ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2009年12月17日、田園都市線溝の口駅

2020年05月31日 00時00分00秒 | 写真

 最初にお断りです。今回は、「待合室」の第349回「溝の口駅で大井町線を(その1)」(2010年2月13日〜19日掲載)、第352回「溝の口駅で大井町線を(その2)」(2010年3月5日〜11日掲載)および第354回「溝の口駅で大井町線を(その3)」(2010年3月18日〜24日掲載)の再掲載です。内容などには一切修正を加えていません。

 

 (1)

 2009年7月11日(土曜日)、大井町線が溝の口まで走るようになりました。正確には田園都市線の複々線区間に乗り入れるということなのですが、大井町線の運転区間は、1979年8月12日、田園都市線~新玉川線(現在の田園都市線渋谷~二子玉川)~営団(現在の東京メトロ)半蔵門線直通運転開始とともに田園都市線の大井町~二子玉川園が大井町線に改称されてからおよそ30年ぶりに、1963年10月11日に大井町線大井町~溝ノ口 (当時の表記)が田園都市線に改称されてからであればおよそ46年ぶりに、再び大井町~溝の口となりました。但し、一部の電車は以前から大井町~鷺沼の運転でしたし、土休日には、上りは田園都市線の中央林間から大井町まで、下りは大井町から鷺沼または長津田までの直通急行も走っていました 。

 溝の口駅の南方、梶が谷駅方面にある引き上げ線から3番線に、緑各停の大井町行が入線してきました。8590系の5両編成です。大井町線は、急行が6000系6両編成、各停が8090系、8500系、8590系または9000系の5両編成です。

 大井町線には各駅停車が2種類あり、電車の種別表示機や駅の案内表示に表示される色で識別できます。緑各停は大井町線の一般的な各停で、田園都市線の二子新地駅および高津駅には停車しません。青各停は田園都市線の二子新地駅および高津駅に停車しますが、本数が少なく、走る時間帯が限られます(もっとも、大井町線の各駅から二子新地駅または高津駅に向かうには、二子玉川駅の同一ホームで乗り換えればよいので、不便ではありません)。

 8590系は、元々が東横線の急行用として登場した車両です。電動制御車しかなく、中間車は先に登場した、日本最初の量産型軽量ステンレスカーである8090系をそのまま組み込んでいます。8090系も東横線の急行用として登場したのですが、東横線と横浜高速鉄道みなとみらい21線との相互直通運転が決まると、先頭車に貫通扉がない8090系では問題が生じるため、8090系の先頭車などは大井町線に転属させ、編成を組み替えて先頭車を8590系としたのでした。長らく東横線で活躍しましたが、一部は10両編成となって田園都市線でも走りました。再び東横線に集結したのですが、8000系引退の前に東横線から姿を消し、大幅な編成替えの上で大井町線に転属しました。なお、一部の編成は再び10両編成となって田園都市線を走っています。

 正確なことは覚えていませんが、21世紀になってから、大井町線を走る車両には赤とオレンジのグラデーションという独自の色彩の帯が巻かれ、「大井町線」と書かれたステッカーを正面および側面に貼るようになりました。東急と言えば、ステンレスカーは長らく無塗装でして、帯も巻いていなかったのですが、8500系が正面に赤帯を巻き、1980年代に8090系を筆頭に正面にも側面にも赤帯を巻くようになりました。現在、5000系シリーズが路線毎に異なる色の帯を側面上部に巻いており(田園都市線がライトグリーン、東横線がピンク、目黒線が濃いブルー)、池上線と多摩川線を走る7000系は濃い緑の大胆なデザインとなっています。

 

 (2)

 再び溝の口駅の3番線です。大井町線の上り、大井町行の電車が発車します。同じホームの反対側にある4番線には田園都市線の上り、東京メトロ半蔵門線・東武伊勢崎線・東武日光線直通電車が発着します(行先は色々なのですが、多いのは清澄白河行、押上行、久喜行、南栗橋行です)。私が大学院生として田園都市線を利用していた頃、4番線 には朝のラッシュ時に各駅停車が発着していました。

 溝の口駅の南方、梶が谷駅方面にある引き上げ線から3番線に、急行の大井町行が入線してきました。6000系の6両編成です。6000系は大井町線の急行専用車です。各停には使用されません。このような専用車は東急ではほとんど存在しません。8090系や8590系も東横線の急行用として登場したことになっていますが、各停にも使用されていました。

 ちなみに、東急には1980年代まで、東急初の両開き扉車でドラムブレーキなどを採用し、VVVFの営業試験車ともなった6000系が走っていましたので、現在の6000系は2代目となります。初代の6000系は独特の甲高いモーター音を発していましたので、御記憶の方も多いでしょう。 東急線からの引退の後、一部が弘南鉄道大鰐線を走っていましたが、今はどうでしょうか。

