ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

川崎市の「みなし適用」

2014年10月21日 11時06分22秒 | 国際・政治

 私が住んでいる川崎市では「みなし適用」という制度を8月から実施しています。これは、川崎市のサイトに掲載されている「川崎市寡婦(夫)」控除のみなし適用の実施」の説明を借りると「ひとり親家庭の支援施策の一環として、未婚で20歳未満の児童を養育するひとり親家庭を対象に、寡婦(夫)控除のみなし適用を実施」するというものです。今年の7月22日、「川崎市寡婦(夫)控除のみなし適用に関する運用を定める要綱」が市長により決裁され、8月1日から実施されています。

 所得税法第81条には「寡婦(寡夫)控除」が定められており、同第1項で「居住者が寡婦又は寡夫である場合には、その者のその年分の総所得金額、退職所得金額又は山林所得金額から二十七万円を控除する」とされています。「寡婦(寡夫)控除」は地方税法にも定められており、同第34条第1項第8号により都道府県個人住民税に、同第314条の2第1項第8号により市町村個人住民税にも適用されます。また、同第314条の6は「調整控除」を定めていますが、その第1号イ(3)および(4)にも「寡婦(寡夫)」に関する規定があります。

 しかし、「寡婦(寡夫)控除」は、一度でも婚姻歴がある者にのみ適用されます。所得税法第2条第1項第30号は寡婦を次のように定義しています(地方税法第23条第1項第11号、同第292条第1項第11号もほぼ同旨)。

 「イ 夫と死別し、若しくは夫と離婚した後婚姻をしていない者又は夫の生死の明らかでない者で政令で定めるもののうち、扶養親族その他その者と生計を一にする親族で政令で定めるものを有するもの

 ロ イに掲げる者のほか、夫と死別した後婚姻をしていない者又は夫の生死の明らかでない者で政令で定めるもののうち、第七十条(純損失の繰越控除)及び第七十一条(雑損失の繰越控除)の規定を適用しないで計算した場合における第二十二条(課税標準)に規定する総所得金額、退職所得金額及び山林所得金額の合計額(以下この条において「合計所得金額」という。)が五百万円以下であるもの」

 また、所得税法第2条第1項第31号は、寡夫を「妻と死別し、若しくは妻と離婚した後婚姻をしていない者又は妻の生死の明らかでない者で政令で定めるもののうち、その者と生計を一にする親族で政令で定めるものを有し、かつ、合計所得金額が五百万円以下であるものをいう」と定義しています(地方税法第23条第1項第12号、同第292条第1項第12号もほぼ同旨)。

 以上により、婚姻歴の無い一人親には「寡婦(寡夫)控除」は適用されませんから、所得税や住民税において寡婦または寡夫よりも負担が重いことになります。また、話が租税法の領域に留まらなくなることにも問題があります。結局、深刻化するひとり親家庭(とりわけシングルマザー)の貧困問題に、租税法では対処のしようがない、と記すと行き過ぎかもしれませんが、限界があることは確かなのです〔現状などについては、赤石千衣子『ひとり親家庭』(岩波新書)が参考になります〕。

 そこで、川崎市が「寡婦(寡夫)控除」のみなし適用を始めた訳です。市も断っているように、所得税法および地方税法の規定により「税法上の控除を受けることはできません」が、上記要綱の「別表第1(第2条関係)」によれば、対象事業は「市立保育園保育料等補助事業」、「日常生活支援事業」、「高等職業訓練促進給付金等事業」など、計34の事業について「寡婦(夫)控除のみなし適用の申請に基づき、寡婦(夫)控除があるものとして所得を計算して、利用料等の減額等を行う」こととなります。

 対象者は、市の上記要綱第3条により、次のように定められています。

 「みなし適用の対象となる者は、本市の区域内に住所を有し、対象事業を利用する者で、次に掲げる要件を満たすものとする。

 (1)未婚の母又は父であること。

 (2)前号に規定する未婚の母にあっては、扶養親族である児童又はその者と生計を一にする子を有し、及び現況日においても有していたこと。ただし、地方税法第34条第3項及び第314条の2第3項並びに租税特別措置法(昭和32年法律第26号)第41条の17に定める控除を適用する場合には、扶養親族である子を有し、及び現況日においても有しており、かつ合計所得金額が500万円以下である者に限る。2人以上の子及び児童がいる場合においては、末子が20才未満であれば足りる。

 (3)第1号に規定する未婚の父にあっては、生計を一にする子を有し、現況日においても有していたこと。2人以上の子がいる場合においては、末子が20才未満であれば足りる。」

 用語の定義という問題もあるので、要綱の第2条も示しておきます。

 「この要綱において、次の各号に掲げる用語の定義は、当該各号に定めるところによる。

 (1)子 他の者の控除対象配偶者や扶養親族となっていない20才未満の子で、かつ、合計所得金額が38万円以下である者をいう。

 (2)児童 20歳に満たない者で、かつ、合計所得金額が38万円以下である者をいう。

 (3)未婚の母 参照する税の課税年度(以下「課税年度」という。)の現況日(課税年度の前年の12月31日。以下「現況日」という。)以前に婚姻によらないで母となった女子であって、婚姻したことがなく、婚姻(婚姻の届け出はしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある場合を含む。以下この号において同じ。)をしていない者及び現況日においても婚姻をしていなかった者をいう。

 (4)未婚の父 現況日以前に婚姻によらないで父となった男子であって、婚姻したことがなく、婚姻(婚姻の届け出はしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある場合を含む。以下この号において同じ。)をしていない者及び現況日においても婚姻をしていなかった者で、かつ課税年度の合計所得金額が500万円以下である者をいう。

 (5)控除対象配偶者 地方税法(昭和25年法律第226号)第23条第1項第7号並びに第292条第1項第7号及び所得税法(昭和40年法律第33号)第2条第1項第33号に定めるものをいう。

 (6)扶養親族 地方税法第23条第1項第8号並びに同法第292条第1項第8号及び所得税法第2条第1項第34号に定めるものをいう。

 (7)合計所得金額 地方税法第23条第1項第13号並びに同法第292条第1項第13号及び所得税法第2条第1項第30号ロに定めるものをいう。

 (8)対象事業 みなし適用の対象となる事業をいい、別表第1のとおりとする。

 (9)申請窓口 別表第1のとおりとする。」

 以上ではわかりにくいかもしれませんので、再び「川崎市寡婦(夫)」控除のみなし適用の実施」から引用しておきましょう。

 「所得を計算する対象となる年の12月31日及びみなし適用の申請時点において、次の1から3のいずれかに当てはまる人です。

 ただし、4月1日に遡って適用する場合には、所得を計算する対象となる年の12月31日及びみなし適用の適用期間において、次の1から4のいずれかに当てはまる人です。

 1 婚姻によらずに母となっており、婚姻歴がなく、生計を一にする20歳未満の子(合計所得金額が38万円以下で、他の人の扶養配偶者や扶養親族となっていない場合に限る。)がいる、婚姻(事実婚を含む)していない者

