川越城跡に鎮座する三芳野神社は大同二年(807)の創建とされています。三芳野は川越地域の旧称で伊勢物語などにもその名が見られる事からも、平安時代の創建である事が窺えます。
武蔵國一宮氷川神社を勧請したとも、京都北野神社を勧請したとも伝えられていますが、創建年代や祭神を考えると氷川神社を勧請した後に菅原道真を合祀する際、北野天満宮から菅公を勧請したと考えられます。
太田道灌による河越城築城の際には天神曲輪に位置しており、この時点ですでに天神社となっていたことになります。
このため、お城の天神様と呼ばれ庶民の参拝ができなくなりましたが、厚い信仰を集めていたため、時間を区切って入城を認めましたが
密偵の入城をおそれ、退出の際は参拝客を厳しく検べたと言われ、これが城下の子どもたちの間でわらべ唄となり、『行きはよいよい帰りは怖い』の「とおりゃんせ」になったそうです。
城下からの参拝客は富士見櫓の下を通って参道に向かった
寛永元年(1624)、家光の命により城主酒井忠勝が造営した社殿
看板にも「とうりゃんせ」発症の地の記載
天神様の細道