に進んでまた数段の階段を昇ると管理人がいるコーナーがあり、その前に、テレビゲームが置かれていました。ほとんどが50円でしたが、その奥、南側にはまた何台もパチスロ機が置かれていました。パチンコ屋ではないのでメダルを特殊景品に取り替えたりすることはできませんが、一定の点数を超えると景品が出てきました(何が出てきたのかは記さないこととします)。
間取りとしては広いのですが、段差が多く、今から考えると妙な構造です。2階と中2階があるような感じでしょうか。
今、ゲームセンターは数を減らしています。2013年、3月にミッキーの閉店が報じられ、8月には宇田川町のセンター街にあった渋谷会館の閉店も報じられました(確か新聞記事になったはずです)。私が院生であった時代には西早稲田や馬場下町に何軒かありましたが、ほとんどが閉店しています。
神田神保町でも、1980年代、90年代には白山通りの二丁目側に何軒かありましたし、靖国通りの三井住友銀行神保町支店から明治大学のほうに抜ける、ロシア料理店のサラファンなどのある脇道(正確には神田小川町三丁目)にも何軒かありました。しかし、現在はその辺りに一軒が残っており、他には駿河台下交差点から靖国通りを神田淡路町のほうへ少しばかり歩いた所に一軒あるだけです。少なくとも、私が知る限りではこの二軒のみです。神田駿河台の楽器街にもゲームセンターがありましたが、かなり前に閉店しています。
ところで、この建物はいつまで残るのでしょうか。建て替えられるとすると、どのようになるのでしょうか。
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