ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

秋月城址へ行く(5)

2015年03月06日 00時00分00秒 | 旅行記

 〔今回は、「待合室」の第298回(2008年12月22日から31日まで)として掲載した記事の再掲載です。かなりの時間が経過したこともあって、一部を修正しております。なお、写真撮影日は2008年9月7日です。〕

 

 秋月は旧甘木市の北のほうにあります。市町村合併の結果として、現在は朝倉市の一部になっていますが、今でも私には甘木市というほうが口に馴染みます。 いや、秋月は秋月であって、朝倉でも甘木でもないのかもしれません。

 メインとなる道路から分岐する道路には、 そこの地域の雰囲気が味わえるような気がしており、つい足を運んでみたくなります。東京でも、路地裏を歩くという散歩のコースがありますが、秋月のような場所でも、歩いてみると何かを見つけられるかもしれません。 表通りよりも裏通りのほうが、その地域の生活に密着しており、人々の生活感、あるいは生活観が、よく染み込み、そこはかとなく漂ってくるからでしょうか。

 車が一台通ることができるくらいの幅、両側にある生垣、坂道、奥のほうに見える山。 歩いてみても面白いでしょう。甘木駅前で借りた自転車で走ってみてもよかったのですが、手元には観光協会でもらった絵地図しかありません。このようなものには、脇道などが描かれていません。初めて訪れる場所で、詳細な地図を持っていないのに脇道などを走るのは、或る意味で冒険ですし、大都会と違って道に迷ったりすると大変な目にあいます。そのため、今回はやめておきました。

 右のほうに、下水道工事の立て看板があります。この地域にも下水道が通ることになるようです。

 秋月城址の一角なのですが、北側は朝倉市立秋月中学校です。ここが正門でしょう。坂道になっており、ここを入れば校庭があり、いくつかの校舎があります。どのような校舎なのかは、秋月城址に入ってから見てみようと思います。ただ、こうして一端を見ているだけであっても、独特の風格があるような気がします。

 以前、「待合室」で、日出町の暘谷城址を取り上げました。そこも現在は小学校となっています。歴史の上で教育が行われているという自覚を、子どもにも親にも、そして教員にも持っていただきたいものです。

 秋月という地名の由来を記した案内板がありました。タイルを石に埋め込む形で作られています。左上にある絵は誰の版画でしょうか。1979年3月ということで、甘木市教育委員会となっています。

 ここが、福岡市東区にある筥崎八幡宮(筥崎宮)の荘園であり、神功皇后ということでは宇美八幡宮とも縁があるということは、今回初めて知りました。何故に秋月と名づけられたかについては書かれていませんが、それにしてもいい名前です。

 

秋月中学校の入口から杉ノ馬場をもう少し進み、左側にある堀の跡から石段を登ります。長屋門です。ここだけは、秋月城址で建物が残っています。この門を抜けると、藩主の館があった梅園です。

長屋門の入口にある案内表示です。

 別の場所には秋月城の本門の跡があります。秋月八幡宮は、杉ノ馬場を抜け、山を登って少しばかり奥に入った所にあります。上の案内板に垂裕神社と書かれており、現在はこの神社の入口が本門(黒門)である、という訳です。私は、ここに自転車を停め、秋月城址に入りました。

 このあたりは梨の産地でもあり、私が訪れた日に本門(黒門)の前で近所の果樹園が屋台を出していました。果物の中でも梨が大好物の私は、急に食べたくなりましたが、袋入りばかりでした。飛行機に乗って福岡入りしたので、包丁やナイフといった刃物は持っていません(そんなものを持ち歩いているだけで問題ですが)。屋台の人に尋ねたら、1個100円で売ってくれるというので、買ってその場で食べました。水分をたっぷりと含んでおり、爽やかさを伴った甘みで、本当に美味しい梨でした。 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コストが高くなっても民営化? | トップ | 秋月城址へ行く(6) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅行記」カテゴリの最新記事