ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

懐かしの西鉄700形

2013年07月05日 00時15分10秒 | 写真

私が撮影し、ホームページの「待合室」に掲載した写真は、原則として全て保存しています。その中にある写真の1枚を、ここに掲載しておきます。

 2005年9月11日の午後、西鉄福岡(天神)駅から西鉄天神大牟田線に乗り、大橋で降りました。その時に乗っていたのが、上の写真の電車、700形です。

 西鉄700形は、1972(昭和47)年に製造されました。かの特急用車両、2000形の前年に登場した、ということになります〔「西鉄2000形の写真」もお読みください)。

 何の変哲もないような姿に見えますし、現在は貝塚線で運用されている600形(2代目)とほぼ同じようなスタイルですが、実は非常に貴重な車両で、福岡に住んでいない私が700形に乗ることができたのは幸運でした。この1編成(4両編成)しか製造されなかったからです。もっとも、天神大牟田線の福岡方、西鉄福岡~筑紫であれば、乗る(そこまで行かなくとも見かける)確率は高くなりました。

 700形は、基本的に600形と同じような電車ですが、違う点もいくつかあります。

 600形の場合、全車両に運転台が設けられていました。1M方式で編成の自由度も高く、2両編成から7両編成まで組めるという利点もありました。しかし、編成が長くなり、固定化されると、どの車両にも運転台があるというのは不経済ですし、乗客定員数が運転台のスペースの分だけ減るという問題もあります。そのため、600形は3両編成と4両編成に固定化され、一部の車両から運転台が撤去されたりしています。

 これに対し、700形は、当初から4両固定編成として登場しました。600形と異なって2M方式であり、2両の電動車がユニットを組んでいます。西鉄は、どうやら4両固定編成を試みるつもりで700形を登場させたようです。そして、この試みは成功し、現在も主力として活躍している5000形(1975年に登場)に生かされることとなります。

 もっとも、西鉄は、名鉄、阪神と並び、大手私鉄の中では本線級の路線でも1編成あたりの車両数が少ないことで知られています。名鉄名古屋本線では2両編成も度々見かけますが、西鉄天神大牟田線の宮の陣~大牟田にも2両編成が走っています。これは甘木線との直通運転で運用される7000形(2000年に登場)・7050形(2003年に登場)によるものですが、同線の西鉄福岡~宮の陣でも、普通は4~6両編成、急行で4~7両編成、特急で6~7両編成というところです。快速急行は8両編成でしたが、現在は運行されていません。7000形・7050形は2両固定編成で、2両か4両で運用されることが多いようです。また、その後に登場した3000形(2005年から製造、2006年から営業運転開始)は2両編成と3両編成からなり、これらの組み合わせで4~7両編成として運用されています。

 つまり、7000形以降、西鉄では4両固定編成の車両が登場していないことになります。現在のところ、4両固定編成は6050形(1995年に登場)が最後となっており、乗客数の変化をうかがわせるものとなっています。西鉄福岡駅のホームは10両編成を想定しているだけあって非常に長いのですが、実際には最長でも7両編成なので持て余し気味です(とくに南口には、最後部の車両からでもかなり歩かされます)。今後も10両編成が運行されることはないでしょう(運行されるとしても西鉄福岡~西鉄二日市のみでしょう)。

 ついでに記すならば、600形、700形、そして5000形は3扉車であり、西鉄の4扉車は6000形(1993年)と6050形、そして7000形だけです。7050形と3000形は3扉車です。

 こうしてみると、車両の編成と扉の数という点では600形登場時に戻っているという感じもします。なお、以上は特急用車両を除外していることを記しておきます。

 この他、700形については、西鉄で初めて下枠交差式パンタグラフを採用したことがあげられます。但し、600形についても後に下枠交差式パンタグラフが採用されているので、両者の差異とまでは言えないでしょう。その代わり、パンタグラフの位置は異なっており、600形は原則として運転台側に置かれたのに対し、700形は中間車に置かれたので先頭車にはパンタグラフがありません。

 ただ1本の編成として、地味ながらも異彩を放った700形は、2006年に廃車となりました。編成の関係で、おそらく甘木線で運用されたことはないはずです。また、600形と異なり、宮地岳線(現在の貝塚線)に転用されることもありえなかったのでした。西鉄の車両が他社へ譲渡されることは稀で、とくに天神大牟田線で活躍した車両については皆無と言ってもよいので、おそらく解体されたのでしょう。保存されているという話を聞いたことがありません。


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