 2 1であり、かつ20歳未満の子を税法上扶養しており、母の合計所得金額が、500万円以下である。【寡婦(特定)控除の対象】

 3 婚姻によらずに父となっており、婚姻歴がなく、生計を一にする20歳未満の子(合計所得金額が38万円以下で、他の人の扶養配偶者や扶養親族となっていない場合に限る。)がいる、婚姻(事実婚を含む)していない者。ただし、父の合計所得金額が、500万円以下に限る。

 4 婚姻によらずに母となっており、婚姻歴がなく、20歳未満の税法上扶養する児童(合計所得金額が38万円以下)がいる、婚姻(事実婚を含む)していない者」

 さて、実施から2ヶ月ほどが経過した「みなし適用」ですが、これについて、今日の3時付で神奈川新聞社が「『みなし適用』の申請23世帯のみ 未婚一人親世帯の寡婦控除」として報じています。

 この記事によると、「みなし適用」の申請者数が10月20日の時点で23世帯であったとのことです。内訳は保育料23件と市営住宅使用料1件で、保育料については計189万円ほど、市営住宅使用料については5万9千円ほどでした。

 市は保育料の減免に絞っても100世帯程度、全体では約750世帯と予想していたようで、利用料減免、補助金や給付金などの総額をおよそ1300万円と読んでいました。これは直近の国勢調査(2010年10月実施)の結果を基にしたものです。反響はそれなりにあったようですが、8月開始というのはいかにも中途半端な時期であるだけに、少なくとも現段階において見通しより少ないとしても仕方のないことでしょう。また、今年の4月に遡っての適用を申請できるのは今月までとなっていますが、事務処理上の問題もあるとは言え、短いような気もします。

 もう一つ、上記神奈川新聞の記事に市の担当者のコメントとして「実際に申請するかどうかは各家庭の判断」と書かれていたことに気を留めておきたいところです。それ以上に踏み込まれてもいませんが、昨今の「福祉叩き」と表現すべき風潮、福祉制度の利用に対する批判的な論調が強い状況においては、申請がはばかられるということになるのではないか、と懸念されるのです。スティグマ(stigma.歴史的に烙印、焼き印を意味し、比喩的に汚名の意味をも有する言葉)を押されることを恐れるという傾向は、生活保護申請に対する「水際作戦」が示すように、肝心の行政活動によって助長されたりすることもあります。川崎市がそのようなことをせず、制度の趣旨を生かした運営を行うかどうか、注意深く見つめる必要があります。

 自分がどのようにして生まれ、育ってきたかということは、多くの偶然が積み重なって出来上がることです。いつ親が死ぬかもしれませんし、いつ貧困に陥るかもしれません。常に我々は、たとえ現在は良い状況、恵まれた状況に置かれているとしても、いつ悪い状況に転じるかわからず、常にそうしたものと背中合わせになった状態で生きているのです。こんな簡単なことがわからないという人が多すぎるような気もします。

 なお、川崎市は今年の6月に「ひとり親家庭の生活の安定に向けた寡婦(夫)控除のみなし適用実施方針」も策定しています。

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Mac OS Ⅹ Yosemiteを入れてみました

2014年10月19日 13時15分48秒 | デジタル・インターネット

 10月16日からアップデートサービスが開始されたMac OS Ⅹ Yosemiteを、先程入れてみました。Windowsと異なり、OS Ⅹが長らく続くMacですが、今回のヴァージョンは10.10となります。

 まずデザインが一新され、最初は戸惑います。しかし、画面の美しさには磨きがかかっているようです。

 まだアップデートしたばかりなので、これから使い、慣れていこうと思います。ちなみに、私は、毎日のように持ち歩いているMacBook Airと自宅用のMacBook Proの両方に入れています。

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桜新町駅の案内板

2014年10月18日 06時23分23秒 | 写真

昨年辺りから、田園都市線の駅名標の下に病院や大学などの施設の最寄り駅であることを示す案内板が取り付けられています。今年に入ってから、桜新町駅にも付けられるようになりました。

 桜新町といえば、まず思い浮かべるのがサザエさんですが、商店街とは対照的に、1977年の開業以来、駅にはサザエさんにまつわるようなものがほとんどなかったのです。もとより、あればよいというものではありません。品格なりバランスなりというものが求められます。地下駅の壁がサザエさんだらけというのでは興醒めします。

 もっとも、東急とサザエさんとの関係にはそれなりのものがあります。1990年代には、マナー広告にサザエさん一家が登場していましたし、世田谷線に300系が登場してから、しばらくの間、301号編成の前面にはサザエさんの顔が貼られ、側面には一家が登場していました。

 長谷川町子美術館は、桜新町駅を降りて国道246号線方面に10分ほど歩いたところにあります。そこで、副駅名のように案内板が取り付けられました。今回の写真はすべて1番線(下りホーム)にあるものですが、1枚ごとにデザインが異なります。絵はすべて朝日新聞朝刊に連載していた頃の漫画からのもので、現在もフジテレビ系で放送されているアニメとは異なります。

 そう言えば、漫画とアニメとでは、顔つきが異なるだけでなく、登場人物の設定などにも大きな違いがあります。とくに違いが大きいのはワカメちゃんでしょう。漫画とアニメとではまるで別人のようです。

 今回はカツオ君、サザエさん、ワカメちゃんだけを取り上げましたが、駅の中を歩き回れば、他の4人も見つけることができるでしょう。

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カジノ構想:これを経済戦略の目玉とするのは末期的思考ではないのか?