 この6000系は、池上線・多摩川線用の7000系より少し遅れて登場しました。6000系、7000系のどちらも、デザインは5000系が基本となっています。また、7000系は3両編成で18メートルの3扉車で緑を基調としたデザインですが、6000系は20メートルの4扉車で赤とオレンジを基調にしています。

 大井町線と言えばドアカットです。戸越公園では大井町側の2両の扉が開きません。九品仏では二子玉川側の1両の扉が開きません。ホームが短いためです(踏切の上に停車したりするので驚く方もおられるようです)。そのため、大井町線を走る8090系、8500系、8590系および9000系にはドアカットのための自動装置が設けられています。しかし、この6000系には設けられていません。急行は戸越公園にも九品仏にも停まりませんので、ドアカットは不要なのです。ちなみに、急行運転を開始するために自由が丘駅のホームが延長され、それに伴って自由が丘の電留線(元々は検車区でした)が廃止されています。

 今では大井町線の2駅だけしかありませんが、東急にはドアカット実施駅が他にもありました。東横線の代官山が有名でしたが、1980年代には解消されました。また、菊名でもドアカットが行われていました(急行停車駅ではここだけでしょう)。また、目蒲線が目黒線と東急多摩川線とに分割される前、4両編成だった時期に鵜の木駅でドアカットが行われましたが、現在は3両編成に戻ったためにドアカットは行われていません。

 田園都市線の主力として長らく活躍してきた8500系です。8000系が引退してから東急では (旧7000系からの改造車である7700系、および7200系からの改造車である7600系を除いて)最古参の営業用車両となってしまいましたが、10年ほどの間に400両が製造されたので、様々な形態があります。1975年にデビューし、翌年にローレル賞を受賞しています。デビュー時から長らく東横線でも活躍していましたが、私の大学院生時代には田園都市線に集結していました。但し、一部は5両編成として大井町線で運用されています。

 デビュー当時から黒地の自動方向幕および種別表示幕を備えていましたが、大部分はLED式の表示機に交換されています。

 新玉川線(現在の田園都市線渋谷~二子玉川)用として登場した8500系は、当初は4両編成でした。1977年の新玉川線開業時には6両編成であったはずです。その後、田園都市線・新玉川線は8両、次いで10両となりました(但し、中間には8000系が組み込まれていたこともあります)。半蔵門線直通運転用として製造されたため、当初からCS-ATCを備えており、新玉川線ではCS-ATCが使われていました。また、半蔵門線開業時は当時の帝都高速度交通営団が半蔵門線用の車両を所有しておらず、この8500系のみが半蔵門線を走っていました。現在は東武伊勢崎線の押上~久喜、日光線の東武動物公園~南栗橋でも走ります。

 1990年代に2000系がデビューしたものの、3編成しか製造されなかったこともあって(2000系は輸送力増強のためのものです)、8500系は主力の座を維持しましたが、新5000系がデビューしてからは少なくなっています。既に一部は伊豆急行、長野電鉄、秩父鉄道 、そしてインドネシアに譲渡されています。しかし、私が小学校に入学したばかりの頃に登場し、大学院生時代には通学のためによく乗っただけに、東急の車両の中でもとくに愛着を感じる車両です。

 溝の口駅の南側、梶が谷側に電留線があります。かつては上のポイントの辺りまで下りホームがありました。今、電留線に6000系が停まっています。奥にトンネルが見えます。そのトンネルを抜けると梶が谷駅で、以前から電留線があり、大井町~梶が谷という電車も走っていました。現在は大井町線用の電留線があります。ちなみに、上の写真では見えませんが、右側のほうに高津区役所があります。

 ここから先は1966年に延長された区間です。それまで、田園都市線は大井町~溝の口(当時は溝ノ口)でした。

 大井町線と田園都市線の歴史はかなり複雑でして、年表で整理する必要があるくらいですが、元々、二子玉川~溝の口は玉川電気鉄道の路線であり、1943年に工場勤務者の輸送を増強するために改軌して大井町線に編入したのです。1963年には大井町線が田園都市線に改称されます。1966年に溝の口~長津田が開業してから田園都市線は延長を続けますが、1977年に新玉川線が開業し、1978年に半蔵門線との直通運転を開始し、1979年には田園都市線・新玉川線・半蔵門線の直通運転が開始されると同時に大井町~二子玉川が大井町線に改称されます。これにより、新玉川線と田園都市線は実質的に同一の路線となりました。1984年には中央林間まで全通します。そして、2000年8月、新玉川線は田園都市線に編入されます。

