今年(2019年)の2月1日に「地方創生 やめたらどうか」という記事を載せました。そこで、私はこう書きました。
「地方創生は『効果が見えない』どころか、最初から上手くいっていない訳です。厳しく言えば、やるだけ無駄が重なる政策であると評価しうるでしょう。
ここは発想を転換して、転入超過状態になっている東京圏にもっと金などをかけ、待機児童の減少などを実現していくのが先でしょう。東京圏で育ち、就職は他の地方で、というほうが現実的であるかもしれません。」
長らく地方自治総合研究所の地方自治関連立法動向研究のメンバーとして、主に地方税財政に関する立法動向を研究している私は、「地方創生」という政策の具体的な意味なり目標なりがよくわからないままです。そもそも、「地方」を「創生」するというのは、一体、誰が考えた言葉でしょうか。「創生」は新たに創り出すことを意味しますから、出発点からして中央集権的であることが明らかです。考え方にもよりますが、国があろうがなかろうが地方は存在しうるのです。
最近流行の「見える化」といい「地方創生」といい、センスの悪い人が作った言葉(表現)としか言えません。「見える化」といいながら情報隠しや廃棄、さらには偽装や改竄が当たり前のように行われている訳ですから、皮肉なのか反語なのか何なのか、と尋ねられても仕方がないでしょう。自らが情報公開に消極的なのに、他人に「見える化」を求めたところで、実現する訳がありません。また、「可視化」という立派な言葉があるのに、何故使わないのでしょうか。まさか、知らなかったということはないと思うのですが、どうなのでしょう。
少々脇道に逸れましたが、「地方創生」に関して、11月14日、朝日新聞社のサイトに良い記事が二つありました。一つは同日付朝刊12面13版に掲載されている「地方創生、遠のいた目標」で、「経済気象台」のコーナーの記事です(https://digital.asahi.com/articles/DA3S14255614.html)。書かれた方については「穹」とのみ記されています。もう一つは「論座」に掲載されている、前新潟県知事の米山隆一氏による「アベノミクスの目玉・国家戦略特区の大いなる欠陥 『評価・対応』なき制度につきまとう『利権』のわな。特区制度自体を評価すべき時期に」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019111400001.html)です。
国家戦略特区も非常に重要な政策の一つであり、しかも、政策施行者側による十分な評価が行われていないものです。私は、特区という言葉に、資本主義国家とは程遠いものを感じます。文化大革命終了後に中国が改革開放政策の一環として経済特区という制度を設けました。そのことを思い出すのです。
ただ、国家戦略特区は別に論じる必要があります。今回は14日付朝刊の「経済気象台」を読みつつ、記していきます。
「地方創生」は、2019年度末、つまり2020年3月に第1期を終えて2020年度から第2期となるというのですが、「穹」氏は「『2020年までに地方・東京圏の人口転出入を均衡させる』という基本目標の一つは、達成が絶望視されている。それどころか、東京圏に入ってくる人口は転出を上回り続け、超過幅は当初よりも拡大した」と指摘し、「目標と実績がこれほど違えば、目標と施策の妥当性を徹底的に検証することなしに先に進むのは危うい」と書かれています。
まさにその通りです。「穹」氏もあげられている「東京23区の大学の定員抑制」というおかしな政策に関して「地域における大学の振興及び若者の雇用機会の創出による若者の就学及び就業の促進に関する法律(平成30年6月1日法律第37号)」という論文を書いた私も、そもそもこの法律に立法事実がどの程度まで存在するのかが怪しいと思いましたし、施策の立て方によっては下放と変わらなくなりかねない訳です(もう一つ、「穹」氏があげられている「子供の農山漁村体験の充実」についても同じことが言えます)。他の方も指摘されていますが、毎年のように、あれこれと「目玉」(になるのかどうかわからないもの)なり看板なりが立てかけられて、それに対する検証がなされたのかどうかもわからないのです。
そのことは、2018年12月14日にまとめられた「平成31年度税制改正大綱」(自由民主党、公明党)によく現れています。「安倍内閣は、これまで、デフレ脱却と経済再生を最重要課題として取り組んできた」という文言で始められているのですが、これは、多少の表現の違いはあるものの2013年度以降の税制改正大綱が繰り返しているものです。このこと自体が「デフレ脱却と経済再生」があまり進んでいないことを物語っています。「語るに落ちる」という表現しても間違ってはいないでしょう。何故なら、「アベノミクスの推進により、生産年齢人口が450万人減少する中においても、経済は10%以上成長し、雇用は250万人増加した。賃金も2%程度の賃上げが5年連続で実現しており、雇用・所得環境は大きく改善している」と自己評価する文章が続いていますし、国会などの場で政策の是非などが問われると必ずといって良い程に成果が誇らしげに答えられるのです。しかし、何年も続けて「デフレ脱却と経済再生」が税制改正大綱に記され続けており、そこはおそらくほとんどの人から問われることなく、自ら語り続けています。上手く行っているようであれば、5年も6年も語り続けられる訳がありません。
(そもそも、デフレーションの具体的な意味について議論があるようですし、日本経済がデフレーションの状態にあるかどうかについても争いがあります。)
「穹」氏は「子供の農山漁村体験の充実」に言及しつつ「若者たちが東京圏での就職を選んだのは、農地や山村に接する機会が少なかったからではないだろう。真の理由は、やはり地域間の所得格差ではなかったのか」と問いかけます。たしかにその通りですが、過疎問題などを念頭に置けば、実は東京一極集中は高度経済成長期以来、実に半世紀以上も続く問題なのです。
1960年代以来、全国総合開発計画が何度か策定されましたが、東京一極集中は是正されるどころか激しくなるという結果を招きました。新幹線路線網や高速道路網が発達し、IT化も進められるならば、各地に支店を置く必要もなくなってくるので、地方都市が衰退した訳です。よく言われるストロー現象は、私が大分大学教育学部・教育福祉科学部に勤めていた時に、何人かの学生(その中には社会人もいました)からも実感していると聞いたことがあります。
「経済気象台」に戻りますと、「穹」氏は「地方創生を担当する内閣官房は、行政改革の一環として『証拠に基づく政策立案』を推進している。第2期に入る前に、この方針に立ち戻り、施策の一つ一つについて、合理的で定量的な根拠を示す。そこからまず始めなければ、地方創生のカギを握る目標は遠のくばかりだ」と締めます。
問題は「施策の一つ一つについて、合理的で定量的な根拠を示す」ことがしっかりと行われるかどうかです。実はこれが最も難しいのではないかと思われます。例えば、経済財政諮問会議、すなわち、「骨太の方針」という牛乳みたいな通称で呼ばれる文書を出している機関です。
経済財政諮問会議は、内閣府設置法第18条に基づいて内閣府に設置される機関です。同第19条第1項によれば、経済財政諮問会議は「内閣総理大臣の諮問に応じて経済全般の運営の基本方針、財政運営の基本、予算編成の基本方針その他の経済財政政策(第4条第1項第1号から第3号までに掲げる事項について講じられる政策をいう。以下同じ。)に関する重要事項について調査審議すること」(同第1号)、「内閣総理大臣又は関係各大臣の諮問に応じて国土形成計画法(昭和25年法律第205号)第6条第2項に規定する全国計画その他の経済財政政策に関連する重要事項について、経済全般の見地から政府の一貫性及び整合性 を確保するため調査審議すること」(同第2号)、「前2号に規定する重要事項に関し、それぞれ当該各号に規定する大臣に意見を述べること」(同第3号)という「事務をつかさどる」こととなっています。また、経済財政諮問会議は経済財政政策担当大臣または内閣総理大臣に対して答申を行うこととされています(同第3項)。
これだけ読めば、経済財政諮問会議は諮問機関であることになるのですが、異質さが際立っています。内閣府設置法第18条は、内閣府に「内閣の重要政策に関して行政各部の施策の統一を図るために必要となる企画及び立案並びに総合調整に資するため、内閣総理大臣又は内閣官房長官をその長とし、関係大臣及び学識経験を有する者等の合議により処理することが適当な事務をつかさどらせるための機関」として、経済財政諮問会議および総合科学技術・イノベーション会議を設置すると規定しています(以下、総合科学技術・イノベーション会議については省略しますが、経済財政諮問会議とほぼ同じことを記せるでしょう)。
よく見ていただくとおわかりと思いますが、諮問する側と諮問される側のメンバーが共通しているのです。少なくとも、諮問する側が内閣総理大臣(または関係する各国務大臣)であるのに対し、諮問される側のトップ、つまり議長も内閣総理大臣です(内閣府設置法第21条第1項)。内閣総理大臣が内閣総理大臣に諮問し、内閣総理大臣が内閣総理大臣に答申をしている訳ですから、どのような方針が答申として出されるかは自ずと明らかです。よほど器用な人か職業的な鍛錬を積んだ人でなければ、内閣総理大臣としての立場と経済財政諮問会議の議長としての立場を截然とさせることはできません。
また、諮問する側が関係国務大臣であるとすれば、内閣総理大臣に諮問しているようなものですから、内閣総理大臣が関係国務大臣にいかなる答えを出すかは明確でしょう。閣議と異なる答えが出される訳がないのです。
もとより、経済財政諮問会議は内閣そのものではありません。議長および10人以内の議員によって組織されます(内閣府設置法第20条)。しかし、既に記したように議長は内閣総理大臣であり、議員は次に該当するものとされています。
・内閣官房長官(同第22条第1項第1号)
・経済財政政策担当大臣(同第2号)
・「各省大臣のうちから、内閣総理大臣が指定する者」(同第3号)
・「法律で国務大臣をもってその長に充てることとされている委員会の長のうちから、内閣総理大臣が指定する者」(同第4号)
・同第3号および同第4号に掲げられるものの他に「関係する国の行政機関の長のうちから、内閣総理大臣が指定する者」(同第5号)
・国の行政機関を除く関係機関の「長のうちから、内閣総理大臣が任命する者」(同第6号)
・「経済又は財政に関する政策について優れた識見を有する者のうちから、内閣総理大臣が任命する者」(同第7号。なお、同第3項により、議員総数の10分の4以上でなければならないとされています)
お読みいただければ、一般の諮問機関とはかなり異なることがおわかりでしょう。実質的には内閣の別働隊であり、かつ、事実上の政策決定機関となっています。これは、いわゆる骨太の方針が閣議決定されていることからも明らかです。諮問機関の答申が閣議決定されることなど、通常では考えにくいのです。
また、経済諮問会議の議員の人選にも注目していただきたいのです。
通常の諮問機関であれば、意地悪な表現をするならば表向きだけでも反対意見などを持つ者を入れておき、多少なりとも中立性を装います。しかし、経済財政諮問会議の場合、議員は内閣総理大臣が指定または任命しますから、内閣総理大臣の意に沿わない者が指定または任命されることは(実際のところ)ありえません。
以上のような機関が、これまで内閣が行ってきた「施策の一つ一つについて、合理的で定量的な根拠を示す」により、冷徹な検証を行うことができるでしょうか。端的に「期待するほうが無理だ」と言えないでしょうか。ましてや、「地方創生」が目指しているらしい東京一極集中は、歴史的にも根の深い問題です。ここでsurpriiseを期待するという既視感(déjà-vu)たっぷりの話はうんざりでしょう。政治は博打ではありませんから、漸進的に進めるしかありません。
もう一つだけ記しておきましょう。「地方創生」と口にするならば、まずは政策立案者なり何なりが実践しなければなりません。東京都内に生まれ育ち、または東京都内にある名門学校に通い、普段は東京都内に住んでいるのに選挙区は別の道府県というのでは筋が通らない、とは言わないまでも、説得力が薄くなる、とは言えるでしょう。参勤交代の大名の生活とあまり変わらないからです(江戸で生まれ、育ち、或る程度の年数が経ってから自らの藩の領地に住んだりしていたとか)。
最近も共通テストの英語や国語で受験生が振り回されましたが(大学関係者も同様です)、大学であれ高校であれ何であれ、一般入試を経験していないと、受験生の気持ちを理解することはできないのだろう、と思います。このように記す私は、高校入試、大学入試、大学院入試と全て一般入試を経ておりまして、推薦入試を経験しておりません。小学校および中学校は川崎市立、高校は神奈川県立でした。
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