東上線下板橋電留線 昭和61年

2020年04月30日 | ご近所
東武東上線の下板橋ー大山間にある下板橋電留線。
かつては貨物駅としても機能していました。

この頃東武線は、ベージュ(セイジクリーム)1色から
白地(ジャスミンホワイト)に青帯の塗装へ変更される過渡期で
ステンレス車両もまだ少ない状態でした。

下板橋電留線は、現在は本線側が下り大山側と接続されて
南側が行き止まりとなっていますが、当時は貨物駅だった為
北側が池袋側からのみ出入りできる電車の車庫となっていて
南側が大山側へ出入りできる貨物駅として使用されていました。

上の画像の右奥には、貨物機関車が待機しているのが見えます。






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昭和の日

2020年04月29日 | 東京のお散歩
未だに「天皇誕生日」と言ってしまう私です。
みどりの日ですらありません。

昭和時代に撮影した写真が、Twitterで好評だったので
明日、掲載したいと思います。お楽しみに。
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石神井川飛鳥山分水路呑口

2020年04月28日 | ご近所
本日は、仕事の所用で、税務署と区役所へ久々の外出。

昨日の雨で若干水量の多い石神井川です。

飛鳥山分水路は、現在親水公園となっている流路を本流として
増水時の氾濫を防止する目的で、昭和四十三年(1968)に作られ
昭和五十八年(1983)には、2本目のトンネルが掘られました。

二本ともシールド工法で掘られた直径6.5mのトンネルとなっています。



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踏切警手のいる風景

2020年04月27日 | 鉄道
交通量の多い踏切などには、かつて踏切警手という鉄道員が詰めていました。

自動化や立体交差化で、めったに見られない光景になってしまいましたが
鉄道は人の手で動いているというのがよくわかる、好きな光景です。







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日常

2020年04月26日 | 季節
流行病で非日常の時間が流れてゆく市井。

路傍の花だけが、いつもの様に季節を知らせてくれます。





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15年

2020年04月25日 | 徒然
今日で福知山線脱線事故から15年です。

あの日は遅番で、起き抜けにテレビを点けたら、ヘリからの空撮で
あの未曾有の惨状が映し出されていました。

6両の車両が、まるで鉄道模型で遊んでいる子が癇癪を起こした…
ん?6両?東西線直通なら7両では?

置石?いや置石であんな脱線になるはずはない。

いろんなことが頭の中を巡っては消え、乗客の無事を願い
出勤までニュースに釘付けになっていました。

あれから15年。

鉄道会社の内部の体質が、実際にどう変わったのかは知りませんが
どう改善されても、失われた命は帰ってきません。

せめて、その犠牲が新たな事故の抑制になることが
犠牲者への供養になるのかなと思っています。



(脱線した5518M列車と同形式の車両)

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近藤勇百五十三回忌

2020年04月24日 | ご近所
明日は近藤勇の百五十三回忌です。
慶應四年(1868)四月二十五日(旧暦。グレゴリオ暦では5月17日)、
中仙道板橋平尾宿付近の刑場(馬捨場とも)で、新選組局長近藤勇が処刑され
谷端川の氾濫原に埋葬されました。

これが現在のJR埼京線板橋駅前の近藤勇墓所(寿徳寺境外墓地)です。

毎年、命日もしくは直前の日曜日に新選組諸隊士供養祭が行われていますが
今年はCOVID-19の影響で中止となります。





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椙森神社

2020年04月23日 | 東京のお散歩
日本橋堀留町の椙森神社は、江戸三森のひとつに数えられる神社です。
(残る二つは烏森と柳森)

平安時代、平将門の乱平定のため、藤原秀郷が戦勝祈願を行い
戦後、白銀の狐像を奉納したとされています。

文正元年(1466)には太田道灌が雨乞いを行い、霊験があったとして
山城国稲荷山五社大神を勧請しました。

江戸時代には庶民や大名の崇敬をあつめました。

境内では湯島天神や目黒不動尊、谷中天王寺と並んで富くじが行われ
境内には富塚が建立されています。








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新材木町の出世稲荷

2020年04月22日 | 東京のお散歩
日本橋新材木町(現在の日本橋堀留町)の出世稲荷神社。
元和三年(1617)、江戸市中となったばかりだったこの地に
北条家浪人庄司甚右衛門ら数名の仮屋敷が建てられ
屋敷神として伏見稲荷から勧請し創建したものとされています。

初代市川團十郎(堀越家の先祖が後北条家家来とも言われているが
実際には遠祖が武田家の能係であったとされる)が日参し
後に名を成したことから、出世稲荷と呼ばれるようになりました。

現在の社殿は、関東大震災後に椙森神社の旧社殿の木材を拝領し
かつて隣町であった岩代町(現在はこちらも日本橋堀留町)の
岩代稲荷神社を合祀し、マンションの1階奥に鎮座しています。









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薬祖神社

2020年04月21日 | 東京のお散歩
東京・日本橋界隈の薬事業者の信仰を集める、医薬の神様です。

祭神は大己貴命と少彦名命で、二柱とも日本の薬祖とされています。



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小網神社の手水鉢

2020年04月20日 | 東京のお散歩
小網神社の社殿に向かって右側の傍に、関東大震災まで使われていた
赤く変色した手水鉢が置かれています。

地震後に発生した火災によって、元の薄茶色から変色したものだそうです。



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東京銭洗弁天社 小網神社

2020年04月19日 | 東京のお散歩
日本橋小網町に鎮座する古社、小網神社。

文正元年(1466)、この地に疫病が流行ったため、その消滅鎮静を祈願するため
それまで弁財天と観音様を祀る庵に稲荷大神を勧請したものと伝わっています。

境内には銭洗弁天も奉安され、東京銭洗弁天として信仰を集めています。

このご時世、COVID-19(新型コロナウィルス)のパンデミックの終息と
給付金が無事に国民や事業者の手許に渡る事を祈願するのに
ぴったりの神様です。

(授与所の開設日時については、https://blog.goo.ne.jp/koamijinja
 小網神社blogをご確認ください)








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板橋駅西口再開発予定地

2020年04月18日 | ご近所
JR埼京線(赤羽線)板橋駅改良工事に合わせて
板橋区側の街区再開発も計画されています。

昔通った焼肉屋も割烹も、過去のものになってしまいます。
(焼肉屋は一足先に閉店)



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日本橋界隈

2020年04月17日 | 東京のお散歩
誰もいない福徳神社とコレド室町



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参宮橋

2020年04月16日 | 東京のお散歩
小田急小田原線で新宿から2駅の参宮橋駅。

新宿発の電車がホームに滑り込む直前に、その頭上を跨いでいるのが
駅名の由来となっている参宮橋です。

参宮橋は、その名の示す通り明治神宮参詣へ向かう通りに架かる橋で
大正九年(1920)の造営に際して架橋もしくは命名された橋となります。

参宮橋駅は、昭和二年(1927)に、小田急線開業と同時に開設された駅で
橋の名をそのまま駅名としました。


参宮橋は当初、河骨川(春の小川のモデル)に架かる橋だったようですが
その河道にほぼ沿う形で小田急線が敷設されることになり(新宿側が上流)、
小田急線工事に伴って、跨線橋となったようです。

橋の取付部の交差点は映画やドラマのロケ地としても有名です。










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