ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

横浜市交通局3000形3411F

2024年03月12日 07時00分00秒 | 写真

今回は、横浜市営地下鉄ブルーラインを走る3000形の3441Fです。あざみ野駅で撮影しました。

 3000形は、横浜市営地下鉄1号線・3号線、通称ブルーラインのための車両です。製造初年は1992年で、デビューも同年です。1000形(なかなかの美形にして個性的なデザインの電車でした)、2000形に続くもので、元々はブルーラインの延伸に伴う輸送増強用のための車両でした。増備を重ねるうちに、1000形および2000形を置き換えるようにもなっています。また、ブルーラインには4000形も運用されていますが、私はまだ見たことすらありません。

 上の写真は3411Fで、普通踊場行きとしての発車を待っているところです。上永谷駅で快速湘南台行きの待ち合わせをします。

 私は一度も利用したことがないのですが、ブルーラインでは快速が運行されています。通過駅は北新横浜、岸根公園、片倉町、三ツ沢上町、三ツ沢下町、高島町、伊勢佐木長者町、阪東橋、吉野町、蒔田、弘明寺、港南中央、下永谷、舞岡です。つまり、あざみ野から新羽までの区間と、戸塚から湘南台までの区間では各駅に停車する訳です。

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人知れず、世田谷区東玉川2丁目に

2024年03月10日 00時00分00秒 | まち歩き

 今から20年ほど前のこと。或る本を読んでいたら、世田谷区東玉川2丁目に、廃駅の跡が残されているという話が書かれていました。私が全く知らない場所でもないので、一度は見に行こうと思っていました。場所も或る程度の見当は付いています。しかし、車で行くことは楽であっても、その場所に停めることはできません。

 ようやく、この辺りを歩く機会に恵まれました。そこで、廃駅の跡を探します。知る人ぞ知る、と記すというより知名度が高いというべきでしょうか。Googleの地図でも検索することができます。環状8号線の近くで、田園調布駅の北側で東急東横線および東急目黒線の上を通り、少し歩くと左側に一方通行の道が分岐します。中原街道への近道で石川台駅のほうに抜けられる道です。その道を少し歩くと、あまり目立たない石碑があります。

 この石碑こそ、廃駅の跡です。というより、これくらいしか駅が存在していたことを示すものはありません。石碑には「新奥沢駅跡」と記されています。

 東横線および目黒線からは少し離れていますし、両線に新奥沢駅があったという事実は聞いたこともありません。石碑から北東のほうに目黒線の奥沢駅がありますが、新奥沢駅跡とは何の関係もないようです。

 石碑のそばに何の説明板もなく、いつ、誰がこの地に設置したのかも全く書かれていないくらいなのでわかりにくいのですが、実は、この「新奥沢駅跡」こそ、悲劇の池上電気鉄道新奥沢線の終点、新奥沢駅があった場所なのです。

 新奥沢線は、現在の東急池上線を建設した池上電気鉄道が1928年に開業させた路線です。起点は雪ヶ谷駅(1933年に調布大塚駅と統合されて移設され、後に現在の雪が谷大塚駅となる)で、当初は国分寺方面までの路線として計画されました。そこで、暫定的に新奥沢駅までのわずか1.5キロメートル足らずの路線として開業しました。途中、田園調布学園の近くに諏訪分駅が設けられており、当初は複線だったという話もありますが、すぐに単線化されました。

 池上電気鉄道は、現在の目黒線および東急多摩川線を建設した目黒蒲田電鉄と競合関係にありました。おそらく、新奥沢線は目黒蒲田電鉄の牙城を切り崩すための先鋒と考えられていたのではないでしょうか。しかし、本線たる池上線を建設する段階で起点および終点を変更する、開業時に電車が間に合わないということで駿遠電気(静岡鉄道の前身)から電車を借りる、五反田駅から白金方面への延長を計画して五反田駅を山手線の上に作ったはよいが計画を中止するなど、迷走していたような池上電気鉄道です。新奥沢線を建設しても、国分寺方面にまで路線を伸ばすことは無理な話でした(そもそも、本当に国分寺方面に路線を建設するつもりであったのでしょうか)。奥沢には既に目黒蒲田電鉄の目蒲線が通っていますし、もう少し足を伸ばせばやはり目黒蒲田電鉄が建設した二子玉川線(現在の大井町線の自由が丘駅から二子玉川駅まで)が建設中でした(1929年に開通)。

