葉山しおさい公園

2015年08月31日 | 
天皇陛下ご一家が、厳冬期にご静養のために訪れる葉山御用邸。
その葉山御用邸に隣接して、葉山しおさい公園があります。



葉山しおさい公園は、もともと岩倉具定らの別荘地であった場所で
大正六(1917)年に、当時1歳半であった澄宮(三笠宮崇仁親王)邸として買い上げ
2年後に竣工した御用邸の附属邸地でした。

(御車寄の残る博物館)

大正関東地震(関東大震災)で、御用邸本邸が損傷し修復中だった大正十五(1926)年八月、
大正天皇は、ご静養の甲斐虚しくこの附属邸地で崩御あそばされます。

(しおさい公園から御用邸まで、クロマツ林と海水浴場が続く)

即座に皇太子で摂政宮であった裕仁親王が駆けつけ
皇室典範に則り間も無く剣璽渡御の儀(剣璽等承継の儀)をこの地で行い
同日中に裕仁親王は第百二十四代天皇として践祚されました。

この、昭和のスタート地点となった場所が、昭和天皇が最初の吐血をされた六十二(1987)年に、
つまり昭和の晩年に、しおさい公園として開放されました。







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中台サンシティ

2015年08月30日 | 東京のお散歩
板橋区中台に三井不動産と旭化成による開発分譲の
大型マンション、サンシティがあります。

(サンシティの林)

もともとの地形を活かし、12.5万平米(東京ドーム3個分)にバーベキューのできる広場や
森林、せせらぎ、滝などを配し、ショッピングモールも併設するなど
自然と街との調和を図った贅沢な分譲マンションとなっています。

(人工の滝)

(地形を活かしたせせらぎ)

昭和五十二(1977)年の分譲開始なので、最近の高級マンションのような
オートロックセキュリティのエントランスなどではありませんが
板橋区の自治会組織もあり、「古い住宅街」の様相を呈しています。

(住居棟)

私が幼稚園生の頃、同じ組の園児何人かがサンシティに住んでいたそうで
亡き母の言葉を借りれば、
「サンシティに住んで、子供を淑徳幼稚園に通わせるのは、あの辺りではステイタス」
だったそうです(本当かなぁ…)

(自然の崖が残されている)

(滝と鹿威し)
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帰真園

2015年08月29日 | 東京のお散歩


二子玉川ライズに隣接して、世田谷区が管理する二子玉川公園があります。
ここはかつて、東急自動車学校やゴルフ練習場があった場所で
2009(平成二十一)年に自動車学校が移転したのち、
世田谷区によって整備された公園です。



多摩川河川敷と一体となっていて、富士塚を模した丘や
広場などが整備されています。

そんな中で目を引くのが、世田谷区初の回遊式日本庭園である帰真園。



ユニバーサルデザインを採用し、車椅子でも回遊できる庭園となっていて
多摩川の段丘をイメージした斜面と、多摩川をイメージした流れによって構成され
区の有形文化財「旧清水邸書院」を復原し池泉に配するという
日本文化の魅力を十分に引き出した作りになっています。



近隣にはインターナショナル・スクールもあり、
外国人(西洋人)居住者も多い土地柄。

この庭園で、日本の魅力をたくさん感じ取ってもらいたいですね。






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二子玉川園

2015年08月28日 | 東京のお散歩
二子玉川駅は、かつて二子玉川園という駅名でした。
これは、当地に玉川第二遊園地という遊園地があった名残で
遊園地閉鎖後もしばらく駅名はそのままでした。

(二子玉川駅)

遊園地は玉川電気鉄道(のちの東京横浜電鉄、現在の東京急行電鉄:東急)が開設したもので
昭和60年に閉鎖されました。
なお、ここが第二遊園地なのは、最初瀬田に遊園地が造られ、
そちらを第一としたためでした。

(玉川高島屋S・C)

遊園地閉鎖後はナムコ・ワンダーエッグや、いぬたま・ねこたまなどの施設となり
将来の再開発を見込んだ期間限定の施設として運営されました。
ナムコはその期間限定の予定通り20世紀最後の日に閉園、
いぬたま・ねこたまは、その後も営業しましたが、6年後に閉園しました。

(二子玉川ライズ)

現在は、東急グループによる複合施設「二子玉川ライズ」として
東急沿線民以外の客も集めるスポットとなっています。

(二子玉川公園)
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多摩川園(田園調布せせらぎ公園)

2015年08月27日 | 東京のお散歩
東急線多摩川駅の目の前に、田園調布せせらぎ公園という公園が広がっています。

(多摩川駅)

(駅出口の対面にあるせせらぎ公園入口)

ここは昔、田園調布を開発した田園都市株式会社が作った多摩川園という遊園地でした。
遊園地の北側には、キン肉マンでもお馴染み「田園コロシアム」もあり
最寄り駅である東急線の駅も「多摩川園」でした。(現在は多摩川駅に改称)

(田園コロシアム付近を走る東急線)