2014年10月17日 10時33分16秒 | 国際・政治

 日本では、これまで何度となくカジノ構想が浮上してきました。第二次安倍内閣発足後、カジノ解禁に向けての議論が本格化しようとしています。勿論、2020年に開催が予定されている東京オリンピックに向けた話でもあるのですが、それに留まらず、経済戦略の目玉として位置づけられようとしているのです。既に6月、政府はIR(Integrated Resort.特定複合観光施設)推進検討について閣議決定を行っていますし、現在開かれている第187回国会(臨時会)では、第185国会会期中の2013年12月5日に衆議院議員提出法案第29号として提出され、同日に衆議院内閣委員会に付託されながら閉会中審査扱いとされた「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」が衆議院で審議されています。名称からしてバブル期一の悪法ともいわれたリゾート法(正式名称は「総合保養地域整備法」。昭和62年6月9日法律71号)の焼き直しのようなものを思い起こさせますが、見事に破綻したリゾート法の轍を踏むようなことにならないのでしょうか。

 また、カジノも賭博も(公営競技は除いて)解禁はされていないことになっているのに、実際はパチンコなどの存在もあってギャンブル大国であるとも言われる日本です。本当にカジノ解禁に問題がないのかと訝るのは自然なことです。

 そればかりでなく、日本でカジノを経済戦略の目玉とすることは、いかにも目先のことだけを考えた短期的思考であり、何ら生産性のない、公正という観点も欠落させた末期的な思考ではないかと思われます。理由は簡単で、賭博は既に存在する財なり富なりを収奪し、あるいは滅失させるだけで、何ら再生産にも再分配(勿論、公正なものです)にもつながっていないとみるべきであるからです。

 昨日(10月16日)付の朝日新聞朝刊1面14版トップ記事は「(深層カジノ上)『カジノ効果』追う日本 首相『成長戦略の目玉』」で、2面13版に続きの記事があります。読んでいて考えさせられる内容ですが、印象的なのはシンガポール国立大学公共政策大学院のドナルド・ロウ副学院長のコメントであり、重く受け止めるべきでしょう。引用させていただきましょう。

 「経済政策としてカジノに注目するのは悪くない。しかしIT(情報技術)や自動車などの産業と違って、カジノで20年も30年も国の優位性を保つことはできない」

 経済政策から離れてギャンブル依存症の問題について指摘されることがあります。これに関連して、モンテカルロで有名なモナコ公国では、国民のカジノ理由が禁止されているそうです(経済的な理由からしても当然のことでしょうが)。また、シンガポールでは、国民であれば入場料を徴収され、人ごとに入場制限ないし禁止の措置も可能であるとのことです(この話は上記朝日新聞記事に登場します)。外国の例にも様々なものがありますので、一概に言えないのですが、タックス・ヘイヴンとされる国や地域が少なくないことも、気に留めてよいことです。

 「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」は衆議院のサイトに掲載されているので、詳細はそちらを御覧いただくことといたしましょう。ここでは、まず提案理由を引用しておきます(下線は引用者である私によるものです)。

 「特定複合観光施設区域の整備の推進が、観光及び地域経済の振興に寄与するとともに、財政の改善に資するものであることに鑑み、特定複合観光施設区域の整備の推進に関する基本理念及び基本方針その他の基本となる事項を定めるとともに、特定複合観光施設区域整備推進本部を設置することにより、これを総合的かつ集中的に行うことが必要である。これが、この法律案を提出する理由である。」

 「目的」を定める第1条とほとんど同じ文章ですが、ここには、公営競技に関する諸法律と同じような構造が示されています。参考までに、下記の諸規定をお読みください。

 自転車競技法(昭和23年8月1日法律第209号)第1条第1項:「都道府県及び人口、財政等を勘案して総務大臣が指定する市町村(以下「指定市町村」という。)は、自転車その他の機械の改良及び輸出の振興、機械工業の合理化並びに体育事業その他の公益の増進を目的とする事業の振興に寄与するとともに、地方財政の健全化を図るため、この法律により、自転車競走を行うことができる。」

 小型自動車競走法(昭和25年5月27日法律第208号)第1条:「この法律は、小型自動車その他の機械の改良及び輸出の振興、機械工業の合理化並びに体育事業その他の公益の増進を目的とする事業の振興に寄与するとともに、地方財政の健全化を図るために行う小型自動車競走に関し規定するものとする。」

 モーターボート競走法(昭和26年6月18日法律第242号)第1条:「この法律は、モーターボートその他の船舶、船舶用機関及び船舶用品の改良及び輸出の振興並びにこれらの製造に関する事業及び海難防止に関する事業その他の海事に関する事業の振興に寄与することにより海に囲まれた我が国の発展に資し、あわせて観光に関する事業及び体育事業その他の公益の増進を目的とする事業の振興に資するとともに、地方財政の改善を図るために行うモーターボート競走に関し規定するものとする。」

 当せん金付証票法(昭和23年7月12日法律第144号)第1条:「この法律は、経済の現状に即応して、当分の間、当せん金付証票の発売により、浮動購買力を吸収し、もつて地方財政資金の調達に資することを目的とする。」

 スポーツ振興投票の実施等に関する法律(平成10年5月20日法律第63号〕第1条:「この法律は、スポーツの振興のために必要な資金を得るため、スポーツ振興投票の実施等に関する事項を定め、もってスポーツの振興に寄与することを目的とする。

 〔競馬法には同旨の規定が見当たりません。〕

 ここで「当せん金付証票」とは宝くじのことであり、「スポーツ振興投票」とはサッカーくじのことです(どちらも刑法第187条でいうところの富くじに当たります)。スポーツ振興投票の実施等に関する法律は1998年に公布されましたので時代背景などが異なりますし、サッカーくじは独立行政法人日本スポーツ振興センター行うこととなっていますから、直接地方財政の改善などに役立つということにはなっていません。これに対し、競輪、オートレース、競艇および宝くじは、いずれも第二次世界大戦後の混乱期に地方財政が窮乏状態となったことから認められるようになったものであり、施行者が地方公共団体とされているのです。とくにこの点が強く示されているのは当せん金付証票法第1条で、引用したように「当分の間」は「浮動購買力を吸収」することによって「地方財政資金の調達」を図ることとなっています。わかりやすい表現に直せば、「国民が持っている余った金を少しでも集めて地方財政に回す」ことが目的です。意地の悪い表現を使えば租税という形によらずに国民の経済力から収奪を行うことを正当化する法律でもある訳です。他の法律では曲がりなりにも「地方財政の健全化」以外の目的も示されていますが、当せん金付証票には「地方財政資金の調達」以外に何の目的も示されていません。逆に国民の側からすれば、宝くじを購入することは形を変えた納税であるとも言える訳です。従って、本来であれば所得税法か地方税法に「当せん金付証票購入控除」を設けるべきであるとも記してよいでしょう(半分冗談ですが、半分は本気です。末等でも当たれば別ですが、外れたらお金は帰ってこないので、納税と同様に考えてもよいでしょう。ちなみに、宝くじの当せん金は非課税です)。

