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ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

ここは溝口二丁目なのですが

2017年09月05日 14時24分57秒 | まち歩き

 旧大山街道の宿場町にして高津区の中心地である溝口(みぞのくち)では、現在、住居表示が施行されており、一丁目から六丁目まで置かれています。大まかにいえば、次のようになります。

 一丁目:JR南武線武蔵溝ノ口駅、ノクティ、ドンキホーテなどがある所。田園都市線より東側で、二ヶ領用水の南側。

 二丁目:東急溝の口駅、西口商店街、栄橋交差点、溝口神社がある所。田園都市線より西側で、二ヶ領用水の南側。

 三丁目:二ヶ領用水の北側で、国道409号(府中街道)の南側。今年5月上旬まで帝京大学医学部附属溝口病院があった所。灰吹屋薬局の本社、川崎溝ノ口郵便局がある所。

 四丁目:国道409号(府中街道)の北側で、高津警察署、高津小学校、高津図書館がある所。高津小学校の前の交差点が三丁目および五丁目との境界という目安。ちなみに、高津駅は二子四丁目に所在。

 五丁目:国道409号の北側で国道246号の東南側。玉川・溝口ハウジングステージ、東急バス高津営業所がある所。

 六丁目:国道246号の西北側。ルームズ大正堂玉川店、トイザらス、川崎市総合教育センターがある所。

 さて、私は、時々、溝口一丁目まで歩きます。その途中、コースの取り方によって二丁目を歩くことも少なくありません。バス通りを少し離れると静かな場所で、自動車の走行もあまりなく、歩きやすいのです。

 そのような訳で、十字屋の近くの交差点から二丁目を、北東の方、二ヶ領用水に架かる曙橋に向かって歩いていますが、上の写真を御覧になって、何かがおかしいと思いませんか?

 おかしいと思われた方はお気づきのことでしょう。二丁目なのに「四丁目一〇〇番街」という表示があるのです。短い上に商店の数は少ないのですがここも商店街です。川崎市のサイトの中にある「商店街一覧(平成24年度時点)」(http://www.city.kawasaki.jp/280/cmsfiles/contents/0000065/65402/shoutengai-itiran.pdf)にも「溝ノ口四丁目100番街商店会」として掲載されています。

 それにしても、二丁目なのにどうして四丁目なのでしょうか。

 理由はよくわかりません。二丁目なのですから修正すればよいと思ったりもするのですが、全く変更も何もされていません。

 ただ、この「溝ノ口四丁目100番商店街」は、溝口に住居表示が施行されるよりも前からこの名前でした。溝口一丁目の一部について住居表示が施行されたのは1997年9月1日、一丁目および六丁目の一部と二丁目から五丁目まで住居表示が施行されたのは1997年11月25日です。住居表示が施行されるまで、溝口には▲丁目という所がなかったのです(この点は、三丁目までありながら住居表示未施行の小杉町と異なります)。私が大学生、大学院生であった頃(1980年代後半から1990年代前半)、この辺りが何番地であるか覚えていませんが、既に「四丁目一〇〇番街」であったのです。

 早々と「四丁目」を名乗ったことには、何らかの理由があると思われるのです。

 奥のほうに見える信号機の所がバス通りとの交差点で、「四丁目一〇〇番街」はその交差点から二ヶ領用水の曙橋までとなっています。

 ちなみに、実際の四丁目には高津駅のそばのマクドナルドから山中屋、高津警察署、川崎信用金庫高津支店の辺りまで「高津一番街」という商店街があります(府中街道をはさんで反対側も「高津一番街」です。なお、この商店街は二子四丁目・五丁目にも伸びています)。

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大分市内の駅でも無人駅化が進められるか

2017年09月02日 11時41分29秒 | 社会・経済

 私は1997年4月から2004年3月まで、大分大学教育学部に勤務していました。そのため、大分市内に住んでおり、敷戸駅をよく利用していました。また、2002年(私が助教授になった年です)の3月下旬に大分大学前駅が開業しており、この駅も時々利用していました。

 そのため、毎日新聞社のサイトに、今日(2017年9月2日)の9時付で掲載された「JR九州 遠隔操作SSSへ 大分市内8駅『無人化』検討」(https://mainichi.jp/articles/20170902/k00/00m/040/097000c)という記事に目が向きました。

 見出しに登場するSSSは、2015年に香椎線の大部分の駅について採用された「スマートサポートステーション」の略です。「遠隔操作によって乗客の安全を見守る」というシステムです(似たようなシステムは他の鉄道会社でも採用されているはずです)。このシステムの採用により、香椎線の有人駅は香椎と長者原のみとなっています。2017年には筑豊本線の若松駅など11駅で採用されており、無人駅化、または駅員配置時間の短時間化(若松駅などでは朝の時間帯のみ配置)が進められました。

