五色不動の最後は、目黄不動です。
この目黄、実はいくつか目黄不動尊を名乗る寺院が存在しています。
ここでは、一般に目黄不動として知られる二つの寺院を紹介します。
そもそも目黄不動尊と呼ばれた寺の元祖は浅草勝蔵院とされ
金龍山浅草寺の寺僧22箇院のひとつで、明治時代に廃寺になりました。
この寺に納められていた明暦不動が転訛して、「メキ」となったとも言われています。
当時の都市伝説や、寺が存在しなくなったことで
多くの「目黄不動」が生まれたとも言われています。
その中で、早いうちから目黄不動と呼ばれたものが
下谷三ノ輪の永久寺です。
(永久寺)
創建年代などは不詳ですが、当初は真言宗の寺院として創建され
後に日蓮宗に改められましたが、さらに天台宗に改まり
養光山金碑院永久寺として現在に至っています。
ここが「目黄不動」とされた詳しい経緯は、不明です。
また、江戸川区平井の牛宝(寳)山明王院最勝寺も、目黄不動として有名な
天台宗の寺院です。
(最勝寺)
元々は本所表町(現在の墨田区東駒形一丁目)にあり
貞観二(860)年、慈覚大師円仁が隅田川河畔に草創したものと伝えられています。
大正二(1912)年に、駒形橋架橋にともなう区画整理で
現在地に移転しました。
目黄不動尊は、最勝寺末寺の東榮寺にあったものが
東榮寺が廃寺になった際に遷されたものだそうです。
これも、目黄不動となった経緯の詳細は不明です。
(最勝寺の不動堂)
この目黄、実はいくつか目黄不動尊を名乗る寺院が存在しています。
ここでは、一般に目黄不動として知られる二つの寺院を紹介します。
そもそも目黄不動尊と呼ばれた寺の元祖は浅草勝蔵院とされ
金龍山浅草寺の寺僧22箇院のひとつで、明治時代に廃寺になりました。
この寺に納められていた明暦不動が転訛して、「メキ」となったとも言われています。
当時の都市伝説や、寺が存在しなくなったことで
多くの「目黄不動」が生まれたとも言われています。
その中で、早いうちから目黄不動と呼ばれたものが
下谷三ノ輪の永久寺です。

創建年代などは不詳ですが、当初は真言宗の寺院として創建され
後に日蓮宗に改められましたが、さらに天台宗に改まり
養光山金碑院永久寺として現在に至っています。
ここが「目黄不動」とされた詳しい経緯は、不明です。
また、江戸川区平井の牛宝(寳)山明王院最勝寺も、目黄不動として有名な
天台宗の寺院です。

元々は本所表町(現在の墨田区東駒形一丁目)にあり
貞観二(860)年、慈覚大師円仁が隅田川河畔に草創したものと伝えられています。
大正二(1912)年に、駒形橋架橋にともなう区画整理で
現在地に移転しました。
目黄不動尊は、最勝寺末寺の東榮寺にあったものが
東榮寺が廃寺になった際に遷されたものだそうです。
これも、目黄不動となった経緯の詳細は不明です。