 「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」には「観光及び地域経済の振興に寄与する」という、一応の目的が示されています。この点では当せん金付証票法と異なります。しかし「財政の改善」は同様であり、しかも地方財政のみならず国家財政にまで対象が広げられています。

 確かに、賭博も富くじも国家財政や地方財政の改善などには資することでしょう。そうでなければ公営競技が認められなかったはずです。実際に、川崎市も典型例の一つとしてよいでしょうが、公営競技や宝くじは地方財政に大きく貢献しました。しかし、現在はどうでしょうか。中央競馬はどうかわかりませんが、地方の公営競技は衰退しています。私が大分大学に勤務していた時に中津競馬が多額の赤字の末に廃止されました。最近では横浜市鶴見区にあった花月園競輪も廃止されています。他にも赤字が問題となっている公営競技は多いようです。時代の変化について行けなかった、などの理由をあげることはできるでしょうが、ドナルド・ロウ副学院長のコメントが的確に根本的な理由を述べていると考えられないでしょうか。

 それに、観光云々といいますが、大分県の例でいえば何故に由布院が人気を得て維持してきたかを考えれば、カジノ構想が観光に資さず、むしろ逆効果となりうることもありうるのではないでしょうか。奈良、京都、鎌倉などの古都を想起してもよいでしょう(太宰府市などをあげてもよいでしょう)。今日(10月17日)付の朝日新聞朝刊2面14版に「(深層カジノ中)『カジノを』首長走る」という記事が掲載されており、そこには大阪府・大阪市、沖縄県、東京都の動きが紹介されていますが、沖縄県には米軍基地という特殊事情があるのでここでは触れないとして、大阪府・大阪市の場合は夢州(ゆめしま)という、第三セクターの典型的失敗例が候補地となっています。挽回策ということでは理解できますが、何処まで実現できるかは今後の政策次第でしょう(外資系の会社が積極的である点も気になります。結局、日本の国や地方公共団体が得る利益は比率的に僅かなものにしかならないという結果になるかもしれないからです。こういう懸念が出るとしても不思議ではありません)。また、宮崎県がシーガイアで、長崎県がハウステンボスでのカジノの設置を検討しているらしいことも、かなり気になります。シーガイアはリゾート法の産物と言ってもよいもので、やはり見事なまでに破綻した実例です。ハウステンボスも同様で、運営していた会社は会社更生法の適用を受けています。どちらも経営主体が変わり、多少は持ち直しているようですが、いずれもカジノがなかったから失敗したのでしょうか。ちなみに、東京都は、石原慎太郎氏が知事であった時代に港区台場(「お台場」と呼称されることが多いのですが、正式な地名は「台場」です)に誘致することを表明しており、知事が猪瀬直樹氏に交代してからも同じ姿勢を続けていましたが、舛添要一氏に交代してからはトーンダウンしているようです(担当部局が政策企画局から港湾局に変更されています)。

 書いているうちに、取り留めのないようなものになってしまいました。大分大学時代に取り組んでいたサテライト日田問題を思い出しました。カジノ構想などとはあまり関係はないのですが、地元のまち作りなどの問題として考えるべきものとして記しておきましょう。私の「川崎高津公法研究室」に、現在も不定期連載(2000年7月~2004年12月22日)、「サテライト日田をめぐる自治体間対立と条例―日田市公営競技の場外券売場設置等による生活環境等の保全に関する条例―」(月刊地方自治職員研修2001年5月号に掲載)、「場外車券売場設置許可無効確認請求事件」(法令解説資料総覧2003年5月号に掲載)、「地方公共団体の名誉権と市報掲載記事―大分地方裁判所平成14年11月19日判決の評釈を中心に―」(大分大学大学院福祉科学研究科紀要第1号に掲載)、および「地方公共団体の名誉権享有主体性についての試論」(早稲田法学81巻3号に掲載)を載せておりますので、お読みいただければ幸いです。

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かなり気になる「経済社会改革の推進に関する法律案」

2014年10月17日 00時52分34秒 | 国際・政治

 仕事の関係で衆議院のサイトを見ていたところ、現在開かれている第187回国会(臨時会)で審議されている法律案に、非常に気になるものがあります。「経済社会改革の推進に関する法律案」です。

 この法律案は、第186回国会会期中の今年(2014年)6月17日に衆議院議員提出法案第44号として提出されたものであり、衆議院には2014年6月17日に受理され、翌日には内閣委員会に付託されていますが、閉会中審査の扱いとなりました。

 条文数こそ少ないものの、内容はかなり多岐にわたり、天こ盛りとも言えるものですが、今回は私が気になった条文をあげておきましょう。法律案全体については衆議院のサイトを御覧ください。なお、コメントなどについては基本的に控えますが、どうしても気になるものだけは短く記しておきます。

「(目的)
第一条 この法律は、我が国の経済状況を好転させるためには、民間の自主的な選択に配慮した施策の推進、生産性の高い経済の実現及び地域を中心とした社会のシステムの構築による経済社会の改革(以下「経済社会改革」という。)が喫緊の課題であることに鑑み、経済社会改革に関し、基本理念及びその実現を図るために基本となる事項を定め、国の責務を明らかにし、並びに経済社会改革推進計画の作成について定めるとともに、経済社会改革推進本部を設置することにより、経済社会改革に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、もって国民生活の向上及び経済社会の発展に寄与することを目的とする。」

「(民間の自主的な選択に配慮した施策の推進)
第二条 経済社会改革は、民間活動が経済社会の発展の基盤であることに鑑み、国が講ずる施策について民間の自主的な選択に配慮したものとするとともに、これを踏まえて国の行政組織並びに事務及び事業の見直しを行い、行政運営の効率化及び歳出の削減が図られることを旨として行われなければならない。」

「(生産性の高い経済の実現)
第三条 経済社会改革は、技術革新の進展に必要な環境を整備するため、民間活動の活性化に資するよう人材の多様性を確保し、並びに社会における人材の移動に伴う手続及び費用の負担を軽減することにより、民間における生産性を高め、雇用を確保し、及び国民負担の軽減に資することを旨として行われなければならない。」