 二子玉川線の建設には玉川全円耕地整理組合も関係していたようです。二子玉川線の建設、さらに尾山台駅周辺の歴史を紐解くと、必ず玉川全円耕地整理組合が登場します。それだけ重要な存在であった訳で、その組合と目黒蒲田電鉄との間に深い関係があった訳です。もとより、目黒蒲田電鉄の総帥、五島慶太の手腕と才覚を忘れてはなりません。

 それに対し、池上電気鉄道にはそのようなものがありません。むしろ、新奥沢線を延伸するならば、玉川全円耕地整理組合が進めていた耕地整理事業や土地区画事業の障害になりかねなかったでしょう。仮に新奥沢線を新奥沢駅から国分寺方面に延伸すると(具体的にどのようなルートが想定されていたのかはわかりませんが)二子玉川線と並行してしまう可能性があったからです。目黒蒲田電鉄の地盤を侵食することにもなる訳ですから、何としても新奥沢線の延伸を阻止しなければならなかったのでした。

 結局、目黒蒲田電鉄は1934年の秋に池上電気鉄道を合併します。そして、1935年の秋に、目黒蒲田電鉄は新奥沢線を廃止します。営業していたのは僅か7年程です。そして、新奥沢線の痕跡は「新奥沢駅跡」の石碑くらいしか残されていません。

 石碑が立っている場所はマンションの敷地です。ここに駅があったことはすぐにわかるとしても、ただそれだけであって、他に何も残されていません。付近にはマンションが何軒かあり、近くの交差点まで奥沢駅からの商店街が伸びていますが、この商店街と新奥沢駅とは関係がなかったかもしれません。石碑は、歩いてようやく見つかるほどに目立たないものなので、すぐそばの道路を何度も車を走っていた私も気づけなかったのです。

 ここから石川台駅のほうに向かうと東玉川交差点で、奥沢駅から伸びてきた自由通りと交差します。東玉川交差点を直進すると奥沢小学校、さらに東玉川小学校の前を通って石川台駅の近くに出ます。同交差点を右折して自由通りを進むと雪が谷大塚駅の近くに出ます。

 おそらく、新奥沢線は環状8号線と自由通りとの間を通っていたのでしょう。今となっては完全な住宅街で、こんな所に電車が通っていたとは信じられないくらいですが、一方通行の道路が環状8号線と自由通りとに並行するように通っており、私が歩いてきた、田園調布学園中等部・高等部の真裏にある細い道が新奥沢線の跡のようです。単線であれば小型の電車くらいは走ることができる程度の幅です。もっとも、新奥沢線が廃止されてから宅地化がさらに進んだと考えられるので、廃線跡が残っていないのも当然のことでしょう。一説によると、諏訪分駅の跡は道路の形状でわかるそうですが、今回はその辺りを歩いていません。

 この石碑のすぐ右の道路を真っ直ぐ進むと環状8号線、田園調布中学校の真向かいに出ます。環状8号線が区境になっており、手前が世田谷区東玉川2丁目、奥が大田区田園調布2丁目です。

 今回、私は田園調布駅の東口、六間通りを歩いていて「新奥沢駅跡」の石碑の存在を思い出しました。古書店の田園りぶらりあが既に閉店しており、残念に思っていると、時間帯のためか、田園調布学園の生徒たちが帰宅のために駅に向かっていました。「そうだ、田園調布学園の近くに諏訪分駅があったらしいから、そこから北西に向かえば新奥沢駅の跡にたどり着ける!」と頭に浮かび、この20年ほどの思いを胸にして歩いたのでした。

 但し、田園調布駅からでは少し距離があります。六間通りを歩いたのでは遠回りでして、駅の改札口を出たら東横線および目黒線に沿うように北上して環状8号線に出て、歩道橋を使って道の反対側に出て、蒲田方面に歩きます。環状8号線が大きく右に曲がる箇所を左折し、一方通行の道路に入って奥沢小学校、東玉川小学校のほうに歩けば着きます。