遊園地閉園後はテニスコートとなりましたが、その後テニスコートも閉鎖。
崖地や原っぱ、湧水のあった地形を活かして公園として再整備されました。

(湧水は東京の名湧水にも指定されている)

園内には二箇所の湧水があり、その水をを利用した人工の滝などもありますが
1日あたり400トンの湧水は、人の手を借りることなく小川を作り
窪地に池をつくりあげます。

(崖を落ちる人工の滝)

人の手によって造られた公園ですが、この先は最低限の手入れだけをして
自然の力で変わってゆく姿を、手軽に且つ安全に楽しめる公園として
続いていってほしい施設です。

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宝来公園

2015年08月26日 | 東京のお散歩
都内屈指のお屋敷町、田園調布。

(田園調布駅)

東急線田園調布駅を中心に放射状に広がる道と、それらをつなぐ同心円状の道。
これらは渋沢栄一による田園都市株式会社が開発分譲した元祖ガーデンシティです。

(田園調布の放射道路)

このお屋敷町田園調布がある多摩川台の端の小さな谷に、
武蔵野の面影を残すべく田園都市株式会社によって造成され、
その後田園調布会に贈られたのち、東京市に寄付された宝来公園があります。

(宝来公園入口)

古墳などが遺る多摩川沿いの支谷にあって、自然林とその斜面からの湧水や池で構成され
多様な植物が四季を彩ります。

(噴水)

鴨や家鴨も泳ぐ池のほとりには遊具もあって、
田園調布の小さなご子息ご令嬢が、お遊びになられてます。
でも、水場なので蚊が多いですから、気をつけてくださいね。

(せせらぎ)

(池には小さな滝もある)

(池)
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洗足池

2015年08月25日 | 東京のお散歩
広重の江戸名所百景にも描かれた洗足池は、古くから千束(千僧供)と呼ばれた地にある
付近に点在する湧水地の中でも最大の池で、大池とも呼ばれています。

(洗足池)

(洗足池弁才天)

明治時代には、晩年の勝海舟がその滸に居を構えた事でも知られています。

洗足池そのものが湧水地であるだけでなく、近隣の湧水が池に合流しています。

(洗足池に注ぐ用水路)

清水窪弁財天からの流れは、途中まで暗渠となっているものの
いまでもその谷筋ははっきりとわかり、また池の手前からは開渠となっていて
その澄んだ水を見ることができます。

(清水窪からの暗渠)

洗足池から流出する川は「洗足流れ」と呼ばれ、下流で呑川に合流し東京湾に注ぎます。

池ではボートに乗ることも出来る上に、東急線の駅前という立地もあり
休日には多くの人で賑わう公園となっています。

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碑文谷公園

2015年08月24日 | 東京のお散歩
碑文谷公園は、立会川の水源である碑文谷池を中心とした公園で
池に浮かぶ厳島と、池の周囲の遊具や樹木によって公園が構成されています。

(碑文谷池)

(厳島)

ひっきりなしに電車が行き交う東急東横線の線路際にありながら
この辺りが農村だった頃を彷彿とさせる風景を作り上げています。

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北斗星

2015年08月23日 | 
昭和六十三(1988)年の青函トンネル開業とともに運行を開始した
東京と札幌を結ぶブルートレイン「北斗星」号が、
今朝、上野に到着した上り8008列車を最後に、その27年間の運行を終えました。



運転開始当初は、1日3往復(定期便2、季節列車1)が設定され、
そのほかにも臨時列車が運転されるなど、ブルートレイン斜陽期においても
集客力のある列車でしたが、東北新幹線の延伸やそれに伴う東北本線北部の3セク化、
航空業界の自由化による新千歳便の低価格化などで、北斗星も便数を減らし
青函トンネルの新幹線化工事と客車の老朽化もあり、運行終了となりました。



昔日の上野発着の夜行列車のような、「夢を抱いて上京」とか
哀愁のこもった列車ではなく、北の大地への夢を運ぶ「贅沢な旅」という
そんな雰囲気列車だったような気がします。

近年は、全室個室のまさに「豪華寝台列車」カシオペア号も運行され
北斗星は前述のように車両老朽化という追い打ちもありましたが
それでも、いつでもチケットの取りにくい人気列車でありました。

北斗星の運行終了は、ひとつの時代、おそらくそれは昭和という時代の
残照が消えた瞬間なのかもしれません。

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目黒十五庭園

2015年08月22日 | 東京のお散歩
区役所には2種類のタイプがある。
ひとつは、高層建築となって各部署やサービス機関や店舗が集約され
それぞれの部署も広々とフロアを使うタイプ。
もうひとつは、中低層建築に狭いながらも窓口を集約して運営する昔ながらのタイプ。

後者は単に高層化や庁舎の集約化が済んでいないという
「オトナの事情」的理由も多いとは思うけれど、そんなタイプの区役所には
大抵小さいながらも噴水や池が作られていたりする。