「(地域を中心とした社会のシステムの構築)
第四条 経済社会改革は、各地域において、商品を使用し、若しくは消費し、又はサービスの提供を受ける者を起点として各産業分野相互の連携を図り、これらの者が商品を使用し、若しくは消費し、又はサービスの提供を受けることにより享受する価値を効果的に創造し、提供し、及び確保するシステムを構築し、及び運営することを旨として行われなければならない。」

「(経済活動への参加意欲の向上)
第七条 国は、経済活動に参加し、又は参加しようとする者の意欲を高めるため、就業に係る規制の緩和、労働契約制度の見直し、新たな事業の開拓及びこれに伴う総合調整に関する業務並びに高度な専門的業務に必要な技能及びこれに関する知識を有する者に対する認定又は資格に係る制度の創設その他の必要な施策を講ずるものとする。」

「(社会保障制度への依存の防止)
第八条 国は、経済活動に参加しようとする努力を怠る者が社会保障制度に過度に依存することとならないよう、社会保障制度の改革その他の必要な施策を講ずるものとする。」

 〔趣旨はわからなくもないのですが、文言からして曖昧であり、それこそ「過度に」社会保障制度(例、生活保護制度)の利用を抑制する効果をもたらさないでしょうか。社会保障制度は憲法第25条によるものであり、これを利用することは(少なくとも)日本国民の権利であることが、あまりにも理解されていない、あるいは蔑ろにされていないでしょうか。この条文の趣旨からすれば、日本国憲法から第25条が削除されることが望ましいということになるでしょう。〕

 〔第10条などでは「人材」という言葉が繰り返されます。世間でも当たり前に使用される言葉ですが、私が大分大学教育福祉科学部に勤務していた時、教授会の場で「人材」の使用は好ましくないという発言をされた教授がおられました。今でも、その方のお人柄とともに強く印象に残っています。ちなみに、同じ意味で「人才」という言葉もあります。読みは「じんさい」です。〕

「(人材の多様性の確保)
第十条 国は、民間企業の活性化に資するよう、人材の多様性を確保するため、採用慣行その他の雇用慣行の見直しの奨励及び社外取締役の選任の促進その他の必要な施策を講ずるものとする。」

「(地域社会の中心となる都市への人口の集中)
第十六条 国は、地域社会の中心となる都市がそれぞれ魅力あるものとなることによって人口の集中を促進し、効率的な経済の発展を図ることができるよう、道州制の推進その他の必要な施策を講ずるものとする。」

〔これが一番気になります。具体的にいかなる意味なのかがわかりにくい上に、地方自治や地方分権の理念とかけ離れるのではないかと思われるのです。また、日本社会の現実に鑑みて、都道府県庁所在都市への一極集中、各地方の中心都市への一極集中(例.九州地方における福岡市への一極集中)、そして東京への一極集中を法的に担保する結果になりかねないのではないか、と懸念します。道州制の推進が盛り込まれていることからしても、道または州の中心都市(道都、州都とでもいうのでしょうか?)へ人口や経済基盤の集中が加速する可能性は高いでしょう。次の第17条と比較してください。〕

「(農村地域の再生)
第十七条 国は、農村地域の再生に資するよう、若者が夢を求めて農業に参入し、及び農村に居住し、並びに消費者を主体とした豊かな食生活を創造するため、農村地域における雇用機会の創出、農産物等の生産及び加工又は販売を一体的に行う事業の促進、農業及び農村地域を振興する仕組みの再構築その他の必要な施策を講ずるものとする。」

「(安定的で効果的なエネルギー供給のシステム及び効率的な物流のシステムの構築)
第十八条 国は、真に安定的で効果的なエネルギー供給及び効率的な物流を実現するため、国際的な電力供給のシステムの構築、蓄電池を活用した電力供給のシステムの構築並びにバイオマス及び太陽熱の活用並びに複数の輸送機関を活用し輸送時間を短縮する物流のシステムの構築その他の必要な施策を講ずるものとする。」

〔エネルギー政策と交通政策の両面を含んでおり、運用の仕方によっては過度なモータリゼイションを改める機会ともなりえます。〕

 提出理由は「経済社会改革に関する施策を総合的かつ計画的に推進するため、経済社会改革に関し、基本理念及びその実現を図るために基本となる事項を定め、国の責務を明らかにし、並びに経済社会改革推進計画の作成について定めるとともに、経済社会改革推進本部を設置する必要がある。これが、この法律案を提出する理由である」とされており、「本案施行に要する経費としては、平年度約一億八千四百万円の見込みである」とも述べられています。

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以前、高津駅構内にあったもの

2014年10月16日 10時53分10秒 | 写真

 1982年4月3日、田園都市線の急行通過駅である高津駅の構内(高架下)に、電車とバスの博物館が開業しました。東京急行電鉄創業60周年事業の一環です。宮田道一『東急の駅 今昔・昭和の面影 80余年に存在した120駅を徹底紹介』(2008年、JTBパブリッシング)によれば、隣の溝の口駅に近く(実際に、JR武蔵溝ノ口駅北口から始まる商店街は高津駅付近まで伸びています)、商業施設では採算がとれないと見込まれたため、ミニ博物館が建設されたとのことです。今の高津駅の高架下には東急ストア、リトルマーメイド、モンソーフレール、はなの舞いといった店舗がありますが、30年も経てば様相は変わるということでしょう。

 およそ20年間、高津駅構内に電車とバスの博物館が開かれていましたが、田園都市線の複々線化(大井町線の延長工事)に伴い、2002年9月1日に休館となり、2003年3月21日、宮崎台駅の高架下に移転、再開しました。

 移転してから10年以上が経過した2013年9月10日、田園都市線の下り電車に乗り、宮崎台駅で降り、電車とバスの博物館に行ってみました。高津駅構内にあった頃には、入園料が大人も子どもも10円という安さのためもあって、何度となく行きました。宮崎台駅構内に移転してからは大人100円、子ども50円となっています。入園する際に自動券売機で切符ならぬ入園券を買い求め、自動改札機を通るのは、高津駅時代から変わっていません。

 現在の電車とバスの博物館は、宮崎台駅に直結している博物館と、道路を隔てた所にあるイベント館に分かれています。イベント館の入口に、上の写真の電車が置かれています。運転席側の大きなひさしが目立つモハ510形で、御丁寧に旧字体で方向板(行先表示)が再現されています。東急の前身である目黒蒲田電鉄と東京横浜電鉄の車両で、1931年から1936年にかけて、当時の私鉄車両としては大量と言える50両が製造されました。両社を初めとした大合併によって東京急行電鉄が成立してからデハ3450形となります。東急の車両には、最近の例を挙げれば1000系、8590系、8090系、8500系、8000系など、地方私鉄に譲渡されるものが多く、中には大手私鉄の名古屋鉄道に譲渡されたデハ3700系という例もありますし、8500系は海外(インドネシア)にも譲渡されています。しかし、このデハ3450形は数少ない例外で、最後まで他社に譲渡されず、東急各線を走っていました(但し、旅客営業用としてでなければ、譲渡例はあります)。平成が始まったばかりの1989年3月まで現役を続けていました。 