 田園都市線の下り線を東京メトロ08系が走ります。半蔵門線用の車両で、東京メトロ8000系(帝都高速度交通営団では最初のワンハンドルマスコン採用車両)の後継車両と言えます。半蔵門線のラインカラーである紫の帯を巻いていますので、すぐに識別できます。

 現在、田園都市線には東急、東京メトロ、東武の車両が走っています。東急は8500系、8590系、2000系および5000系で、5000系には6扉車が組み込まれています(その関係で一部が改番され、8両編成 3本が東横線を走っています)。また、8590系と2000系、および8500系の一部は東武線に乗り入れることができません。東京メトロは8000系および08系です。東武は30000系と50050系ですが、30000系を見かけることは少なくなりました(原則として東武線内のみの運用に限定されるようになったのです)。また、長津田車両工場への回送の関係で、世田谷線を除く東急全線の車両を見かけることも少なくありません。

 

 (3)

 私の本務校である大東文化大学の板橋校舎は高島平一丁目にあります。都営地下鉄三田線西台駅が最寄りとなるので、通勤には東急目黒線を利用します。その関係もあって、国学院大学渋谷校舎に向かう時は東横線を利用します。

  しかし、時折、田園都市線や大井町線を利用することがあります。半蔵門線の半蔵門~三越前が開業して溝の口から神保町まで乗り換えをせずに行けるようになってから、田園都市線の利用頻度が高くなり、院生時代は田園都市線で通学していました。また、大井町線は 、2000年8月の目蒲線分割までは東急の鉄道線全線に、分割後は東急多摩川線を除く鉄道線全線(世田谷線は軌道線です)に乗り換えられるために利便性が高いのです。2009年7月11日から溝の口まで運転されているため、利便性がさらに高まりました。各停が5両、急行が6両と短い編成ですが、東横線、田園都市線とともに車掌が乗務していることから、乗客が多いことがうかがわれます〔目黒線、池上線、多摩川線、こどもの国線(正式には横浜高速鉄道)はワンマン運転です〕。

 田園都市線の主力を長らく務めてきた8500系のうち、最後期に製造された2編成は5両編成であり、大井町線で運用されています。そのうちの1編成が上の写真の車両です。8500系は1975年から10年ほどにわたって製造されているため、製造年によってかなりの違いがあります。最も大きな違いは軽量車体か否かという点でしょう。なお、前面下部の排障器(スカート)は、半蔵門線の水天宮前~押上の開業、および東武線との直通運転開始に際して取り付けられたものです。

 緑各停の8090系が2番線に到着しました。元々は東横線用ですが、みなとみらい線との直通運転が決まったことにより、前面非貫通の形態では地下線の走行に問題があるとして大井町線に転用され、今では大井町線の主力になっています。日本で最初の量産軽量ステンレスカーで、現在のところは東急最後の前面非貫通型でもあります。前期型は前照燈が帯の下にあるのに対し、中後期型は前照燈が帯の位置にあります。また、前面の窓も改造されています。

 前面非貫通といえば、JRの通勤型では当たり前のような存在ですが、東急では少なく、世田谷線用の車両を除くと、旧3000系の一部、1954(昭和29)年に登場した旧5000系、1958(昭和33)年に登場した5200系、そして8090系しかありません。

 なお、2010年3月、東急から秩父鉄道に譲渡された8090系3両が7500系として登場するという話です。

 こちらは緑各停の8590系です。もっとも、8590系は先頭車だけで、中間車は8090系です。こちらは貫通扉が付けられています。8090系、8590系の種別表示および行先表示には幕式とLED式の両方がありますが、大井町線の場合は幕式のほうが見易いと思います。LED式の場合、とくに 「各停」の表示が少々わかりにくいのです。

 先ほどの緑各停が発車した後、急行の6000系が入線しました。大井町線の急行は、途中、東急の他線との乗換駅(旗の台、大岡山、自由が丘、二子玉川)しか停まりません。また、急行は上りも下りも旗の台で各停に接続します。時間帯によっては、上りのみですが上野毛での追い抜きもあります。

 1番線に田園都市線下りの8500系が停車しています。現在、東急で側面に帯を巻いていないのは8500系のみです(但し、一部の編成は巻いています)。

 行先表示を見ていると、何秒か毎に日本語、ローマ字表記が入れ替わります。これは目黒線用の3000系からです。現在ではJRなどでも当たり前のようになっていますが、東急3000系はその早い例でした。

 

 〔補記〕この記事を最初に書いた時には、大井町線の戸越公園駅と九品仏駅においてドアカットが行われていましたが、現在は九品仏駅のみです。


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