〔今回は、「待合室」の第299回(2009年1月1日から2月2日まで)として掲載した記事の再掲載です。かなりの時間が経過したこともあって、一部を修正しております。なお、写真撮影日は2008年9月7日です。〕
さて、いよいよ秋月城の本門です。
現在は垂裕神社の鳥居があるこの場所は、秋月城の本門(黒門)の跡です。自転車が写っていますが、これは私が甘木駅前で借りた自転車です。奥に門があるのですが、この写真ではわかりにくいかもしれません。石段を上がり、門を抜けると城の本丸の跡ということになります。
本門(黒門)が見えました。思ったよりは昇りやすい石段です。ただ、ここから本丸の跡に入る人はあまり多くないようです。或る意味で城址に相応しい、侘しさのようなものを感じます。しかし、私は、このような風景にこそ、趣を感じます。実際に城として機能していた時には、全く違った情景が存在していたのでしょう。しかし、今、ここには中学校があるとはいえ、邸宅など、人が居住する場所はありません。
本門(黒門)を抜けると、さらに道が続きます。奥に石段がありますが、奥のほうに歩く人はほとんどいません。実際に入ってみると、すぐに山が迫るという地形のためか、東西方向での幅が極端に狭いような印象を受けます。もっとも、現在の建売住宅でもここに建てるならば、結構な軒数となるでしょう。
本門(黒門)を抜けて程なく、上のような案内板があります。写真では字が小さく、読みにくくなっていますが、「この地図は秋月の重要伝統的建造物群保存地区の特徴を示すため、福岡県立図書館所蔵文政二年(一八一九)秋月城下絵図を元に描いたものです。」と書かれており、水色が「屋敷地区」、赤色が「町家地区」、黄色というか黄土色のような色が「寺社」となっています。右が北になっていて、この地図にならえば私は上から下に向かい、ほぼ中央部から左に歩いてきた訳です。「現在地」は左中のタイルに書かれています。
別に「秋月城下町」という、タイルによる案内板がありました。右側にあるこの絵は、他の案内板と同様に特徴のある絵が描かれています。作者が誰なのか、非常に気になります。
先ほどの案内板の続きです。
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