 デハ3450形のトップナンバーである3450号が、デビュー当時の姿に復元されました。1989年のことで、この姿となってすぐに高津駅構内の高架下に展示されました。現在、モンソーフレールやリトルマーメードがある場所の辺りです。高津駅にあった頃には中に入ることができなかったのですが、現在はできるようです。

 電車とバスの博物館には、デハ3450形がもう1両存在します。3456号で、こちらは車体の一部がカットされ、運転台部分にはパンタグラフと運転装置、台車、モーターがありまして、運転台にあるマスコンを左手で操作すればモーターが回転を始め、あの懐かしい吊りかけ駆動の音を発します(但し、すぐに切れるようになっています)。右手でブレーキ弁を操作することもできますし、放送装置なども操作できます。また、同じ3456号の別の部分も活用されており、当初はただ一部として保存されていただけですが、高津駅の時代から運転シミュレータとなっています。 

 博物館の中に、1969年5月に廃止された東急玉川線〔渋谷~二子玉川園(現在の二子玉川)〕を走っていた人気者、ペコちゃんことデハ200形の204号が保存されています。高津駅構内に電車とバスの博物館がオープンする前から、この電車が高津駅の改札前(後にモハ510が置かれる場所)に置かれており、中に入ることもできました。なお、電車とバスの博物館は、高津駅時代の1991年に拡張リニューアルがなされており、204号は二子新地側の3号館に移設されました。現在、はなの舞が営業している場所です。

 この車両は、長らく多摩川園で保存されていました。屋外に置かれていたため、傷みも進んでいたはずです。1979年に多摩川園が閉じられ、高津駅構内に移ってきました。現役時代が14年ほどと短いため、保存期間のほうが長くなっています。

 デハ200形は1955年に6編成が製造され、玉川線と世田谷線を走っていました〔玉川線と同時に廃止された砧線〔二子玉川園~砧本村)では走っていません〕。東急初のカルダン駆動車である初代5000系(渋谷駅前ハチ公前広場に展示されている車両。熊本電気鉄道では現役ですが、来年の秋までに引退することが決まっています〕と同様の超軽量モノコック車体となり、玉川線初のカルダン駆動車にして連接車、しかも超低床車両の先駆的存在でした。しかし、連接台車が1軸であったこと、保守や乗り心地に難があったことなどから、増備はなされず、玉川線の廃止とともに廃車となります。せっかくカルダン駆動車として登場したのに、後が続かず、車体に初代7000系の影響が強く見られたデハ150形は吊りかけ駆動でした。そして、玉川線の廃止をはさんで、世田谷線では長らく新車が登場せず、カルダン駆動にして連接車という車両は300系の登場を待たなければならなかったのです(但し、デハ70形およびデハ80形が1990年代にカルダン駆動に改造されています)。

 なお、電車とバスの博物館には、東急バスが2台保存されており、YS-11も一部だけがカットされた状態で保存されています。東急の系列に日本エアシステムが存在しており、東亜国内航空の時代に導入されていたためです。高津駅時代からフライトシミュレーターとして利用されています。

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静岡大学の法科大学院も募集停止

2014年10月14日 20時59分46秒 | 受験・学校

 22校目となる募集停止です。今日の14時25分付で、静岡新聞社が「学生募集停止を発表 実績低迷の静大法科大学院」として報じており、静岡大学の公式サイトには今日付で「静岡大学大学院法務研究科の学生募集停止について」という文書が掲載されています。なお、静岡新聞社は、既に10月7日7時49分付で「静大法科大学院 2015年度で募集打ち切りへ」として報じていました。

 国立大学(法人)としては6校目となる募集停止で、時期は2016年度からです。つまり、東洋大学と同様に来年には入学試験を行わないということになります。

 日本経済新聞2014年9月20日(土)付朝刊42面13版に掲載された「法科大学院を5分類 文科省『最低』7校、補助金半減」という記事でも報じられているように、文部科学省は、これまでの合格率などの実績を基にして2015年度に交付する補助金を、2014年度分に対する割合によって5段階に分類しています。次のようになっています(日経の記事を引用します)。

 補助金の基礎額90パーセント:北海道大学、東北大学、筑波大学、東京大学、一橋大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、学習院大学、慶応義塾大学、上智大学、中央大学、早稲田大学

 補助金の基礎額80パーセント:千葉大学、横浜国立大学、神戸大学、九州大学、成蹊大学、創価大学、愛知大学

 補助金の基礎額70パーセント:岡山大学、琉球大学、立教大学、同志社大学、甲南大学

 補助金の基礎額60パーセント:金沢大学、静岡大学、広島大学、熊本大学、青山学院大学、東洋大学、日本大学、法政大学、明治大学、神奈川大学、山梨学院大学、中京大学、南山大学、名城大学、立命館大学、関西大学、近畿大学、関西学院大学、西南学院大学、福岡大学

 補助金の基礎額50パーセント:北海学園大学、国学院大学、駒沢大学、専修大学、桐蔭横浜大学、愛知学院大学、京都産業大学

 既に2015年からの募集停止を表明している大学などはここに入っておらず(そのために大東文化大学も登場しません)、また大阪市立大学と首都大学東京は国からの補助金を受けていないとのことです(従って対象外となります)。

 静岡大学は補助金の基礎額60パーセントのランクに入っています。御覧のように有名大学もかなり入っていますが、既に東洋大学が2016年度からの募集停止を決めています。静岡大学の公式サイトでは触れられていないのですが、静岡新聞社の今日付報道は「静岡大の場合、年間4千万円程度の補助金カットが見込まれることから、開設からわずか10年で1校単独での運営継続が難しい状況に追い込まれた」と述べています。たしかにこの額は大きいもので、募集停止の決め手となったのではないかと思われます。もっとも、静岡大学の公式サイトでは「一方、国立大学においては、平成28年度からの第3期中期目標・中期計画の策定に向けて、『国立大学改革プラン』に基づく教育研究組織の見直しが求められており、本学においても、地域における中核的な教育拠点として、法科大学院を含め学部・大学院全体の組織見直しを進めているところで」あると述べられていますが、現状では「国立大学改革プラン」でも厳しい見通しが示されるものと考えられるため、その準備のために募集停止を決めたということなのでしょう。