目黒区役所には、屋上に目黒十五庭という庭園が作られていて
屋上緑化の情報発信地として、また区役所利用者の憩いの場として親しまれている。



十五庭は、屋上庭園計画の際に検討された「15のメッセージ」と
区役所総合庁舎を設計した建築家、村野藤吾の名をかけたもので
決して「盗んだバイクで走り出した行く先」ではないようだ。


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麻布絶口釜無村

2015年08月21日 | 東京のお散歩
古典落語「黄金餅」で、死んだケチな僧侶・西念を棺代わりの樽に入れて
その樽を金兵衛が担いで向かったのが麻布絶口釜無村の木蓮寺。

もちろん、これは架空の地名と寺ではあるけれど、
西念と金兵衛が住んでいた長屋のある下谷山崎町から木蓮寺にいたるまでの
五代目志ん生による描写を辿ればある程度の場所の特定は出来るというもの。

しかし、そんなことをしなくても、絶口という地名は絶江という地名のもじりで
どちらも読み方は「ぜっこう」。

いまでも麻布には絶江という地名がありまして、
これは曹渓寺という臨済宗寺院が、赤坂からこの地に移転してきた時の住職である
絶江紹堤という名僧に由来するものだそうで、
元禄の頃には赤穂事件の討入りメンバー唯一の生き残り寺坂吉右衛門信行が
この寺で寺男を務めていたそうでございます。



この寺に隣接して絶江児童公園という公園があります。



こちらは肢体不自由児の教育発祥の地でありまして
東京市立光明学校(現 東京都立光明特別支援学校)という、
いまで言う養護学校の第一号が昭和七(1932)年に出来たという場所であります。
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有栖川宮記念公園

2015年08月20日 | 東京のお散歩
ビルが建ち並ぶ広尾の一角に、自然の地形を活かした公園があります。
旧有栖川宮邸跡地の有栖川宮記念公園です。

(有栖川宮記念公園)

江戸時代には陸奥盛岡南部家下屋敷で、明治二十九(1896)年に有栖川宮邸となりました。

威仁親王の薨去によって有栖川宮家が絶家となると
その祭祀と資産を引き継いだ高松宮家(宣仁親王妃喜久子さまは威仁親王の孫でもある)が
この御用地も継承しますが、自然や子どもの健康に格別のご関心をお持ちであった
宣仁親王より東京市に公園地として下賜されました。

(有栖川宮熾仁親王騎馬銅像)

公園向かいのインターナショナルマーケットや、すぐ近くの外苑西通りの喧騒とは
まったく別世界の渓谷美が広がっています。
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清正公

2015年08月19日 | 東京のお散歩
白金台にある日蓮宗の寺院、最正山覚林寺は加藤清正を祀る寺院で
清正公(せいしょうこう)さまと呼ばれ親しまれています。



もっとも、江戸っ子や付近の住民は、そんな長ったらしく呼ばず
「せいしょこさん」と縮めて呼んでいます。

もともとこの場所は肥後熊本細川家の屋敷地で
加藤清正と縁のあった日蓮宗大本山誕生寺十八世日延の隠居寺として開山し寺地となりました。



いまでも5月の祭礼は大いに賑わい、勝負事にご利益があるとして
広く信仰を集めています。
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白金

2015年08月18日 | 東京のお散歩
「シロガネーゼ」なんて言葉ができて久しいけれど、
白金の読み方は「しろかね」と濁らないのです。

高級住宅地のイメージが強いけれど、実は下町情緒の残る場所もあって
本当の白金の魅力は、そんな下町情緒溢れる暗渠の道にあったりするんじゃないかと
思ってみたりもします。

渋谷川(古川)支流の暗渠は、江戸時代までは樹木谷と呼ばれた場所で
水利があったことから、近代以降この谷周辺で商工業が発展しました。

(白金の暗渠道)

反対に高台は皇族邸(朝香宮邸:現在の庭園美術館)や名門学校、研究施設などが並び
前述の谷との傾斜を利用した屋敷や寺院なども多くありました。

(旧朝香宮邸)

その跡地に高級マンションや洒落た店、ホテルなどができたことで
こちらが「白金」のイメージとなっていったようです。

大名屋敷であった八芳園、藤山愛一郎邸跡のシェラトン都ホテル
聖心女子大学、東大医科学研究所(旧国立伝染病研究所)…

(八芳園)

(都ホテル庭園)

(東大医科研)

そういった閑静で大きな白金と、最初に述べたような、こぢんまりとした庶民の白金。
この二つが一つの街を作り上げていることこそが
白金の魅力でもあるのです。
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高輪

2015年08月17日 | 東京のお散歩
高輪は、瀟洒な近代建築が多い。
消防署、大学、ホテル、商店…。

(高輪消防署二本榎出張所)

(明治学院大学)

(グランドプリンスホテル高輪)

(とらや)

(高野山東京別院)

建物を見ながら歩けば、ひと駅ふた駅は歩けてしまう
そんな高輪の散歩道。
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