洗足池
新宿、歌舞伎町の北側、新大久保駅にも近い場所に鎮座する稲荷鬼王神社。
承応二年(1853)に諏訪神社境内の諏訪神社から勘定した大久保村鎮守の稲荷神と、
宝暦二年(1752)に熊野から勧請された鬼王権現を天保二年(1831)に合祀した神社。
熊野の鬼王権現が現存しないことから、唯一の鬼王権現社となっています。
新宿の区役所通りの風林会館あたり。
南北に坂道があって、ちょうど区役所通りと交差するこの道が
かつて川であったことを思わせる。
沢蟹が多く棲んだことから蟹川と呼ばれた神田川の支流のひとつである。
たばこと塩の博物館。
かつては渋谷にあった同博物館も、現在はスカイツリーの近くで開館しています。
もう多くの親御さんが「専売公社」なんて言葉を知らない世代なんですよね…。
赤坂のど真ん中、一ツ木通りに面した赤坂不動尊。
天安二年(858)の開山で、越後の出雲崎の漁師が不動明王像を見つけ、祀ったのが最初と言われています。
その後、平安時代末期に下総の香取に移転し、慶長五年(1600)、本尊からの霊夢によって現在地に移転し、江戸時代を通じて紀州徳川家の祈願時となったそうです。
創建年代は不詳。
承応三年(1654)、天海僧正の弟子であった晃海僧正が夢でお告げを受け、廃絶していた稲荷社を再興し、寛永寺の守護神として奉斎したとされています。
慶応四年(1868)の上野戦争で激戦地となり廃絶したものの、明治六年(1873)に再興されました。
王子神社の境内社である関神社(關神社)は、歌人であり琵琶法師でもあった蝉丸を祀る神社で
逆毛であるために嘆き悲しんでいた姉君のために、蝉丸が鬘を考案したことから、美容や毛髪の髪として崇められています。
「関」の名称は蝉丸の
「これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」の逢坂関に由来しており
蝉丸が庵を結んだ逢坂山(滋賀県大津市)には、本社である関蝉丸神社があります。
旧川越街道上板橋宿の石神井川にかかる下頭橋(げとうばし)。
旅の僧が地面に突き刺した杖が芽吹いて大木となった「逆榎」があったからとも
川越城主が江戸への参勤の際に、江戸詰めの家臣がここまで来て頭を下げたからとも
橋のたもとで旅人から喜捨を受けていた六蔵という者の金をもとに石橋が架け替えられたからとも言われています。
石神井川右岸、江戸寄りには六蔵祠という、六蔵の遺徳を賛えた祠が建てられています。