 また、静岡大学の法科大学院の実績も、まとめの表の形で報じられています。それによると、募集定員は20名なのですが、入学者は2010年度が13人、2011年度が10人、2012年度が8人、2013年度も8人、2014年度が3人となっています。司法試験合格者と合格率は、2010年度が6名で16.2パーセント、2011年度が7名で14.9パーセント、2012年度も7名で14.9パーセント、2013年度が1名で3.4パーセント、2014年度が3人で10パーセントとなっています。

 さて、静岡新聞社の報道にも登場するのですが、非常に気になる一節が公式サイトにあります。「なお、他の大学との連合構想につきましても、引き続きその可能性について模索し、実現に向けて努力してまいりたいと考えております」という部分です。島根大学法科大学院の募集停止の際にも言われていたことで、その際、想定されていたのは静岡大学法科大学院ではないかとも言われています。

 たしかに、法科大学院については複数の大学による連合大学院などの再編も言われているところです。しかし、これはどこまで現実的な話でしょうか。法科大学院では香川大学・愛媛大学連合法務研究科(四国ロースクール)という実例がありますが、今年の5月20日付で2015年度からの募集停止を表明しています。また、この連合法科大学院は香川大学が主体となっている上で、隣県という条件になっています。高松市と松山市ではかなり距離が離れており、実際のところどのように連携していたのかは興味深いところですが、口で言うほど簡単な話ではないだろうということは想像がつきます。首都圏や京阪神地区なら複数の大学による連携なり連合なりは比較的に楽にできるでしょうが(そもそも、こういう発想が東京流の物の見方によるとも言えます。市町村合併と同じようなものです)、静岡県と島根県という遠隔地間の大学で連合を組んでどのような方法で教育を行うというのでしょうか。全ての講義で遠隔会議システムを使用するということならわかりますし、インターネットを活用する方法も当然すぐに思いつきます。しかし、これらの技術なり方法なりのみではどうにもならない問題があるでしょう。具体的な構想を知りたいものです。また、連合というのは国立大学だからこそ、とは言えないまでも、私立大学よりは国立大学に向いているものとも言えますが、中部地方、中国地方、四国地方というようなブロック、または静岡県と神奈川県というような隣県同士というような形でなければ、実現は困難でしょう。

 少なくとも私立大学にとり、連合よりも現実味があるのは統合でして、法科大学院には実例があります。桐蔭横浜大学と大宮法科大学院大学は、2011年8月8日、統合を発表します。同日付の「桐蔭横浜大学法科大学院と大宮法科大学院の統合について」という文書によると、両法科大学院は統合して「桐蔭法科大学院」として存続することとなっています。或る意味で会社の合併と同様であり、2016年3月をめどに統合作業を終わらせた上で、桐蔭横浜大学の法科大学院が存続する訳です。大宮法科大学院は2013年度から募集を停止しており、学生全員が修了すれば完全に閉校となります。

 しかし、募集停止→撤退を決めた法科大学院で、統合の例は桐蔭横浜大学法科大学院・大宮法科大学院だけです。他の募集停止を表明した大学は、統合という選択肢をとっていません。これには様々な事情があるのでしょうが、やはり様々に困難な問題・課題があるからでしょう。

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都営三田線途中下車(21) 三田駅(その3)

2014年10月12日 12時12分36秒 | まち歩き

日本電気(NEC)の本社の前に出ました。ここから三田線に乗らなければならない時間となったので、今日は駅の構内をとりあげてみましょう。

その前に、日本電気(NEC)の本社にある、幾何学模様のオブジェを見ます。これにはいかなる意味が込められているのでしょうか。あるいは、あまり深く考えてはならないものなのでしょうか。

 三田駅のA10出入口です。日本電気(NEC)本社の敷地内と言ってよい場所にあります。先のオブジェに合わせたようデザインで、地下鉄の駅の出入口とは思えない独特の雰囲気を醸し出しています。

 この出入口から近いのは三田線のホームですが、浅草線のホームにもつながっています。北総線の印旛日本医大駅まで乗ったらいくら払わなければならないのでしょうか。

 階段の踊り場なのですが、展示スペースかと思えるほどに広い空間です。これも、地下鉄の駅ではなかなかお目にかかれないでしょう。エスカレーターも設置されていますが、この時は定期点検中でした。

 東京の地下鉄の駅では、ホームまでの距離が案内されています。中には一駅分ほどあるのではないかというほど離れていて、乗り換えに時間がかかる所もあります(例、南北線永田町駅から銀座線・丸ノ内線赤坂見附駅までの乗り換え。半蔵門線ホームを経由するため、500m以上も歩かされます。丸ノ内線の新宿三丁目駅から新宿駅までのほうが短いくらいです)。三田駅の場合はそこまで乗り場が離れていません。

 改札口から三田線の西高島平方面の乗り場である4番線に向かいますが、この駅の構造上、4番線に向かうには改札口のある階から一つ下に降りて、白金高輪・目黒・東急目黒線方面の乗り場である3番線を経由しなければなりません。田園都市線の桜新町駅と同じような構造になっている訳です。

 何故、このような構造になっているのでしょうか。建設上の理由にもよるのですが、より大きな理由があります。「待合室」でも取り上げたことがあるのですが、この「ひろば」ではまだ述べたことのない、三田線の数奇な運命と深い関係があるのです。

 三田駅が開業したのは1968年のことですが、その時は浅草線だけの駅でした。三田線は、同年も終わりに近い頃に巣鴨~志村(現在の高島平)が開業しました(それ以前の経緯も複雑で興味深いのですが、ここでは省略します)。1972年に日比谷~巣鴨が開業し、翌年に三田~日比谷が開業します。これにより、三田駅が三田線の「起点」となりました。高島平~西高島平が開業したのは1976年のことで、以後、2000年に目黒~三田が開業するまで、三田線は三田~西高島平の路線として一般に認識されることとなります。

 上の段落を御覧になってお気づきになられたでしょうか。三田駅が「起点」であると、わざわざかぎ括弧を付けています。また、「三田線は三田~西高島平の路線として一般に認識されることとなります」と書かれています。

