水門

2012年09月30日 | 徒然
東京の中央区や江東区といった
河口埋め立て地には水門が作られている。

東京の低地は
内陸、河口問わず昔から水害に悩まされていた。

内陸地は、河川の護岸工事や流路の変更など
河口付近では水門を建設して
水害に備えている。

内陸では大雨による増水などが水害の主な原因だが
河口部は、河川増水だけでなく大潮、台風、津波など
多くの要因が水害につながる。

下町は、水門によって守られている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空の色

2012年09月29日 | 徒然
秋の黄昏。

冷たい風が
気持ちよく頬を撫でる。

空の色が
透明になった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上海の出勤

2012年09月28日 | 
上海の朝。

自分が知っている「朝のラッシュ」は
東京や台北のそれですが
上海は、それよりは少し穏やかな感じがします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上海の夜ふかし

2012年09月27日 | 
夜の上海の街には活気が溢れていますが
香港や東京のような「欲望にまみれた」夜の街
という雰囲気はありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上海の日常

2012年09月26日 | 
上海の日常は
日本で報道されるほど
賑やかでも過激でもありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧前田公爵邸

2012年09月25日 | 徒然
東大駒場キャンパスのすぐ西側の駒場公園には、
明治時代に前田家の本邸だった建物が遺されています。

そういえば、東大の本郷キャンパスも
江戸時代に前田家の屋敷だった場所ですね。

ちなみに目黒の東大医科研は火消役藤堂家や
肥前福江藩五島左衛門尉、肥前大村藩大村丹後守の屋敷跡で
こちらは前田家とは縁がありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケルネル田圃

2012年09月24日 | 徒然
目黒区の駒場野公園にあるケルネル田圃。
明治期に日本の農業の発展に貢献したケルネル博士が
弟子たちへの実習で使用した田圃です。

渋谷から井の頭線で2駅の場所にも
まだまだこんな武蔵野の風景が残されています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

待乳山

2012年09月23日 | 徒然
浅草のちょと北。
待乳山聖天は小高い丘の上に鎮座している。

平坦な沖積平野である東京の下町。
でも、ここだけはなぜか丘になっている。

沖積平野は縄文時代の海進時には水底出会った場所。
でも、この丘だけは海面から顔を出していたようである。

実は、現在の沖積平野はその時代以降に堆積した土砂によるもので
それ以前には古東京が流れていて
浅草付近の地下には、その流れによって削られた埋没谷が
-30m以上の深さで隠れているのである。

この川の谷は現在の東京湾の海底へ続いていて
浦賀沖では海底にV字谷が露出している。

と、いうことは
この丘は海退時には相当高い丘であったと思われる。
当然、地質学的見地からしかわからないことではあるが…


推古天皇の時代にはすでに神聖な場所とされていたらしく
古代から人類は丘を神聖な場所と見ていたようである。

洪水時にも待乳山は、水没しない
いわば「ノアの方舟」的存在だったのかもしれない。

関東ローム層などの存在で、岩盤の路頭がない
関東平野に於いては、恐らくこの丘も
何らかの堆積によって成ったと思われるが
今となっては地質調査も難しく
また、答えがわからない方がかえって神秘性があって
いいのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蒲田の踏切

2012年09月22日 | 徒然
京急線の蒲田の踏切。
この踏切で、
箱根駅伝でも多くのドラマが生まれた。

そんな踏切の最後の思い出に。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西郷橋

2012年09月21日 | 徒然
代官山から渋谷区青葉台を抜けて
旧山手通りに架かる橋は
その傍らの西郷山(西郷従道の屋敷が有った)にちなんで
西郷橋と名づけられている。

もともとは三田用水の水道橋であったようだ。

橋につけられた街灯が
この街の雰囲気によく溶け込んでいる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穴八幡宮

2012年09月20日 | 徒然
早稲田の穴八幡神社は皇紀1722年(西暦1062年)の 創建とされている
「一陽来復」のお守りで有名な神社。

江戸時代には、隣接する放生寺が別当寺として管理していて
現在ではもちろん別々のものとなっている。
放生寺では「一陽来福」お守りを配っており
お互い遠まわしに「ウチが本家本元」と言っている。

伝説では、江戸城からの逃げ道の出口が
穴八幡にあるともされているが真偽のほどは定かではない。

放生寺と、さらに日本キリスト教団早稲田教会が立地する小高い丘は
古墳であったとされており、古代から現在にいたるまで
宗教的な力が宿っていた場所であることには違いがない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学習院女子大学

2012年09月19日 | 徒然
華族女学校の後身である、学習院女子大学。
明治通りに面して、立派な門が構えられています。

この門は明治10年(1877年)に千代田区神田錦町に建てられた
旧学習院正門を昭和24年に移築したもので、
国の重要文化財に指定されています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

環状4号線

2012年09月18日 | 徒然
東京都心の外周を走る環状道路の4号線は
早稲田界隈で何度も右左折を繰り返す。

若松河田から夏目坂を下って早稲田通りに入って
西早稲田交差点で新目白通り方面へ右折、
甘泉園下の神田川手前で、一旦途切れてしまう
中途半端な環状道路。

5号線の明治通り、6号線の山手通り、環7、環8とちがって
その存在を知っている人も少なそうな
環状4号線。

写真は西早稲田交差点。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祭りのあと

2012年09月17日 | 徒然
祭りのあと

でも、今日は休日



いつもの祭りのあとよりも

さみしさが減ったような

そんな休日。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

代々木

2012年09月16日 | 徒然
代々木。

人によって、その名前でイメージするのが
公園であったり学生運動であったり予備校であったり
いろいろあると思う。


20代のころ、この街にある大手予備校ではない
やはり中央線沿線の大手予備校に勤めていた。

早番の日は、帰りが結構速いので
代々木で電車を下りて新宿までぶらぶら歩くのが好きだった。

住んでもいない、働いてもいないけれど
夕暮れ時の代々木は、僕の青春の記憶。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする