小さい頃、祖父に連れられて
家の近くの踏み切りに
貨物列車をよく見に行っていた。
その頃の板橋駅は
今と違って何本もの専用線が伸びていて
蒸気機関車も、私が生まれる直前まで
都内ではもっとも古くまで稼動していた。
その頃はすでに、DD13という凸型のディーゼル機関車になっていたが
狭い構内を行ったりきたりしながら
貨物車両を入れ替える作業を
飽きることなく眺めていた。
そんな貨物駅の跡地は
マンションとして再開発され
今は面影も残っていない。
わずかに残された線路は
さび付いてしまい
おそらく二度と車輪が通過することも無い。
その横を、お台場へ向かう電車が走り抜ける。
そんな板橋駅も
私の中ではまだ、機関車の汽笛の響き渡る
そんな貨物の駅。
家の近くの踏み切りに
貨物列車をよく見に行っていた。
その頃の板橋駅は
今と違って何本もの専用線が伸びていて
蒸気機関車も、私が生まれる直前まで
都内ではもっとも古くまで稼動していた。
その頃はすでに、DD13という凸型のディーゼル機関車になっていたが
狭い構内を行ったりきたりしながら
貨物車両を入れ替える作業を
飽きることなく眺めていた。
そんな貨物駅の跡地は
マンションとして再開発され
今は面影も残っていない。
わずかに残された線路は
さび付いてしまい
おそらく二度と車輪が通過することも無い。
その横を、お台場へ向かう電車が走り抜ける。
そんな板橋駅も
私の中ではまだ、機関車の汽笛の響き渡る
そんな貨物の駅。