夏越の大祓

2017年06月30日 | 東京のお散歩
今日は今年上半期の最後です。

神道では夏越の大祓という神事が行われます。

これは、半年の間に溜まってしまった穢れを祓って無病息災を願うものです。

一般には、神社の拝殿前などに作られた茅の輪をくぐることで
穢れを祓い、疫病を遠ざけるとされています。


今年も半分終わってしまいました。

下半期も、ご高覧の程お願い申しあげます。




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マンガの街のマンガ地蔵

2017年06月29日 | 東京のお散歩
西武池袋線の椎名町駅は、マンガの聖地と呼ばれています。

トキワ荘だけでなく、横山光輝、ジョージ秋山、喜国雅彦、西原理恵子など
多くの漫画家が、池袋モンパルナスと呼ばれたこの地域に住んでいました。

そんな椎名町駅の前に建つ古刹 真言宗豊山派 蓮華山仏性寺金剛院には
平成二十七年に建立された地蔵尊「マンガ地蔵」が安置されています。

像は光背がGペンになっていたり、錫杖のかわりにペンを持っていたり
漫画のコマ割り柄の衣を纏っていたりと、漫画の街ならではの意匠となっています。

なお、お地蔵さんはトキワ荘の方角を向いて安置されています。



(マンガ地蔵)


(佛性寺赤門)


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トキワ荘

2017年06月28日 | 東京のお散歩
豊島区南長崎に、マンガの聖地があります。

かつて多くの若手漫画家がそこに住み、著名になっていきました。

きっかけは手塚治虫で、「漫画少年」に連載を持っていた手塚が
その出版社である学童社加藤氏の子息の誘いで入居したことで、
その後も学童社の誘いで入居したり、仲間が出入りしたりして
多くの有名漫画家を輩出する結果となりました。

もっとも、入居にあたっては、寺田ヒロオをはじめとしたメンバーから
厳選なる審査を受けなければならなかったとされ、有名漫画家になるのは
必然中の必然だったとも言われています。


建物は昭和五十七年に解体されましたが、新築後にバブル景気がやってきて
当時ブームだった地上げに遭い更地となってしまいました。


現在は出版社の敷地となっていますが、そこに跡地を示すモニュメントが置かれています。


居住した漫画家
手塚治虫
寺田ヒロオ
藤子不二雄
鈴木伸一
森安なおや
石ノ森章太郎(当時は石森章太郎)
赤塚不二夫
よこたとくお
水野英子
山内ジョージ
向さすけ
(以上 敬称略 入居順)



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高輪橋架道橋

2017年06月27日 | 東京のお散歩
「行灯殺し」の異名を持つ、恐怖のガード下。

JR田町駅と品川駅の間にある高輪橋架道橋は、その下を通る道路が
制限高1.5mというその低さで知られる鉄道橋りょうです。

行灯殺しの行灯とは、タクシーの屋根に乗っている社名のランプのことで
正式には安全表示灯と呼んでいるもののことですが、空車のタクシーだと
この行灯とガードの天井との隙間が数センチしかなくなるのです。
場合によっては(東京無線のような縦長デザインの行灯の場合)、
この行灯を破損させてしまうこともあることから、行灯殺しの異名がつけられました。

しかしながら、高輪側と港南側を短絡する近道の道路でもあるので
行き交う自動車や歩行者の量は、大変多くなっています。

旧東京機関区や田町運転所、田町電車区(田町車両センター)などがあり
広大な鉄道用地を横断するため200m近い長さのずい道となっていて
ここを背の高い人が歩ききるのは、結構大変な“近道”でもあります。

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山手線新駅と高輪大木戸

2017年06月26日 | 東京のお散歩
西日暮里駅の開業から約半世紀ぶりに作られる山手線の新駅。

田町駅と品川駅の中間に作られますが、駅名はまだ決定しておらず
高輪、芝、港南、泉岳寺などの名が入ると予想されています。

この駅の田町駅側には、江戸時代には東海道の江戸の入口として
高輪大木戸が設けられていました。

大木戸は、甲州街道の四谷や、中山道の板橋にも設けられていた
江戸市中と市外の境界を示す、江戸防衛や防犯上重要な施設でした。

駅名に大木戸は入らないとは思いますが、大木戸口という改札口は出来そうな気がします。



(新駅予定地)



(新駅予定地付近を走る山手線)



(大木戸跡)


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昭和が踊る街 鶯谷

2017年06月25日 | 東京のお散歩
鶯谷といえば、山手線の駅の中でも数少ない、乗り換え駅ではない駅。

ホテル街、風俗街(ただし無店舗型)として一部の人には知られていますが、
そんな一角に、昭和の香りが残る「ダンスホール」があります。

昭和四十四年(1969)に開業したダンスホール新世界。

都内に2軒だけ残る、生バンド演奏付きのダンスホールで
映画「Shall we ダンス?」の舞台の一つとしても知られています。



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芝浦 バブル景気の夢の跡

2017年06月24日 | 東京のお散歩
バブル時代に一世を風靡した伝説のディスコ、ジュリアナ東京。
往時には田町駅からジュリアナ東京まで、ワンレン・ボディコンのチャンネーが
列をなしてゾロゾロ歩いていました。

バブル崩壊後も営業していましたが、あまりにも過激化したお立ち台に指導が入り
お立ち台が撤去されたことから人気に翳りがみえはじめました。

もっとも、世の中の夜遊びの中心はディスコからクラブへ移っていて
ウォーターフロントという言葉も、臨海副都心というシャレオツ感ゼロの言葉に変わり
バブルの残り香だったジュリアナ東京は、その伝説だけを残して
平成六年(1994)8月末日に閉店しました。


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芝浦 協働会館

2017年06月23日 | 東京のお散歩
芝浦1丁目に建つ旧協働会館は、この付近が三業地だったころの見番の建物で
昭和十一年(1936)に建設されました。

戦後は港湾労働者の宿泊所として利用され、平成二十一年、東京都から港区へ譲渡されました。

現在は保存整備計画の下で、ネットにより養生されていますが
建物の様子は公道からでも見ることができます。


*三業地とは、置屋、料亭、待合からなる遊興街
*見番は、三業を取りまとめた施設


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芝浦

2017年06月22日 | 東京のお散歩
JR浜松町から田町あたりにかけて、線路はかつての海岸線を走っています。

この辺りを芝といい、海岸を芝浜、海を芝浦と古くから呼んでいました。

芝でよく獲れた江戸前の海産物に海老があって、これが芝海老です。

東海道線が開業したのち、どんどん埋め立てられ海岸線が東進して
今では無機質なビルが建ち並ぶ一角となってしまいましたが
そのビルの下を目を凝らして歩くと、漁師町や花街の名残り、
バブル景気の忘形見などがある、ちょっと人間臭い町だったりします。





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金杉橋

2017年06月21日 | 東京のお散歩
JR浜松町駅近く、古川(渋谷川下流)にかかる金杉橋。

昔、杉に似た栴檀の木があって、それが闇夜に金色に光ることから
この付近の地名が金杉と呼ばれるようになったと言われています。

落語好きにはおなじみの地名で、「芝浜」の勝五郎が最初に住んでいた裏長屋や
三遊亭圓朝(円朝)の「黄金餅」での金兵衛らが住む長屋(志ん生版では下谷山崎町)、
「疝気の虫」で、書生が往診に行った先など、色々な噺の舞台になっています。

今でも金杉橋の下流側には船宿が並び、漁師町の風情が残されています。


(金杉橋)



(金杉橋から山手線や新幹線の走る下流側を望む)



(建ち並ぶ船宿)
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札の辻

2017年06月20日 | 東京のお散歩
東海道の江戸の玄関口は、高輪大木戸でした。

高輪大木戸の手前には高札場があって、その場所を札の辻と呼んでいました。
現在では、第一京浜と国道1号線の、非常に交通量の多い交差点ですが
ここに高札場があったことからわかるように、江戸時代から人の往来の激しい場所でした。

この交差点からは、ほぼ真正面に東京タワーが望めます。

JR田町駅からも近いですが、山手線新駅予定地も遠くなく
近い将来、さらに人が増えそうな予感のする場所です。

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東京タワーの見える場所

2017年06月19日 | 東京のお散歩
我々、昭和生まれの東京人は、東京タワーに思い入れがあります。

遠くに東京タワーが見えるだけで、テンションが上がったりします。

元々は電波塔でしたから、都内の多くに場所から見えるはずでしたが
完成から59年経ち、電波塔としての役目も予備送信所となった今
高層建築物に遮られ、その尖塔の勇姿を拝むことができなくなってしまいました。

その所為か、昔以上に東京タワーへの愛が深まったような気がします。



(画像は恵比寿ガーデンプレイスからの東京タワー)


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力水

2017年06月18日 | 徒然
せんべい・あられメーカーの「もち吉」(本社:直方市)が出している天然水「力水」。

北九州市、直方市、福智町にまたがる福智山山系の湧水だそうです。

この力水、まさに力水なのです。

大相撲で土俵に上がる際に口につける清めの「力水」こそが
この「もち吉」の力水だそうで、平成四年(1992)から同社による無償提供を行っているそうです。

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黒電話

2017年06月17日 | 徒然
今では貴重なダイヤル式の黒電話。

すでに使い方を知らない子どもも多いと聞きます。

ダイヤルが戻るまでの時間のもどかしさは、
携帯電話では味わえない緊張の時間でした。

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須田町

2017年06月16日 | 東京のお散歩
神田須田町は、靖国通りと中央通りの交差点周辺の、秋葉原に近い一角です。

現在は、都内にありがちな交通量の多いオフィス街の交差点ですが、
戦前には北側に甲武鉄道(現在の中央線)の万世橋駅があって
戦後も都電全盛期には9系統が乗り入れる都電随一のジャンクションでした。

さらに神田寄りの地下には、銀座線神田駅に直結する日本初の地下商店街がある
東京の交通の中心的な場所でもありました。

須田町の名は江戸時代にはすでに見られ、古地図に「すた町」の記載が見られ
川(旧石神井川または神田川と思われる)の洲に農地があったことに由来すると言われています。


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