 実は、三田線の正式な起点は、長らく三田ではなく、泉岳寺とされていたのです。三田線として開業していない区間が含まれているのも妙な話なのですが、現在でも蓮根駅付近などの高架の橋脚にその証拠が残されており、泉岳寺を起点として何キロメートルというような表示がなされています。

 東京の地下鉄路線は、基本的に都市交通審議会答申に基づくものとなっており、三田線が当初6号線と称されていた理由ともなっています。この答申も何度か変更されており、その度に三田線の想定区間が変わるのですが、比較的よく知られているのは、東武東上線との乗り入れ、東急池上線・大井町線・田園都市線との乗り入れです。つまり、東上線の上福岡から和光市を通り、和光市からは新線を作って高島平に向かい、ここから三田線として巣鴨、大手町、三田を通って泉岳寺に出て浅草線と並行するような形で五反田を通り、桐ヶ谷(かつて池上線の駅がありました)付近から池上線に入り、旗の台から大井町線に入り、二子玉川から田園都市線に入り、長津田へ向かう、という計画だったのです。その関係で、高島平から和光市までは東武が建設することとなっていました。しかし、東武は有楽町線との乗り入れをする方向に、東急も半蔵門線との乗り入れをする方向に転換したため、三田線の直通計画は中止とされました。そのこともあり、高島平~和光市の路線免許は東武から東京都に譲渡されますが、結局、高島平~西高島平が開業しただけとなりました。また、三田から先については、港北ニュータウンまで建設される計画に変更されています(そのため、港北ニュータウンには痕跡が残っていると言われています)。

 結局、東武東上線との乗り入れは実現できなかったのですが、東急については、池上線・大井町線・田園都市線ではなく、目蒲線(目黒~田園調布)・東横線(田園調布~日吉)という形に変わって乗り入れが実現します。これは、先に記した港北ニュータウンまでの建設計画の故でしょう。こうして、2000年より、三田線は三田から目黒まで延長され(但し、目黒~白金高輪は東京メトロ南北線と共用。東京メトロが第一種鉄道事業者、東京都交通局が第二種鉄道事業者)、目黒から目黒線に直通することとなったのです。

以上に記したように、三田駅は1976年から2000年まで三田線の折り返し駅でした。そのため、現在でも御覧のような簡素な案内板が残されています。勿論、現在は意味をなさない案内板です。

 4番線ホームに着きました。かなりのカーブを描いていることがわかります。計画が何度も変更された三田線の姿が示されているような気がします。白金高輪駅まで、このようなカーブが続きます。私は、これから西高島平行きに乗ります。

 さて、「ひろば」に移った「都営三田線途中下車」シリーズですが、白金台、白金高輪、芝公園、御成門、大手町が残っています。次は何処を取り上げようかと迷うところです。そして 、いつ完結させようかと考えています。

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都営三田線途中下車(21) 三田駅(その2)

2014年10月10日 09時55分40秒 | まち歩き

 都営地下鉄三田線および浅草線の三田駅の周辺を歩いています。地上からではわかりにくいのですが、田町駅のそばの国道15号線の下にあるのは浅草線のホームであり、三田線のホームはほぼ日比谷通りの下にあります。そのためか、三田線のホームはカーブを描いています。

 芝五丁目交差点で、国道15号線から日比谷通りが分岐します。東京箱根駅伝では、往路が日比谷通り→国道15号線(1区)、復路が国道15号線→日比谷通り(10区)となりますから、この交差点は1月2日および3日に全国で映ります。

 同じ交差点で、左側が日比谷通りです。三田線は大手町までこの道路の下を走ります。東京の地下鉄の中でも数奇な運命をたどった同線ですが、その話は「待合室」で何度か記しましたし、その3で再び記すことといたしましょう。この駅にも深い関係があるためです。

芝五丁目交差点のそばに、港区立勤労福祉会館があります。裏に都営アパートがあり、さらに区立の保育園もあります。駅からも近いので、住む場所としてはよいかもしれません。

東京都港区芝五丁目18番の海抜は3.6メートルです。田町駅の芝浦口から南東に少し歩けば運河を渡ることになりますし、芝浦ふ頭も近いので、意外に高いという気もします。

 勤労福祉会館の上は都営アパートでしょうか。このように、地上に近い部分を何らかの施設とし、それより上の階をアパートにするというのは、古い都営住宅ではよく見るところです(例、都営バスの渋谷営業所や早稲田営業所)。

 勤労福祉会館から日比谷通りを北上すると、再び三田駅の出入口です。こちらからは三田線のホームのほうが近く、浅草線の乗り場までは時間がかかります。こちらは海抜3.4メートルでした。完全に平らな土地など、そう滅多にあるものではないのかもしれません。

 NECこと日本電気の本社の前に着きました。芝五丁目です。この本社の周囲に、三田駅の出入口が集中しています。富士通ほどではないとはいえ、この会社も川崎市とは浅からぬ縁にありまして、南武線の向河原駅の前には玉川事業所があります。武蔵小杉の乱開発(このように表現してもよいでしょう。) より前には、中原区内でも屈指の高層建築物でした。また、高津区内で最も高い建物(マンション)はKSPの真向かい、久本三丁目にありますが、そこも10年ほど前まではNECの事業所でした。また、高津区北見方には日通工の本店・事業所がありましたが、後にNECインフロンティアとなり、現在はNECプラットフォームズとなっています。

 NECと言えば、ワードプロセッサーの「文豪」、PC-98シリーズが有名です。しかし、私はどちらも使用したことがありません。学部生時代から院生時代まで使用していたワープロはパナソニックのU1-PROシリーズ、パソコンはパナソニックのウッディシリーズに始まり、東芝(この会社も川崎市と深い縁にあります)のダイナブック、ソニーのバイオ、そしてアップルのマッキントッシュを購入してきました。

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皆既月食をコンパクトデジタルカメラで撮影してみました

2014年10月08日 20時01分57秒 | 写真

今日(2014年10月8日)、皆既月食が見られるという話を午前中に知りました。そこで、うちの近所で撮影してみました。

19時半頃に何枚か撮影してみました。撮影モードを何回か切り替えて、ようやくそれなりの(?)写真ができました。ちょうど、月が地球の影に隠れて暗さがピークに達した頃かもしれません。

ズームをかなりきかせて撮影してみました。すぐにトリミングをしていますので、拡大するとかなり粗い写り具合に見えるかもしれません。

ちなみに、使用したカメラはSONY Cyber-shot DSC-WX100です。2012年6月に梶ヶ谷で購入してから、メイン機として写真および動画の撮影に活用しています。

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