 今回、大分市内の駅で無人化が検討されているのは、次の通りです。

 日豊本線:牧、高城、鶴崎、大在、坂ノ市

 豊肥本線:敷戸、大分大学前、中判田

 但し、あくまでも検討であり、時期などについてはまだ決まっていないとのことです。

 いずれも業務委託駅ですが、大在駅などは1日あたりの利用客数が2000人を超えています。また、鶴崎駅と中判田駅は特急停車駅です。それでも無人化が進められるのは、SUGOCAなどのICカード利用者が増えていること、株式上場会社になったとはいえJR九州の鉄道事業は赤字が続いていること、などの理由があります。

 既に、JR九州の全567駅のうち、297駅が無人駅となっていますが、さらに無人化が進められることとなるでしょう。仮に上の8駅について無人化が進められると、大分市内での有人駅は大分駅、西大分駅および南大分駅のみになります。敷戸駅の開業当初は無人駅でしたので、再び無人駅に戻るということになります。また、豊肥本線については大分駅を出ると次の有人駅は三重町駅に、日豊本線については大分駅を出ると次の有人駅は臼杵駅に、ということになりそうです。

 そう言えば、敷戸駅では、駅員が配置されている時間が朝の7時台から夜の20時台までであったと記憶しています(何時何分から何時何分までという細かいことについては覚えていません)。大分大学駅も同様です。時間帯によっては無人駅と同様になったので、乗降の仕方が変わったりしていました(現在はどうかわかりませんが)。

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阪急電鉄が伊丹空港線の建設を検討しているようです

2017年09月01日 20時36分50秒 | 社会・経済

 たまたま、Yahoo! ニュースで毎日放送のニュースを見ました。「阪急が『伊丹空港線』検討 電車で梅田から直結に」というもので、今日の午後に報じられたようです。

 阪急宝塚線の曽根駅から大阪国際空港まで、およそ3.5キロメートルで、地下路線ということのようです。

 ただ、実現性がどの程度なのかはわかりません。曽根駅は高架駅ですが、この駅の周辺を除けば地下路線であるということになれば「事業費は数千億円規模になるとみられ」るそうですから、それだけの負担を将来の長きにわたって背負うだけの体力があるかどうかが問われるでしょう。

 勿論、実現すれば大阪国際空港から梅田駅までの直通運転が行われるでしょうから、非常に利便性は高くなります。現在は、大阪モノレールに乗って蛍池駅で宝塚線に乗り換える、または千里中央駅で北大阪急行線・御堂筋線に乗り換えるという方法で梅田に行けますが、どちらにしても乗り換えは必要です。前者のほうが運賃は安くなるはずですが、宝塚線の特急「日生エクスプレス」および通勤特急は蛍池に停まりません(もっとも、特急・通勤特急が運行される時間帯は、基本的に平日の朝夕ラッシュに限られます)。後者のほうは、御堂筋線を利用するために新大阪、淀屋橋、難波、天王寺にも行けますが、大阪モノレール、北大阪急行、大阪市営地下鉄と3社(?)にまたがるため、運賃は高くなります(北大阪急行の運賃が安いのは救いですが)。

 しかし、実際のところ、阪急にそれだけの体力があるのかどうかがわかりません。新大阪連絡線の二の舞にならないかと懸念される向きもあるかもしれません。1960年代に淡路〜新大阪〜十三(「じゅうそう」と読みます)、および新大阪〜神崎川の新路線が計画され、建設の準備も進められましたが、結局、淡路〜新大阪、および新大阪〜神崎川については廃止ということになりました。ちなみに、淡路〜新大阪はJR西日本のおおさか東線の一部として、近い将来に開業することとなっています。

 他方、新大阪〜十三については、阪急電鉄が路線免許を維持してきました。最近になってなにわ筋線の方針がかなり固められたこともあり、十三から新大阪までは開通の可能性もありますが、関東地方から見ている者としては、新大阪連絡線となにわ筋線との関係が今ひとつ明らかでないのです。

 もう一つ、阪急の体力ということで気になるのは、北神急行電鉄の債務です。建設費が高かったこと、その後の金利負担が重かったこと、運賃が高かったこと、輸送量が伸び悩んだことから、2002年、北神急行電鉄は北神線を神戸高速鉄道に譲渡しました。その結果、北神急行電鉄が第二種鉄道事業者、神戸高速鉄道が第三種鉄道事業者になっています。この時に神戸高速鉄道は兵庫県、神戸市および阪急から融資を受けています。また、神戸高速鉄道は、譲受時から20年間、北神線の鉄道施設を保有しますが、その後は阪急が残資産および残債務は全て引き継ぐこととなっています〔以上については、2006(平成18)年3月17日付の神戸市監査委員「財政援助団体等監査結果報告〔神戸高速鉄道株式会社〕」(http://www.city.kobe.lg.jp/information/inspection/office/kekka/img/18-1-2.pdf)を参照しました〕。

 2002年の北神線譲渡から15年が経過します。残るはあと5年ですが、債務はどの程度まで減っているのでしょうか。当然、企業としてはそれなりの成算があるからこそ、伊丹空港線の計画も立てることができるのでしょう。

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