 初めて行かれる方は、奥沢駅から歩くほうがよいでしょう(急行通過駅ですが)。同駅から自由通りを南下し、奥沢区民センターの手前を右に入ります。そこが奥沢親交会という商店街になっているので歩き続けます。お好み焼き屋およびライドシステムという会社が入っているビルが面している交差点を右に曲がると、環状8号線からの一方通行の道路です。すると、左側にコインランドリーが見えてきます。その隣のマンションの駐車場の所に石碑があります(交差点があるのでわかります)。

 前述のように、Googleの地図でも検索できますから、それを頼りにするほうがよいかもしれません。

 

 〔追記(2024年3月15日)〕

 或るルートで、石碑の設置者について情報を得ました。匿名の方でした。この場を借りて御礼を申し上げます。

 「新奥沢駅跡」の石碑は、玉川地域活動団体連絡協議会が1984年に設置したとのことです。ここの他に、中耕地駅跡、玉電用賀駅跡など、14年間をかけて173本を設置したというのですが、同協議会は既に解散しています。

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再び、二子新地駅付近の甍

2024年03月09日 15時00分00秒 | まち歩き

二子新地駅付近を散歩していた時に、久しぶりに通りかかりました。

残念ながら休業日でした。

この後、高津駅まで歩き、珈琲の詩でコーヒーとシナモントーストを楽しみました。BGMはモーツァルトの弦楽四重奏曲です。

カウンターの近くのホワイトボードに書かれている譜面の曲を当てるとよいことがありますが、今回は曲がわからなかったのでパスしました。

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東京メトロ1000系1125F

2024年03月07日 16時00分00秒 | 写真

日本で最初に開業した地下鉄路線の東京メトロ銀座線を走る電車は、現在、1000系に統一されています。

何度見てもどこかに野暮ったさがあるデザインです。中途半端なレトロ調はやめてほしかったものですが……。

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地方交付税についての事項要求

2024年03月06日 07時00分00秒 | 国際・政治

 今更ながらの話ですが、かつて「地方交付税法第6条の3第2項の解釈と運用」という論文〔早稲田法学第95巻3号第2分冊(2020年)に掲載)を書いた者として、メモ程度に記しておきます。

 2023年8月31日に「令和6年度総務省所管予算概算要求の概要」が公表されました。その3頁に、次の記述が見えます。

 「令和6年度において、引き続き巨額の財源不足が生じ(1.8兆円)、平成8年度以来29年連続して地方交付税法第6条の3第2項の規定に該当することが見込まれることから、同項に基づく交付税率の引上げについて事項要求する。」

 これはかなり異常なことではないでしょうか。30年近くも同じ状態が続いているのです。もう、地方交付税制度、税源配分を初めとした地方税財政制度全般についての再構築が求められるべき時に来ていると言えます。

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非常に気になる

2024年03月05日 07時00分00秒 | デジタル・インターネット

 Yahoo! Japan Newsに「新型『MacBook Air』登場 M3チップ、外部出力は2画面までOKに 16万4800円から」(https://news.yahoo.co.jp/articles/0141e7d463c8da0acab2485ab88334114660cf27)という記事が掲載されていました。元はIT media NEWSの記事であるようです。アップル社のサイトでも紹介されていました。

 2019年4月1日に二子玉川の蔦屋家電でスペースグレイのMacBookを購入してから、大学の講義などでMacBookを使用してきました。12インチの画面で軽く、使い易いので重宝していますが、非力である点は否めません(それでも同じ画面サイズのWindows機よりはるかに高い性能ですが)。そのため、MacBook Airを購入しようかと考え、今まで渋谷、二子玉川、溝口、梶ヶ谷、青葉台などで実機を見て、検討を続けてきました。13インチの画面のものを購入したいと思っていたのです。

 そこに来て新型が登場します。3月8日発売ということなので、実機を見た上で価格、スペックなどを検討したいと考えていますが、仕事道具であるため、購入を前提にしたいのです。2014年3月に購入したMacBook Proの13インチを処分し、MacBookは今後も使用しますが、新型のMacBook Airを講義用などとして活用しようという訳です。

 検討すべき事項は色々とありますが、SSD、メモリなどをどうするかが重要でしょう。私は、これまで、現在のメイン機であるMacBook Proの16インチを除き、カスタマイズをしたことがありません。あくまでも持ち歩き用であってメイン機ではないと割り切っていたからです。しかし、実際に外で使ってみると、或る程度のカスタマイズをしたほうがよいことがわかりました。時にはメイン機の代わりを務めさせなければならないこともありますし、2024年度もオンライン併用講義などをしなければならないかもしれません。ZoomやWebexを使う際には、それなりに高い性能であることが求められます。その意味で、新型ののMacBook Airは最有力候補となりうる訳です。

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弘南鉄道大鰐線の廃止を求める声が

2024年03月04日 20時30分00秒 | 国際・政治

 たまたま、仕事の合間にYouTubeで鐵坊主さんの「暇坊主チャンネル」を見て知ったことです。

 このブログでも何度か取り上げた弘南鉄道大鰐線について、弘前市議会で廃止を求める発言が相次いだようです。東奥日報社が2024年2月29日付で「大鰐線廃止求める発言相次ぐ/弘前市議会」(https://www.toonippo.co.jp/articles/-/1732562)として報じていますが、Web会員でないと全文を読めないため、Yahoo! Japan Newsに同日付で掲載された「『弘南線(弘前-黒石)に集中すべき』弘南鉄道大鰐線廃止求める発言相次ぐ 青森・弘前市議会」(https://news.yahoo.co.jp/articles/80d5b4b29c0eba8db53c0a57aa65bebc0ada2945)を参照しましょう。

 別記事で記したように、大鰐線は当初から弘南鉄道の路線であった訳ではなく、弘前電気鉄道という会社が1952年に開業させた路線であり、1960年代には苦境に陥り、廃止の論議が生じました。1970年に弘前電気鉄道は解散し、大鰐線は弘南鉄道に引き継がれ、現在に至っています。詳しいことはわかりませんが、弘南線が黒字を計上した年が多かったのに対し、大鰐線は赤字を計上し続けていたようで、内部補助で存続してきたようなものでした。しかし、弘南線も2017年度に赤字に転落しています。それよりも前、2013年6月下旬に弘南鉄道社長が大鰐線の廃止を表明しました。これは同月の株主総会における議題にあげられていなかったことでしたが、当時から大鰐線の廃止が意識されていたことには注意が必要です。

 さて、弘前市議会に話を移しましょう。2月28日の一般質問で、弘南鉄道が大鰐線を廃止して弘南線の維持に経営資源を集中すべきであるという趣旨の発言が相次ぎました。これは、おそらく、2月27日に弘南鉄道が青森県に対して追加財政支援を要請したことを受けたものと思われます。

 御記憶の方も多いと思われますが、2023年8月に大鰐線で脱線事故が発生し、9月25日には線路の不具合を理由とする弘南線、大鰐線両線の運休が始まりました。弘南線の運休は11月6日まで続きました。一方、大鰐線の津軽大沢駅から中央弘前駅までの区間で運転が再開されたのは11月20日、同線の全線での運転再開は12月8日でした。既にこの頃には大鰐線の存廃問題もかなり議論されてきていたようで、朝日新聞社2023年11月7日付「1カ月以上の全面運休、弘南鉄道が運転再開も課題は山積」(https://www.asahi.com/articles/ASRC67SQXRC6ULUC00R.html)には大鰐線の赤字額が約9700万円であり、「沿線5市町村でつくる活性化支援協議会は、路線存続のため21年度から5年間で同社に約5億1100万円の財政支援をしている。だが、26年度以降も継続するかは、今年度の経営状況などを踏まえ、来春から検討するとしている」、「弘前市の桜田宏市長は10月の定例会見で、整備コストが比較的安いライトレールも例に挙げ、『あらゆる可能性を視野に議論が必要だ』と話した」と書かれています。

 市議会議員の発言には「安全管理体制が危機的状況だ」、「公共交通機関の責務を果たせるだけの体力や組織力があるのか。2路線両方は無理で、選択と集中が必要ではないか」というものがあったようです。一方、市長は、2024年度中に大鰐線の存廃に関する判断が行われることを踏まえて「同社の改善状況を注視し、市民の声を平等に拾い上げた上で、市民の足がどうあるべきか沿線自治体などと協議を重ねたい」、「市民の交通手段である公共交通をどうするのか、という問題だ。今あるものを生かすのか、代替手段があるのか。実現可能性も含めた深い議論が必要だ」などと発言しました。また、これは市議会においてではなく、取材に対しての発言であるようですが、市長は大鰐線の廃線の影響が大きいとも述べたようです。2023年に弘前市民の4000人を対象としたアンケートで、仮に大鰐線が廃止されると高齢者の移動手段がなくなるという回答が87%に達したことが理由となっています。また、大鰐線には弘高下、弘前学院大前、聖愛中高前、義塾高校前といった駅があることからすれば、通学のための手段も問題となるでしょう。のと鉄道能登線が廃止されてバス転換されたことで高校生の通学などに悪影響が出たことも想起しておく必要はあります。

 とは言え、大鰐線の廃止は現実的に最も大きな選択肢であると思われます。この路線は、起点の大鰐駅から義塾高校前駅までJR奥羽本線と完全に並行しており、義塾高校前駅から中央弘前駅まではJR奥羽本線から少し離れた所を走っているものの、並行路線と言えます。また、終点の弘前中央駅は大鰐線のみの駅であり、弘南線の起点でもある弘前駅から1キロメートル以上離れています。弘南鉄道の路線となる前に廃止の議論が出ており、しかもその原因の一つが弘南バスとの競争に敗れたことという歴史を考えると、存続してきたことが一つの驚異とも言えます。

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和歌山県高野町で法定外税の導入か

2024年03月02日 15時00分00秒 | 国際・政治

 ここに来て、法定外税の導入への動きが活発になってきました。地方分権一括法が制定されてから25年ほどが経過しようとしている中で、注目すべき潮流と言えます。

 今日(2024年3月2日)も和歌山県から法定外税の導入に関する話が入ってきました。読売新聞社が、今日の6時付で「高野山観光客に『入山税』…高野町、観光公害対策で導入方針」(https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20240301-OYO1T50054/)として報じています。

 高野町と聞いてすぐに高野山を思い起こす方は多いでしょう。そう、その高野山に関係のある話で、高野町は「入山税」として観光客から徴収することなどを検討するようです。実際に「入山税」となるかどうかはわかりませんが、法定外税であることに変わりはありません。

 高野町が3月1日に発表したのは、法定外税の導入の方針であり、具体的なことはこれから決めるそうですが、上記読売新聞記事に書かれているところによれば「高野山への観光客は年間約150万人で、盆や紅葉の時期は、町人口の約10倍にあたる2万~3万人が訪れる日もある。駐車場の警備や公衆トイレの管理だけで年約4000万円かかり、町と高野山真言宗・総本山金剛峯寺で負担しているという」とのことです。

 私が気になるのは、信仰の自由との関係です。勿論、賦課徴収の仕方にもよります。仮に金剛峯寺の拝観料に上乗せする形であるとするならば、金剛峯寺が特別徴収義務者となるので、かつての奈良県文化観光施設税と京都市古都保存協力税について生じた問題が再燃する可能性もないとは言えません(場合によっては政教分離原則も問われるでしょう)。

 しかし、判例は、寺社を特別徴収義務者とし、拝観者に対して直接消費税を課することについて、一貫して合憲・合法とする傾向にあります。この点については、奈良地判昭和43年7月17日行裁例集19巻7号1221頁(奈良県文化観光施設税訴訟)、京都地判昭和59年3月30日行裁例集35巻3号353頁(京都市古都保存協力税訴訟一審判決)および大阪高裁昭和60年11月29日行裁例集36巻11・12号1910頁(京都市古都保存協力税訴訟控訴審判決)を御覧ください。

 金剛峯寺の理解が得られるならば、高野町の法定外税である「入山税」は実現する可能性は高いでしょう。

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東急5000系5107F

2024年03月01日 00時00分00秒 | 写真

今回は、田園都市線に所属する5000系の5107Fです。回送として高津駅(DT09)1番線を通過するところを撮影しました。

この編成の側面にある表示器を見ると、種別表示と行先表示が一体になっています。最初期に製造された編成でないことがわかります。

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